一輪の花

2019/03/12 (火)  カテゴリー/本のご紹介

みなさん、興味を持ってご覧頂いておりますでしょうか?
今日も、あちらの本から、印象的だった個所をご紹介します。

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第5章 美しく生きる秘訣
●「一輪の花」として生きる
(略)
ある人が送ってくれたその詩は、英語で
「Where God has planted you, you must bloom」
という言葉で始まっていました。
その人の自作なのかどうか、いまだにわかりません。


神が置いて下さったところで
咲きなさい。
仕方がないと諦めてでなく
「咲く」のです。

「咲く」ということは
自分が笑顔で幸せに生き
周囲の人々も幸せにするということです。

「咲く」ということは
周囲の人々に あなたの笑顔が
私は幸せなのだということを
示して生きるということなのです。
“神が私をここに置いてくださった
それは すばらしいことであり
ありがたいことだ”と
あなたのすべてが
証明することなのです。

「咲く」ということは
他の人の求めに喜んで応じ
自分にとって ありがたくない人にも
決して嫌な顔 退屈げな態度を
見せないで生きることなのです。

(略)


人間は一人ひとり花です。
小さい花もあれば大きい花もあり、早咲き、遅咲き、
色とりどり店頭に飾られ、買われてゆくのもあれば、
ひっそりと路傍で「花の一生」を終えるのも多いでしょう。
花の使命は咲くことにあります。
他の花と比べて優劣を競うことにもなければ、どこに置かれるかにもなく、
自分しか咲かせられない花を一番美しく咲かせることにあります。
それは決して「迷い」のないことを言っているのではありません。
もっと日当たりの良いところだったら、もっと風当りの少ないところだったら、
もっと広々としたところだったらと、嘆くことがあってもよい。
そんな思いを抱いていいのだけれども、
それにのみ心を奪われて、みじめな思いで一生を過ごすのではなく、
置かれたところで精いっぱい、それも詩の中に歌われているように「咲く」こと、
それがいつしか花を美しくするのです。

人の使命とは
自らが笑顔で生き、
周囲の人々も
幸せにすること。


自分にしか咲かせられない花を、
どこに置かれても、精いっぱい咲かせよう。

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如何でしたでしょうか?
とっても素敵な詩でしたでしょう?

「仕方がないと諦めてではなく『咲く』」というフレーズ、
とっても素敵だなって思います。

日本人は概して、“自己犠牲”を美徳としている風潮がありますが、
基本的に人は、自分を大切に、自分を愛して生きていかねば、
本当の幸せというものを手に入れることができないように思います。

ダメで嫌いな部分もひっくるめて、自分自身を愛してあげられてこそ、
完ぺきではない、たくさんの不足を抱えている他人に対しても、
愛情を持って接することができるのです。

大舞台で、大輪の花を咲かせる運命の人もいるでしょう。
しかし、路傍でひっそりと、誰にも気づかれることもなく、
楚々と咲いて、そして、散っていく花もあるでしょう。

「咲く」というのは、誰かのためにではなく、誰かと競うためにではなく、
ただひたすら、神様が与えて下さった能力を最大限に活かし、
「自分は幸せなのだ!!」と、喜んで精一杯咲ききること。
誰かに見てもらえなくても、そんなことはどうでもいいのです。
自分で満足できるまで、全力で、美しく咲けば、それでいいのです。

私にしかできない「咲き方」があるはずです。
他人と比べたって、仕方がありません。
諦めるのではなく、ただ「咲く」。
そして、喜びをもって、全身全霊で咲き切る。
そんな満足のいく素晴らしい人生を、歩みたいと願います。

これにて、こちらの本のご紹介は終了です。




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神様は一番善いことをしてくださる

2019/03/03 (日)  カテゴリー/本のご紹介

今日は、楽しい~、ひな祭り♪
3月3日になりました。早いですね~。
梅も咲き、菜の花も咲き始め、春めいてきた今日この頃。
キラキラとした日差しが嬉しい季節です。

さて、前回からご紹介し始めた本。
皆さんは、どのように受け取って下さっていますでしょうか?

