幸せの絶対的な基準を持つ

2018/09/18 (火)  カテゴリー/本のご紹介

今日、ご紹介する個所も、私が激しく共感できたところです。
本当に、こちらの本はお勧めなのです!
では、ご覧下さいませ。

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第一章 「今」と向き合う~自然体になれる強さを手に入れる
◆幸せの絶対的な基準を持つ
なぜ、自然体で生きていくことが必要なのか。
もちろん、穏やかで、幸せな人生を手に入れることができるから、
であるが、ではなぜそんなことが可能になるのか。
自分の世界に向かえば向かうほど、
純度の高い自分の人生を生きていくことができるからである。
世の中に貢献し、生きがいを見つけたい、と語る人は少なくない。
しかしその前に、自分に与えられた人生というものについて、
しっかり自分と向き合い、いかに成熟したものにできるか、
という問いかけが先にくると私は考えている。
そうでなければ、社会に何かを提供することなど、果たしてできるだろうか。

相手への喜びや社会への貢献はもちろん大切である。
(略) 
しかし、前提条件としてなければならないのは、
自分自身が幸せをしっかり享受できていなければいけない、ということだ。
そうでなければ、自分が提供する者に対して、必ず対価を求めてしまうようになる。
自分自身が、圧倒的な幸せを感じていれば、そんなことはなくなる。
だからこそ重要なのが、自分自身で幸せの絶対的な基準を確立させることだ。
(略)

1億円の資産の人は、ある人から見れば幸せに見える。
しかし、彼は100億円の資産の人を前にすれば、果たしてどうだろう。
一流企業も同じだ。実は、きりがないのである。
金銭やモノによる価値基準は、極めて相対的なものなのだ。
実際、巨額の資産を持ちながら幸せを感じられない人は少なくない。
しかも、社会的な基準はどんどん変化していくのだ。
こうしたものを幸せの基準として持ってしまうと、
常に社会に振り回され、自分で完結ができない。
それこそ、家族が一緒にいて、
ご飯を食べることだけでも充分幸せだと思う人は、
もしかすると、1億円の資産を持つ人よりも、
人気企業に勤める人よりも幸せかもしれない。
余計な欲を持つこと、誰かが設定した基準を意識してしまうことだけで、
幸せは遠ざかっていくことも多いのだ。
幸せの基準を自分で設定できる人こそ、自分をコントロールできる人なのである。

だが、それは基準を下げれば幸せになれる、ということではない。
(略) 
むしろ、幸せの基準は上げるべきだ。それは難しいことではない。
幸せの基準の再設定は自分のなかで完結できるのだから。
それこそ、純度の高い自分の人生を生きていく、
人生を成熟させていく、ということだ。
問われるのは、自分自身、なのである。
実のところ、生きていく上での最大の喜びは、自分自身の成長実感に他ならない。
これは多くの社会人が納得するところだと思う。
そしてこれは、社会の中での成功とか、お金持ちとか、
そういう次元を超えたものだ。
このことに早く気づけた人は強い。
そして自分をより成熟した状態にもっていくことこそが、
すなわち大きな幸福を生むのだ。
だからこそ、まずは自分の未熟さを理解しないといけない。
その未熟な自分が、成熟に向かうことを実感できたとき、
大きな喜びを感じることができるのだ。
人間として自分を深め、知識や教養を得、
人生の意味について深く理解をし、自分自身について知ろうとし、
他者についてより深く理解する感性を得、思考力や行動力を手に入れていく。
こうした実感こそ、大きな幸せなのである。

必要なことは、何より自身の成長を意識することだ。
未熟から成長に向かうプロセスこそ、生きる意味だと気づくことである。
これを懸命に続けられた人生こそ、素晴らしい人生だと私は思っている。
本当の幸せは、この過程にこそ潜んでいる。
薄っぺらな物欲の満足や、基準が社会にある自己顕示欲の充足、
さらには実は本来の自分が願ってもいなかった自己実現に、
幸せが潜んでいるわけではないのだ。

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自分に自信のない人ほど、自分を大きく見せたがります。
ありのままの自分にOKを出せる人は、自然体で生きられるのです。

私もここ数年、自分としっかりと向き合い、自分の人生について深く考え、
自分に与えられた才能や技能、経験をどう活かせば、
社会貢献につながるか、その答えを探し、そして見つけました。

