「自分の頭で考えられる」ことが教養

2018/04/03 (火)  カテゴリー/本のご紹介

4月に入りました~!
なんと、今年ももう既に4分の1が終わってしまいました。(汗)
桜も狂い咲きし、夏日まであった3月も過ぎ、
今月から新たなスタートを切った方も多いでしょうね。

さて、今日からご紹介するのはこちらの本。

人生を面白くする 本物の教養 (幻冬舎新書)


著者は、皆さんもご存じのライフネット生命の創業者である出口 治明氏。
松下幸之助氏や稲森和夫氏が書かれた本に比べると、
正直、「あと一歩!」という感は否めませんが、なかなかの良書だと思います。

それでは今日はこの本の中から、「教養」について書かれた個所をご紹介します。

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第1章 教養とは何か?
◎「自分の頭で考えられる」ことが教養
教養のもう一つの本質は、「自分の頭で考える」ことにあります。
著名な科学史家の山本義隆氏は、勉強の目的について
「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、
 要するにものごとを自分の頭で考え、
 自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。
 たったそれだけのことです。そのために勉強するのです」と語っています。
この当たり前のことが、案外置き去りにされている気がします。
(略)

◎意見が決められないのは「考え不足」が原因
そもそも、意見を決められないとき、
私たちはどのくらいその問題について真剣に考えているでしょうか。
そのテーマに関する本の1冊も読んでいるでしょうか。
たいして考えることのないままに、
「決められない」と言っているだけではないでしょうか。
日本人の教養不足の一因は、このような「手抜き」にあるように思います。
端的にいえば、勉強不足です。
わずかな努力を惜しんで、
お手軽な「答え」に乗っかろうとする風潮が強すぎます。
これでは「自分の頭で考える」ことなど夢物語です。
また、日本人は、まさか第二次世界大戦での敗戦の記憶を
拭い去りたいためではないでしょうが、
何事につけ「あっさり」している傾向もあるように思います。
一つのことを粘り強く考えるということをあまり好みません。
むしろ、しつこく考える人は嫌われる雰囲気さえあります。
そのため、何かのテーマがじっくりと追究されることがありません。
いっときは人々の関心が高まったとしても、
すぐに興味は失われ、忘れられてしまいます。
(略)
関心がいつも流行っていることの表面的な部分にとどまっていたら、
「決められない」のも当たり前です。
私たちは自分たちの飽きっぽさをもう少し自覚する必要があります。

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今日ご紹介した個所に、私は「そうそう!」と共感したのですが、
概して日本人は、「自分で考える」=「自分で責任を取る」という
人として至極当然のことを避ける傾向があるように思えていたからです。

第一に、「責任を取りたくない」という気持ちからスタートするため、
多数派の意見に乗っかっていれば安泰…という思いから、
「自分で深く考える」ことを避けているように思うのです。

深く考えるためには、やはり多くの勉強をすることが大切。
もちろん、知識を増やすことのみならず、経験を増やすことも大切です。
この積み重ねがあってこそ、人間は深い洞察ができるようになるわけです。

なのに、「責任を取りたくない」から「勉強しない」という自分の生き方を、
恥じもせずに肯定しているようでは、人間が「浅い」ままで成長できません。

大勢に流されず、自分の頭でしっかり考えるために必要なのは、
日々漫然と生活をすることではなく、昨日よりも今日、今日よりも明日、
少しでも「成長」できるように努力し、学び続けることではないでしょうか。




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反対のための反対

2018/04/09 (月)  カテゴリー/本のご紹介

さて今日は、以前から私が気になっていたことを、
ズバッと書いておられる個所をご紹介したいと思います。
正直、この個所を読んだ時、爽快な気分になりました。(笑)
皆さんは、どのように感じられるでしょうか?

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◎「反対のための反対」に陥っていないか?
「反対のための反対」は、社会的な立場の高い人にもよく見られます。
一部の政治家がその典型です。
威勢よく反対すれば支持が得られると勘違いしているためか、
ともかく声高に反対を唱えることがよくあります。
しかし、そのような政治家のほとんどは、攻守ところを変えて
「では、おまえがやってみろ」となったら、
おそらく適切な解を見出すことができないでしょう。
反対のための反対をしている人は、ほとんどの場合、
問題の全体像が見えていないのです。
ごく部分的な矛盾をとらえて反対の声を上げているにすぎません。
ところが、本人にはその自覚のないことが多く、
「おかしい」「変だ」と思うことを精一杯指摘しているつもりなので、
なおさら厄介です。
やる気だけが満ちているので、周りは振り回されるばかりです。
本人に悪気はないとしても、こういうタイプの人は結局のところ、無責任です。
部分部分では的確な主張をするのでいっときは共感を集めることもありますが、
決して本当の教養があるとは思えません。
「人間社会とは、いびつな欠片が集まって一つの安定状態を形成するもの」なのです。
大事なのは「いびつな欠片」を指摘することではなく、
全体としての「安定状態」を把握することです。