今日もあちらの本から、印象的だった個所をご紹介します。

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●神様は一番善いことをしてくださる
私は「いただく」という言葉が好きで、
日常会話の中でも、できるだけ使うようにしています。
「くださるものをいただく。しかも、ありがたくいただく」
このような心で祈る時、その祈りは必ず、神に“届く”と思うのです。
届いたということは、決して、
そのことがそのまま叶えられる結果になるということではなくて、
神がその時、その人にとって
一番“善いこと”をしてくださるということなのです。

「お祈りしています」と誰かに約束する時、
その人の当座の願い事が、そのまま叶えられるようにと祈るとともに、
その人が、求めたことに対して与えられた神様の「返事」を、
ありがたく“いただく”ことができるようにと
祈ることも忘れてはならないのではないでしょうか。

“請求書の宗教”ではなく
“領収書の宗教”を持って生きてゆきたいと思います。
「ください、ください」と欲しいものを
やみくもに願うことが真の祈りなのではありません。
「たしかにいただきました。ありがとうございました」と、
神様のくださるものの一つ一つを、しっかりいただいて感謝する“心”こそを、
私たちは真に祈り求めるべきなのでしょう。

神様の
はからいを信じて
心を委ねる。


求めていないものが与えられたときには、謙虚にいただこう。
なぜそれが与えられたのかは、いつかわかる。

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皆さんは、どのようにお感じになったでしょうか?

私は子供の頃から、神様の存在を信じています。
日本は世界にも稀な“無宗教”の人が多い国ではありますが、
八百万の神の存在を、何となく信じている人も多いのではないでしょうか?

困った時の神頼み
という言葉がありますよね?
きっと誰しも、受験や病気で自分が困った状況に置かれると、
普段はあまり「神」という存在について深く考えることもなく生きているのに、
困った時にだけ、「神様」に登場してもらい、
自分の願望・希望を叶えて欲しいと祈った経験があるという方、
多いのではないでしょうか。

私はここ数年、以前のような祈り方ではなく、新しい祈り方に変わりました。
それも、自然と。
自分の脳みそなんて、全知全能の神様に比べたら、
本当にちっぽけなものでしかなく、あれこれ必死で考えたところで、
高が知れているのだ…ということが、深く理解できたからです。

つまり、自分の脳みそで自分のためだと思って必死で考えたところで、
神様のご計画や思いに比べたら、大したことなどないわけです。
であれば、どう祈るのが正しいのか。

これまで「祈り」について書かれた本も、何冊か読みました。
脳科学者、医学者、心理学者、宗教家…など、多くの方が、
「祈り」をテーマに本を書かれています。
そんな本を通しても、色々な学びがありました。
結果、私が思う正しい祈りとは、以下の通りです。

自分の自我や個人的な希望や思いを一旦棚上げして、
自分のことであれば、「神様のご計画が、私の上に完全に成りますように」
誰かのためであれば、「神様のご計画が、○○さんの上に成りますように」
これだけです。

「ああなりたい」「こうしてほしい」と思うのは、
人間である以上、仕方ないことですし、否定もしません。
しかし、その希望や考えが、本当に自分にとっての最善なのか、
その確証を得るのは、私にはできないと思うわけです。
であるならば、全てを神様に委ねてしまった方が、すっごく楽チン♪ って、
単純で楽観的な発想かもしれないけれど、
この考えに至るまで、相当の年数を要してしまいました。(笑)

渡辺さんの「“請求書の宗教”ではなく
“領収書の宗教”を持って生きてゆきたいと思います」という言葉、
とっても素敵だな~って思いました。

次回も、こちらの本からのご紹介です。





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願いはすべて聞き届けられる

2019/02/21 (木)  カテゴリー/本のご紹介

2月もあと少しとなってきました。
2月は逃げる…とは、よく言ったものですね。(笑)

さて、今日からはこちらの本をご紹介したいと思います。

どんな時でも人は笑顔になれる


御存知、カトリックの修道女でいらっしゃった渡辺和子さんの著書です。
お父様は日本史で有名な二・二六事件」で、
和子さんの目の前で、青年将校らに銃撃され殺害されました。

渡辺さんが書かれた本は、これまでに何冊か読ませて頂きましたが、
この本は遺作となった作品で、渡辺さんのご著書の中では、
私の一番のお気に入りです。

それでは、印象的だった個所をいつものようにご紹介します。

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第3章 祈ること、願いが叶うということ
●願いはすべて聞き届けられる
ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に
一人の患者の残した詩があるということです。
日本語に訳してみますと、次のようになります。