誰かを幸せにしたいなら、まず、自分を幸せにしてあげることの大切さ。
そんなことをすっかり忘れて暮らすのが当たり前だった生活を見直し、
自分を大切に、自分を愛してあげることを最優先にできたからこそ、
他人を本当に大切にでき、愛することができるようになったのです。

自分にとって、何が幸せなのか。
社会の基準や流行なんてものは、全く関係ありません。
自分基準の幸せさえ確立できれば、本当の幸せはグッと近づきます。
そのために「足るを知る」ということを、自分のものとすることも大切。

「生きていく上での最大の喜びは、自分自身の成長実感に他ならない」
と書かれていますが、これ、私も激しく同意!!
きっと、皆さんも実感されたことがおありだと思います。

「人間として自分を深め、知識や教養を得、
 人生の意味について深く理解をし、自分自身について知ろうとし、
 他者についてより深く理解する感性を得、思考力や行動力を手に入れていく。
 こうした実感こそ、大きな幸せなのである」
ここ数年、私が積み重ねてきたことから、著者の言葉を実感しています。

「未熟から成長に向かうプロセスこそ、生きる意味だと気づくことである。
 これを懸命に続けられた人生こそ、素晴らしい人生だと私は思っている。
 本当の幸せは、この過程にこそ潜んでいる」
本当に、その通りです。
自分が成長しているという実感が持てる。この年齢で。(笑)
人生の折り返し地点を過ぎてもなお、向上心を持ちさえすれば、
いつからでも人はまた成長することができるのです。
そして、自分自身が成長した実感を持てることが、幸せそのものなのです。

誰かに認めてもらう必要などありません。
自分が「成長している」という実感が持てること、これが一番大切。
成長すると、考え方も変わります。視野も広がります。
他人に対する愛が自然に生まれます。

「幸せになりたい!」と強く願えば、幸せへ向かって動き出すのです。
きっと。




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自分と向き合い、悩みなさい

2018/09/12 (水)  カテゴリー/本のご紹介

さて、今日からは新しい本をご紹介します。
それは、こちら。

媚びない人生


ここ数年、相当の数の本を読んできましたが、
その中でも、ベスト10には余裕で入る良書だと思います。

今日は、こちらの本の「はじめに」から、ご紹介したいと思います。

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◆はじめに 
   自分と向き合い、悩みなさい。
   そして、どんな瞬間においても、自分のことを信じなさい

今も私が間違いないと思うのは、孤独な体験や苦しい体験は、
後の自分を強くし、幸せにしてくれる、ということだ。
自分と向き合い、多くの書物に接するなかで、
私は幼くして、たくさんの発見をすることになった。
自分自身、さらには周囲について、シビアに見つける機会を得た。
また、生きていく上で何が一番大切なのか、ということにも気づくに至った。
例えば、世の中というものが、いかにうさん臭いか。
簡単に信じてはいけないものか。
常識や真実といったものの、いい加減さ。
私が思ったのは、自分をしっかり持たなければ、
こういった物に簡単に翻弄されてしまうのが、世の中だということである。
そして、そんな羽目に陥っては、思うような人生を生きることはできないということだ。
強くなければ、実は本当に自分が求める人生を生きていくことはできない。
強さを身につけることで初めて、得られるものがある。実はやさしさもそうである。

そして人生の本質は、未熟から成熟に向かうことにこそある、と知った。
人は何のために生きるのか。
自分らしく成長するためにこそ、生きるのだ。
そのためにも大事なことは、自然体で生きていくこと。
自分らしい人生を生きていくことである。
それは、自分自身が理想とする自分と、
そのときどきの自分とのギャップを埋めることでもある。
(略)

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私もこの数年間、ただひたすらに自分と向き合い、自分と対話し、
様々な境地に至り、色々なことに開眼してきました。

読書というのは、単なる趣味ということでななく、
多くの先人たちから、たくさんのことを学ぶ機会だと言えます。
書かれている内容から、知らなかったことを知ったり、
あるいは、これまで気にせずに生きてきたことに疑問を持ったり、
自分の視点が変わったり、自分自身を変革することに繋がります。