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声高に、「弱者救済!」「障害者保護!」「貧困層保護!」と、
素晴らしい社会貢献活動を繰り返しておられる方たちが、たくさんおられます。
一見すれば、本当に「いいこと」をしておられるようでもあり、
そういう活動をしておられる方々も、そう思い込んでおられるため、
本文中の言葉をお借りすれば、「なおさら厄介」だと私も思っていました。

「弱者や障害者、貧困層は、守ってあげなくてはならない存在ではない」
…なんてことを主張するつもりは毛頭ありません。
守ってあげるべき人々であることは、間違いないでしょう。
ただ、そちら側に100%心を寄せるばかりではなく、
彼らのために、振り回されたり、負担を背負わされたり、
被害に遭っている人たちが実際にはいらっしゃるわけで、
そういった人たちを蔑ろにするのは、正直、如何なものか? と思っているわけです。

私だって、明日、守ってもらうべき立場に立たされるかもしれないわけで、
守るべき立場にいられることの幸せを噛みしめよう…と思う気持ちは当然あります。
しかし、「守られるべき立場」に胡坐をかいてしまうのは、どうなのでしょう。
「彼らを守るべき立場」にある人たちにも、
同じように思いを寄せる必要があるのではないでしょうか。

「反対のための反対」をする人たちは、確かに「いい人たち」に見えます。
「正義感」の強い、真っ当な人たちだという印象を、最初は受けます。
でも、本文中にあったように、
“攻守ところを変えて 「では、おまえがやってみろ」となったら、
 おそらく適切な解を見出すことができないでしょう。
 反対のための反対をしている人は、ほとんどの場合、
 問題の全体像が見えていないのです。
 ごく部分的な矛盾をとらえて反対の声を上げているにすぎません”
というのは、本当にその通りだなあと思うのです。

皆さんは、どのように思われるでしょうか?




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重要なのは「自分の意見」を持っていること

2018/04/15 (日)  カテゴリー/本のご紹介

今日ご紹介する個所は、海外生活を経験されたことのある日本人の方には、
結構、共感して頂ける内容ではないかな~? なんて思っています。
ずっと日本でしか暮らしたことのない人には、ピンとこないでしょうか?
とても大切なことが書かれていると思います。

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第2章 日本のリーダー層は勉強が足りない
◎決定的に重要なのは「自分の意見」を持っていること
「ボキャブラリー」があって「広く、ある程度深い知識」を持っていても、
それだけではまだ十分ではありません。
それらに加えて「自分の意見」を持っていることが決定的に重要です。
日本では、知識自体は豊富でも、
「自分の意見」を言えない人がたくさんいます。
あれこれ評論家のように語ることはできても、
その問題についてあなた自身はどう考えますか、と尋ねると、
それまでの舌鋒がともすれば鈍りがちになります。
日本にはもともと、「異論」を論じにくい風潮があります。
周りと同じ意見、同じ考えの方が生きやすいというか、
摩擦が生じなくていいと思われているふしがあります。
それがさらに「みんなで一緒に」とか「一つになって」という
一種のスローガンとして、叫ばれたりします。
しかし、異論が存在できない社会はきわめて不健全です。
世界では、ユニークなものの見方やパーソナリティが際立った考え方は、
それだけで一目も二目も置かれます。
彼らは「こんなことを言ったら恥ずかしいのでは、
周囲から浮いてしまうのでは」などとは金輪際考えません。
むしろ、いっぱしの大人が「自分の意見」の一つも
持たないほうが恥だと思っています。
「自分の意見」をもとに自分の生き方を追求し、
自分の人生を謳歌することが彼らの理想です。
「自分の意見」がないことは、
自分の人生の基盤を持っていないこととほぼイコールなのです。