大きなことを成しとげるために力を与えてほしいと神に求めたのに、
 謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。
より偉大なことができるように健康を求めたのに、
 より良きことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに、
 賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、
 得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
 あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、
 願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬものであるにもかかわらず、
 心の中の言い表せないものは、すべて叶えられた。
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。


一九九○年の夏、私は米国のセントルイスという街を訪ね、
たまたまイエズス会の修道院に、この原文を見つけました。
それはJ・ロジャー・ルーシーという神父が書いたものだということでした。
多分、思わぬ病気か怪我をして、自分の“欲した”ことが成しとげられず、
苦しみ、その苦しみのあげくの果てに到達した境地なのでしょう。
(略)

願ったことが
一つも叶わなくても、
すべて叶えられたという境地。


ありがたくないものをくださるのは神様のはからい。
それに気づくのは、苦しみや悲しみを乗り越えたあと。

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私は、渡辺さんが紹介して下さったこの詩を読んだ時、
心から感動し、何度も読み返して深く味わいました。
皆さんは、どのように受け止められましたでしょうか?

私はトータルで見れば十数年、特にここ数年間、
本当に厳しい道を通らなければならず、
心身ともに、辛い経験をしてきました。
そして、その逆境からようやく自力で立ち直り、
明るい未来に向かって、一歩一歩足を進めているところです。
そんな自分にとって、この詩は本当に共感できるものであり、
また、感動と勇気を与えてくれるものでした。

一般的に、自分が自分の価値観を基にして神に望み求めるものは、
きっと、この世的なものでしかないのでしょう。
詩から抜粋すれば、それらは、
「力」「健康」「富」「賞賛」「享楽」とあります。
そして、神から与えられたものを抜粋すると、
「謙遜」「病弱」「貧困」「失敗」「生命」とあります。
前者と後者を比較すれば、一目瞭然。
神から与えられたものは、そのほとんどが、
この世的な価値観で考えれば、あまり有難くないと思われます。

しかし、この詩の作者は次のように語ります。
「求めたものは一つとして与えられなかったが、
 願いはすべて聞き届けられた」
「心の中の言い表せないものは、すべて叶えられた」
「私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福された」
…と。

実は私も、自分が望んだものが与えられているわけではなく、
自分が望んではいなかったものが与えられている状況にあると思います。
しかし、この詩の作者と同じように、「自分の望みが叶えられた」だけではなく、
自分が望みもしていなかった、さらに大いなるものを与えられた…、
つまり、「私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福された」という実感を持ち、
日々を生きることができていることに、感謝が溢れてきているのです。

渡辺さんが、「ありがたくないものをくださるのは神様のはからい。
それに気づくのは、苦しみや悲しみを乗り越えたあと」と書かれていますが、
私も、苦しみや悲しみを乗り越えた「幸せを噛みしめて生きている」今だからこそ、
なぜ、あのような「ありがたくないもの」が与えられたのか、
その意味がよくわかるのです。

「ありがたくないもの」が与えられる前の自分と、
「ありがたくないもの」が与えられ、その中でもだえ苦しみ、
そして、そこを乗り越えた今の自分を比べると、
如何に今の自分が恵まれ、祝され、幸せなのかを痛感し、
感謝、感謝の日々を送れるようになったことは、本当に幸いだと思います。
幸せな人生を謳歌して生きられるようになったのは、
あの「ありがたくないもの」が与えられたからこそ。
以前の自分に戻りたくもないし、以前の人生の続きも送りたくありません。
今が、本当に幸せで仕方ないのです。(笑)

次回も、こちらの本からご紹介します。




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みんながやっているからやらない

2019/02/14 (木)  カテゴリー/本のご紹介

前回からご紹介し始めた本の記事、2回目になります。
皆さん、興味を持ってご覧頂いておりますでしょうか?