その中で、「自分とはなんぞや」「生きるとは何ぞや」「人生の意味とは」など、
多くの疑問が生じ、また、その答えを出そうと奮闘するのです。
そして、最後には、自分でしか出せない答えに出合うのです。

こちらの本は、本当に素晴らしいことがたくさん書かれています。
次回から、少しずつご紹介したいと思います。




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「いい加減」に生きる

2018/09/06 (木)  カテゴリー/本のご紹介

さて、今日もあちらの本からのご紹介です。
「幸福」についての考察です。

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第5章 「いい加減」に生きる
●宗教とは「幸福学」のこと
(略)
物質的な意味ではわたしたちは十分満たされています。
しかし、なぜか物質的に満ち足りているにもかかわらず、
逆に何となく心が満たされていません。
「本当にみなさん、幸福ですか?」と、尋ねられて
「はい、幸福です」と胸を張って答えられる人は数が少ないのではありませんか。
九十パーセントまでが物質的には豊かな生活をしていながら、
何となく不幸だなー、まだ幸福ではないと思っているのが
いまの日本ではないかと思えてなりません。
この意味でわたしたちが大きな間違いをしたのは、
実は戦後の日本人は宗教をもたずにやってきたから、
間違いをしでかしたのだとわたしは思っています。
なぜかというと、宗教が幸福学だからです。
宗教というものは、本当の幸福とは何かをしっかり教えてくれるものです。
一体幸福って何ですか? 
その幸福の定義をちゃんとくだしているのが宗教なんだし、
その定義にしたがって、どうしたら幸福になれるかを教えてくれているのが宗教です。
ところが戦後の日本人は宗教をもたずにやってきました。
戦後の日本人は宗教アレルギーで、
学校では宗教教育をしてはいけないなどというふうになってしまいました。
宗教のない教育なんて、あり得るでしょうか。
だが、ともかく日本人は、宗教はいやなものだ、宗教は悪いものだ、と思って、
宗教なしでやってきました。
だからはじめに、幸福っていったい何なのかと定義していないのです。
わたしたちは何が幸福だと定義しないまま、
ただ物質的に豊かになれば、経済的に発展すれば
幸福になれるのではないかということでやってきました。
ところがキリスト教で見ると、イエス・キリストは、はっきり言っています。
「幸いなるかな貧しき者」。
そして、「金持ちが天国に入るには、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」と。
要するに金持ちになったら天国に入れませんと、はっきりイエスは言っているのです。
(略)
宗教は貧しいほうが幸せなんだと教えているのに、わたしたちは宗教を否定したから、
物が豊かになったほうが幸福になれるのではないかなどと、
実にイエスの教えからはまったく逆な道へ行ったのです。
北へ向いて歩かなければならないのに、南へ行ってしまったので、
幸福になれないのはあたりまえです。

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「戦後の日本人は宗教をもたずにやってきたから、
 間違いをしでかしたのだとわたしは思っています」
「なぜかというと、宗教が幸福学だからです」
「宗教というものは、本当の幸福とは何かをしっかり教えてくれるものです」
とありましたが、本当にその通りではないかと思います。

オランダで暮らしているとき、
本当の意味でのキリスト教徒は少なかったかもしれませんが、
それでもやはり、国家が聖書に基づいて動いている感覚がありました。
そしてそれは、忌み嫌う必要のないものでした。

「幸福の定義をちゃんとくだしているのが宗教」
「その定義にしたがって、どうしたら幸福になれるかを教えてくれているのが宗教」
というのも、納得させられました。

戦後の日本は、宗教を持たなかったがゆえに、
「幸せ」とはなんぞや…という定義をせずに来てしまったから、
今の状況に陥ってしまったのではないでしょうか。

私たちは既に、
「モノをたくさん持ったからといって、幸せになれない」ということを、
体験的に知っていると思います。
だからこそ、多くのミニマリストたちや、
田舎暮らしがしたいという人が増えたのでしょう。

「本当の幸せとは?」 …ということを、国家が規定する必要はないですが、
今の日本にはベースとなる宗教感がなわけですから、
各々が独自の「幸せの定義」を持つ必要があるのでしょうね。
それはもちろん、「物質的」なものに基づくものではありません。

これにて、この本のご紹介は終了です。




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多数意見が正しいと思ってしまうと恐い

2018/08/31 (金)  カテゴリー/本のご紹介

早いもので、8月も今日で終わり。
明日からは9月。私の誕生月です。(笑)