◎学生が勉強しないのは会社がそれを求めないから
欧米の学生たちが意欲的なのは、
一つに、大学の学費がたいへん高いからです。
加えてほとんどの学生は借金をして大学へ通っています。
日本では親が学費の面倒を見るのが一般的ですが、
アメリカでは親はお金を出しません。
大学へ行きたければ、自分で銀行のローンを組むなりして
学費を捻出しなければならないのです。
するとどうなるでしょうか。
借金をしてまで大学へ通っているのですから、
「元を取らなければ何の意味もない」というインセンティブが強く働きます。
必死に勉強し、将来性のある仕事に就いて、
早く借金を返さなくてはいけないという切実な事情が生まれます。
企業(就職先)が学生たちの勉強を促しているという面もあります。
欧米の企業は、大学の成績を重視して原則卒業後に採用を決めます。
どのような理由で大学、学部を選び、
成績はどうだったかをちゃんと説明させて、人物鑑定をします。
(略)
自分で選んだ分野(大学)で優れたパフォーマンス(成績)を挙げた人は、
自分で選んだ仕事でも優れた成果を示す可能性が高いでしょう。
(略)

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まず、前半部分。
“「自分の意見」を持っていることが決定的に重要”
“「自分の意見」がないことは、
 自分の人生の基盤を持っていないこととほぼイコール”
とありましたが、本当にその通りだと思います。
周りと調和することばかり考えて、自分の意見(それが異論であっても)、
主張できないのであるとすれば、本当に不健全だと思います。
おそらく、自分自身をモニターできない日本人が多いのではないかと思います。
そもそも、考えることが面倒で、他人の意見に迎合してしまったり。
そんな人に限って、文句だけは一丁前に言ったりするんですよね。(汗)

そして、後半部分。
私の場合は、国立大学の学費だけは親に負担してもらいましたが、
仕送りが一切なかったため、生活費は全額自分で働きながら稼ぎ、
4年の大学生活を終えた経験があるので、この個所には強く同意します。
私も「これだけ苦労して大学に行っているのだから、元を取らねば!」という思いが、
相当強かったこともあり、卒業に必要な単位以上の授業を選択し、勉強しました。
周りの学生よりも、自分の時間が一切ないような状態であっても、
「学ぶ」ことに対して、非常に貪欲になれます。
自分が背負う犠牲が大きければ大きいほど、人は学ぶ意識が強くなるように思います。




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選挙は忍耐そのもの

2018/04/21 (土)  カテゴリー/本のご紹介

さて、今日は「選挙」に関するお話です。
チャーチルの言葉を引用し、大変わかりやすく説明して下さっています。
是非、ご覧下さい。

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第7章 教養としての時事問題
◎「選挙は忍耐そのものである」
選挙については、たしかチャーチルが次のようなことを言っていました。
「選挙に立候補する人間は、私を含めて、ろくでもない人ばかりである」
選挙に出る人は、異性にもてたいとか、お金を儲けたいとか、
目立ちたいとか、権力を握りたいとか、
せいぜいそんなところが実際の目的だと毒舌家のチャーチルは言うのです。
続けてこう語っています。
「選挙とは、ろくでもない人のなかから、現時点で税金を上手に分配できそうな
 少しでもましな人を選び続ける忍耐そのものをいうのである」
「だから民主主義は最低の仕組みである。
 ただし、王政や貴族政、皇帝政など人類のこれまでの政体を除いては」
この言葉の後段はわりと知られていますが、前段はほとんど知られていません。
ですが、チャーチルの本意は前段にもあったのです。
(略)
政治家や民主主義に過度の期待を抱いてはいけない、
選挙はろくでもない人のなかから「よりまし」な人間を選ぶ
「忍耐そのもの」にほかならないのだ、と。
だから、いい政府をつくるには相当な忍耐がいるし、
政治家に立派な人格を勝手にイメージしてはいけないし、
安易に政府や政治家を信じてはいけないのだとチャーチルは訴えています。
(略)
チャーチルの言葉は、選挙や民主主義についての、
最低限学んでおくべき「コモンセンス」です。
外国人の友人が「日本ではみんなが政府にあれほど文句を言っているのに、
どうして投票率が低いのだろう?」と不思議がっていました。
政府は市民から離れ敵対して存在しているものではなく、
私たち市民が自らつくっていくのものなのです。

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本文中のチャーチルの言葉、
「選挙とは、ろくでもない人のなかから、現時点で税金を上手に分配できそうな
 少しでもましな人を選び続ける忍耐そのものをいう」。
本当に、その通りだと思いますよね?(笑)
私も選挙のたびに、「投票したい人がいない!」と思いますから。
たしかに、ろくでもない人の中から、少しでもましな人を選ぶのが選挙なのでしょう。

「いい政府をつくるには相当な忍耐がいる」のは当然で、
「政治家に立派な人格を勝手にイメージしてはいけない」し、
「安易に政府や政治家を信じてはいけない」というのも当然のこと。