今日のテーマは、「人生を楽しく」です。
では、ご覧下さい。

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4 人生を楽しくする「頭の体操」
●「みんながやっているからやらない」と考えれば、
  新しい楽しみを発見できる
(略)
多分に、みんなと同じ行動をしないと、
不安でしかたないという心理があるのでしょう。
親が子どもたちを大学に入れるのも同じです。
多くの親は、今の時代、誰だって大学に行くのだから、
自分の子どもだけ行かせないわけにはいかないと、右へならえさせます。
(略)
中高年のサラリーマンが、無理をして
パソコンのキーボードと格闘しているのも、似たようなことです。
(略)
「みんながやっているから自分も」とはじめた人で、
モノになったというケースはあまり耳にしたことがありません。
そんなことなら最初から、「みんながやっているから私はやらない」と
逆の発想で別のことに取り組んだほうが、楽しみも倍加します。
ほかにも書いたことですが、今やもう、
何でもできるユーティリティプレーヤーが求められる時代ではなく、
特定分野のエキスパートが求められる時代です。
そろそろ、「みんながやっているから私も…」式の考えをやめて
発想を切り換えてみてはどうでしょう。
そうすれば、自分の世界がどんどん広がっていくことに気づくはずです。

●自分だけの時間をたくさんつくることで、人生を楽しく生きる
(略)
多くの人は、いくら忙しいといっても、
毎晩九時、十時まで仕事をしているなどということはないはずです。
その時間は、会社の同僚と飲んだり、家に帰っているとすれば、
テレビを見てのんびりしているという人がほとんどではないでしょうか。
すこしでも時間を有効に使いたいと思ったら、
このようにダラダラと飲んだりテレビを見たりするのをやめ、
さっさと眠ってしまえばいいのです。
その時間に眠れば、四時に起きるのもそれほど苦にはならないでしょう。
時間を最大限有効に使おうと思えば、
そのくらいのことはどうしてもしなければなりません。
それが結局、人生を楽しく生きることにつながるのです。
私も分眠法を採用してからはほとんどテレビを見なくなりました。
(略)
今のような高度情報化時代にあっては、
どんなに時間があってもこれで十分ということはありません。
情報があり余っている時代ですから、
すべてにつきあっていたら眠る時間もなくなってしまうでしょう。
そこで重要なのはやはり、何を捨て何を拾うかということ、
そして限られた時間をいかに効率よく使うか、
このふたつに尽きるといっても過言ではありません。

=========================

今日も、さらっと読めたのではないでしょうか?

まず、前半部分。
私は昔から、流行には踊らされない性質なので、
「右向け右」とか「右へならえ」的な生き方をしてきませんでした。
周りと同じ…という生き方は、安心を得るためには良いかもしれません。
しかし、「十把一絡げ」の一把になることを、自ら選択するようなもの。
そんな生き方って、私には「面白い」とは思えないのです。
だから、「敢えて」逆を行く選択を繰り返してきたように思います。

「一般的」であったり、「普通」ではないかもしれないけれど、
こういった生き方を選択するには、それ相応の勇気と覚悟が要ります。
最悪「貧乏」や「一人ぼっち」になっても仕方がない…という「覚悟」が。
だけど、こういう生き方を積み重ねてくると、「自信」が付いてくるのです。
誰かに依存して生きているのではなく、自分の信念や価値観に身を委ね、
まだ誰も足を踏み入れていない新しい世界を自分で切り開いている…
という実感が、自信を強くし、人生を面白いものにしてくれるのです。
そして、「自分らしさ」という「自分軸」が明確に芯となっていくのです。

続いて、後半部分。
時間の有効な利用法について、書かれていますね。
何度もお話しているかとは思いますが、私はここ数年、
極端な早寝早起きと、テレビのない生活を送っています。
著者が言うように、さっさと寝てしまえば、早起きは苦ではありません。
私の場合、夜8時半頃に寝てしまうことも多く、
そのような場合には、午前3時台には目を覚まします。
十分な睡眠を取れているので、頭は超スッキリ!
早起きした後は、読書や書き物、家事など、何でもこなせます。

怠惰に生きる人にも、勤勉に生きる人にも、1日は24時間です。
平等に与えられているわけで、この時間をいかに有効に使うか、
それぞれの選択に任されているというわけです。
だからこそ、著者の言うように、
・何を捨て何を拾うか
・限られた時間をいかに効率よく使うか
ということを熟慮し、残された人生を実りあるものにするため、
日々、邁進していきたいと思います。

これにて、こちらの本のご紹介は終わりです。




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時代に遅れない「頭の体操」

2019/02/07 (木)  カテゴリー/本のご紹介

節分も終わり、いよいよ春に向かって季節が進むこの季節。
幼稚園や学校では、卒業式の準備に追われる時期でもあります。
色々なものが芽吹いてくる、嬉しく楽しい季節でもあります。