今日からご紹介するのは、こちら。

逆説的生き方のすすめ


大阪の北野高校から東京大学へ進まれた
宗教評論家でいらっしゃる、ひろさちや氏の著書です。

では、こちらの本の中から印象的だった個所をご紹介します。

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第3章 世間の目など気にしない
●多数意見が正しいと思ってしまうと恐い
(略)
最近の世の中の風潮として、他人の意見を聞いて、
それを「数字」に還元・処理してしまう傾向が強いことも気になります。
新聞などの世論調査がそうだし、テレビの番組にもそういうものがあります。
他人の意見を聞くことは悪いことではありません。
しかし、それを簡単に「数字」にしてしまうのは、
それにともなう弊害が大きいことに注意すべきです。
人々の意見を「数字」にしてしまえば、多数意見と少数意見に分かれます。
そうなると人間は弱いもので、
どうしても多数意見のほうが正しいと思ってしまいます。
よほど強い理性を持っていないと、
わたしたちはついつい多数意見に迎合してしまいます。
(略)
わたしたちは、多数意見が正しい、といった判断をやめるべきだし、
人々の意見を不必要に「数字」に還元してしまうやり方もやめるべきです。
わたしは「数字」に還元しないことが、真の意見尊重だと考えています。
(略)

●自分の「異見」をもたないステレオ・タイプはとり残される
日本人の悪い癖として、
「相手は誤った見解を持っている。それを訂正してやらねばならない」
と思ってしまうことがあります。
他人を説得するとき、これでは説得は成功しません。
それというのも相手もまた同じ考えをもっているからです。
(略)
わたしたち日本人は何かものを言うとき、
一つのヴァージョンをもったとらえ方がなかなかできません。
日本人がものを言うときには、
他人の考え方や口調を借りて言っているように聞こえます。
わたしたちはその日の新聞で読み、
テレビで聞いた意見をさも自分の意見のように語っている傾向があります。
みんな本当に判で押したような、画一的な意見です。
ところがイギリス人の場合、
「それぞれの人間が、それぞれ自分の意見をもつ権利を有しています」と考えます。
それに比べ、日本人は異見をもたぬステレオ・タイプの民族です。
自分がどう聞き、どうとらえるかという主体性がありません。
(略)

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海外で暮らしているときって、日本を外から見られるために、
今まで「井の中の蛙」でしかなかった自分を、客観的に見られるようになります。

今回ご紹介した個所って、日本人らしさを正確に指摘しておられるように思います。
「多数意見のほうが正しいと思って」しまうのは、日本人の傾向でしょう。
自分軸のない人が多いから、他人軸に頼ろうとする。
その際、少数派では心もとないから、多数派に属したいと思ってしまう。

「私は私」「あなたはあなた」という考えが、どうも日本人は苦手なようです。
私は昔から、「自分は自分」という考えの強い人間で、
流行を追うこともせず、自分が面白い(興味が持てる)と思うことを優先してきました。
だから、会社員になることもなかったし、本当にたくさんの職種を経験しました。
1つのことを突き詰めることも素晴らしいけれど、
たくさんの種類の仕事を経験することも、これはこれで素晴らしいですよ。
だって、普通なら繋げようのない職種を繋ぐアイデアが生まれるし。
一般的なパターンに固執しないから、柔軟な発想ができるんです。