ですが、私たちが得ている「選挙権」を放棄し投票しないというのは、
国民である私たちが国を作ろうとしていないということになります。
私たちの国を、私たち自身の手で作ろうとしていないのに、
なんだかんだと偉そうに文句ばかり言っている人が多いのは、どうなのでしょう。

日本における「参政権」の歴史をひも解くと、
25歳以上のすべての男性が選挙権を得たのが1925年(大正14年)。
女性参政権は、1945年のポツダム宣言により、ようやく認められたのです。
私たちが、当たり前の権利であり、軽く扱っている選挙権を得るためには、
大正時代から多くの運動が繰り広げられてきたのです。
「あって当たり前」のものではなく、大変貴重な権利だと言えるでしょう。
ですから、私たちはこの貴重な権利を軽んずることなく、
しっかり行使することが、日本の将来をつくる小さな1歩になるのです。




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愛国心とナショナリズム

2018/04/27 (金)  カテゴリー/本のご紹介

海外で生活したことがおありの方は、
その国の国民が、自国を愛して誇りを持っているという現実を見て、
「あまりにも日本と違う…」と驚かれた経験をお持ちなのではないでしょうか。

オランダでも、祝日には国旗があらゆる所にはためき、
「愛してるよ~! オランダ~!!」という国民の気持ちが、
パッと見ただけで伝わってくるのが、とても気持ち良かったことを思い出します。

それに比べて、日本では「愛国アレルギー」とでもいいましょうが、
なんだか、自分の国を愛して誇りを持つことが異常なような、
時刻を毛嫌いする人の方が優れているかのような間違った感覚が、
「正しい」と大手を振って歩いているような気がして、違和感を持っています。

…ということで、今日は、「愛国心とナショナリズムの違い」について、
書かれている個所をご紹介したいと思います。

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◎愛国心とナショナリズムはまったくの別物
著名な歴史学者ルカーチは『歴史学の将来』のなかで、
「ナショナリズムとは、劣等感と不義の関係を結んだ愛国心である」という
連合王国の外交官の名言を紹介しています。
愛国心は誰にでもあるごく自然な感情です。
自分の生まれた国、育った土地に愛着を抱く、
本源的と言ってもいい精神の働きです。
それは本来、自分が生まれた大切な場所をまもっていきたいという
防御的な心理のはずで、ほかのところをどうこうするものではありません。
ところが、「劣等感と不義の関係」を結ぶと、他者に対して攻撃的になります。
それがナショナリズムです。
したがって、愛国心とナショナリズムはまったく別のものだと考えるべきです。
(略)


第10章 自分の頭で考える生き方
◎「どうでもいい」と思うほうが職場や仕事にとってもプラス
私は企業のトップは「機能」だと考えています。
社長になったから、会長になったからといって、
別にその人の人格が向上したとか
人間的価値が増大したわけではありません。
出世とは、極論すれば、たんに「機能」が変わっただけなのです。
企業にはトップという「機能」が必要なので、
その「機能」をライフネット生命では
いまは私が担当しているというにすぎません。
課長や部長も同じことです。
組織のなかで課長や部長という「機能」を分担しているだけの話で、
決して人間的に偉いわけではないと得心しておく必要があります。
(略)
仕事や職場がすべてだと思っている人は、じつは、
仕事や職場に依存し従属しているにすぎないのです。
それでは人間としての視野が狭すぎます。
仕事や職場がすべてではないと気づく必要があります。
そう気づいて初めて、さまざまな教養にも目が向くというものではないでしょうか。
どうしても仕事がうまくいかなければ、
さっさと仕事を替えてしまうという選択肢もあります。
みんながみんな置かれた場所で咲く必要などどこにもないのです。

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如何でしたでしょうか?
愛国心とナショナリズムの違いについて、わかりやすく説いて下さったように思います。

そして、後半部分。
会社勤めをしたことのない私が意見するのもなんですが、(汗)、
すごく共感できた内容でした。

私は昔から、人の「肩書」で、その人を偉いと判断することはありませんでした。
「医者なんだって~」「社長さんなんだって~」 = 「すごいね~」「偉いね~」
という単純な評価は、どうも違うと思っていましたし、今も思っています。
それはたまたまその人がその時点で、
どういった職業についているのかを表すものでしかなく、
その人が人として「すごい」か「えらいか」を判断できるものではないと思うからです。

人間の真価は、肩書ではありません。
社会的な肩書や他人からの評価によるものではなく、
その人の生き方、生き様、経験、知恵など、
その人自身が培ったもので決まるのではないでしょうか。

これにて、この本のご紹介は終了です。




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