さて、今日からご紹介するのはこちらの本。

人生 頭の体操


心理学者で、累計部数1200万部を超えるベストセラーとなった
「頭の体操」シリーズの著者、多湖輝氏の1冊です。

今日と次回は、こちらの本の中から印象的だった個所をご紹介します。

====================

1 時代に遅れない「頭の体操」
●新聞・週刊誌・テレビ・インターネットの「頭の体操」的見方、読み方
(略)
ちょっと踏み止まって考えなければいけないことは、
洪水のようにやってくる情報をどう処理し、整理していくのかの問題です。
価値観がすっかり変化した中で、情報に流されるまま漫然と過ごしていると、
自分のアイデンティティを失ってしまう恐れがあるからです。
テレビを見ていても憂鬱、見なくても憂鬱という思いにとらわれたら、
一度すべての情報源を遮断してしまってはどうでしょう。
そう考えて私は、一度新聞をすべて止めてみました。
テレビもほとんど見ませんでした。
そういう試みをやってみますと、
巷にあふれる情報源のそれぞれの役割が見えてくるものです。
(略)


2 生きがいを見つける「頭の体操」
●独自性を保つための情報の切り捨て
(略)
ここまでの情報過多の時代になると、
むしろ情報を切り捨てる勇気を持つことこそ、
そういう生き方への頭の切り替えこそが、
自分の独自性を保つために必要になってくるでしょう。

●問題にのめり込んだとき必要な「棚上げ・幕引き思考」
(略)
自分が何かにのめり込んでいると感じたときは、
問題の途中でも棚上げをしてしまって、
一回幕引きをしてみることは大事なことだと思います。
頭の悪いやり方は、いつまでもそれを追い続けることで、
結局は自滅するしかないところまでいってしまうことです。
一回降りたからと言って、復活してはいけないということではありません。
立ち止まって、何かの可能性や戦術を探って、
見通しをしっかりと読んでからでも遅くはないと言いたいのです。
日本の企業、人々の生き方の中に、
こうした視野の狭さは、随所に見受けられます。
それはまるで、目の前の柵のうしろにエサを置かれたひよこのようです。
ひよこは目の前のエサから、
離れることができませんからやがて飢え死にしてしまいます。
すこし「頭の体操」ができれば、ちょっと下がって全体を見渡して、
柵の裏側に回ってエサを獲得することができるのです。
(略)

====================

「情報に流されるまま漫然と過ごしていると、
 自分のアイデンティティを失ってしまう」と警鐘を鳴らしておられますが、
実はこの本、1997年12月に出版されたもの。
20年ほど前に世に出たものですが、まさに今の状況に当てはまります。

自分の価値基準などを「世間」に決め付けられるのが嫌で、
著者の「一度すべての情報源を遮断してしまってはどうでしょう」
という提案を知る前に、既に私はそのような生活をするようになりました。
テレビもない、新聞も読まない、
インターネットもつながない、スマホも持たない…。
一旦、「情報化社会」の外に身を置くと、
そういう社会に埋没していた時には見えなかったものが、
自然とたくさん見えるようになってきます。
これまで「必要だ」と思っていたものが、実は必要ではなく、
単に、そう思い込まされてしまっていただけだ…ということもわかります。
「情報」というのは、その裏に「心理学」が利用されているものが多く、
情報を受け取るこちら側が、情報を送り出す側に操作されている…
ということも、簡単にわかるようになります。
操られないためには、そういった情報と接触しないことが大切です。

「自分らしく」「自由に」生きるためには、
世の中の動向など気にする必要はありません。
日本人から愛される「良寛さん」も、仏教の開祖であるお釈迦さまも、
アシジの聖フランシスコも、裕福な家に生まれた人たちばかり。
何故、そのような生活を捨てて、厭世的な生き方を探求したのか。
興味のある方は、是非彼らについて書かれた本を読んでみて下さい。

「何事も途中で投げ出すな!」なんて言われて、私たちは育ちました。
しかし、そういう価値観も、自分で作り上げたものではなく、
世間や親が一方的に押し付けてきたものです。
著者が言うように「問題の途中でも棚上げをしてしまって、
一回幕引きをしてみる」こと、つまり、
その問題から少し距離を取って、俯瞰してみることも大切なのです。
目の前しか見えない視野狭窄の状態は、危険です。
色々な方法や抜け道があるのに、それを見ようともせず、
一心不乱に直進ばかりしようとすると、いずれ自滅するのです。

次回も、こちらの本からのご紹介です。




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