「あなたはそうなんですね。でも、わたしはこうなんです」
という主張が、なかなか認められにくい日本。
自分軸がしっかりしている人ほど、生きにくく感じます。

次回も、こちらの本からご紹介します。




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ほんとうの幸せとは

2018/08/25 (土)  カテゴリー/本のご紹介

現在、ご紹介中のこちらの本。

泥があるから、花は咲く


「ためになるわ~♪」と思って読んで下さっていますでしょうか。
今日もとっても良いお話しなので、少し長いですがご紹介します。

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第五章 ほんとうの幸せとは

●持ち物に目をうばわれず、持ち主である私の生き方を正す

人生は「幸せを求めての旅」といってもよい一面があるでしょう。
何を幸せとするか。
択ぶ眼の深さ、高さで、
その人の人生は決まるといってもよいのではないでしょうか。
お釈迦さまがご在世の頃の話です。
ビンズル尊者とウダエン王は幼なじみでした。
一方はすべてを捨てて出家され、お釈迦様のお弟子となり、
ご修行の末、ビンズル尊者と呼ばれるような聖者となられました。
一方はいくつかの国を征服して、ならびなき大王になられたのです。
あるとき、ビンズル尊者が故郷のコーサミーを訪れ、
林中で坐禅をしているということを伝え聞いたウエダン王は、
多くの家来や女官をしたがえ、美々しく王としての装いをととのえて尊者を訪ね、
こういいました。
「私は今、諸国を征服して、その威徳の盛んなことは天日のごとくである。
 頭には天冠をいただき、身には瓔珞をまとい、
 多くの美女たちも左右にかしずいている。どうだ、羨ましくないか」
尊者はたった一言、「吾に羨心なし」と答えられました。
「ちっとも羨ましくないよ」というのです。
ビンズル尊者とウダエン王と、幸せの中身が大きく違っていることに気づきます。
ルソーは『エミール』の中で、
「人間は誰でも、王者であろうと貴族であろうと大富豪であろうと、
 生まれる時には裸で貧しく生まれて来、
 そして死ぬ時にも、裸で貧しく死んでゆかねばならない。
 このしばらくの中間を、さまざまな着物を着る。
 女王のような華やかな着物、乞食という衣装、僧服、金持ち、社長、美人、
 さらには主義とか自惚れとか劣等感とか。すべて衣装。
 ほとんどの人がこの衣装にばかり目を奪われて一生を終わる。
 すべてを脱ぎ捨てて裸の私自身をどうするかを、
 まったく忘れてしまっている」と語っています。
裸で生まれて、裸で死んでゆく。
そのしばらくの間、小さいときはガラガラの玩具ぐらいで満足していたものが、
成人するほどに自動車がほしくなり、異性がほしくなり、
金がほしくなり、名誉がほしくなる……。
年齢と共にほしくなるものが変わり、手に入れたといって酔っぱらい、
のぼせあがり、失ったといって落ち込んだりしながら一生を終えてゆきます。
着がえてゆく衣装、持ち変えてゆく持ちものにばかり心うばわれ、
持ち主である私、衣装の着手である私自身の、それも今日只今をどう生きたらよいか、
などということは思いつきもしないままに。
北海道の浄土真宗のお寺の奥さまで、癌の転々移のために、
四十七歳の若さで逝った鈴木章子さんの言葉に耳を傾けてみましょう。
「病院で気づかされたことは、
 お金も、肩書も地位も、何も役に立たないということでした。
 ベッドで横になった、まるごと人間がそこにいるだけです。
 そしてその人間の心の中に、何がつまっているかということが
 一番問題なんだということが、はっきりわかりました」
(略)いかなる名誉も財産も病や死の前には、
まったくの無力であることが思い知らされたのです。(略)
ウダエン王が幸せと思い、酔っぱらい、のぼせあがっている中身は、
財産や名誉などのいわゆる持ち物に過ぎないのであり、
いざというときおいていくものばかり。
ビンズル尊者はそういう持ち物への酔いが覚めていたからこそ、
「吾に羨心なし」とさわやかに答えることができたのです。
(略)

==============================

「人間は誰でも、生まれる時には裸で貧しく生まれて来、
 そして死ぬ時にも、裸で貧しく死んでゆかねばならない」

「着がえてゆく衣装、持ち変えてゆく持ちものにばかり心うばわれ、
 持ち主である私、衣装の着手である私自身の、それも今日只今をどう生きたらよいか、
 などということは思いつきもしない」

「お金も、肩書も地位も、何も役に立たない」
「人間の心の中に、何がつまっているかということが 一番問題」

「いかなる名誉も財産も病や死の前には、 まったくの無力である」

本当に、その通りだと思います。
この世に置いていかなければならないもののために、
私たちがどれほど人生を無駄にしているのか。

死んだ時、あの世へ持って行けるもの、
つまり、自分の中に何を詰めるのか…ということが重要なのです。
人生のゴールに向かって、この世限りのことに執着するのではなく、
あの世へ持って行けるもののために、自分を磨きたいと思います。

これにて、こちらの本のご紹介は終わりです。
本当に、とっても素敵な本でしたので、是非全編を読んで頂きたいと思います。




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