みんなが右に行ったら、あえて左に行く

2018/05/03 (木)  カテゴリー/本のご紹介

さて、今日から新しくご紹介するのはこちらの本。

久し振りに曽野綾子さんの本です。
随分前に読んだ1冊ですが、ご紹介したいと思います

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◆みんなが右に行ったら、あえて左に行く
まわりに合わせたがるというのは、一番卑屈な精神のように思えます。
人と同じ行動に走ることは、お祭り騒ぎに似た楽しさや、
流行に遅れなかったという安心感はあるでしょう。
しかし私には、付和雷同するという勇気のなさを示していて
もっとも魅力がないものに映ります。
もっと言えば、流行を追って自分もついでにいいことにありつこうとする
さもしい計算の結果にも見えて、私はそういう人とケンカもしないけれど、
ほんとうの親友にはなれませんでした。
~~~
人間は思いのほか、流行に動かされているものです。
しかし冷静に考えてみると、
「自分は、ほんとうはそんなことを望んでいなかったんだ」とわかってきたり、
逆に思いがけなくこういうことも好きだったのか、と自分を発見したりする。
世間の評判や人気に関係なく、その人がもっている才能や
性格にもっとも合った仕事を見つけないとダメなんですね。
自分が好きになって選んだ仕事を英語で「vocation」と言いますが、
それは「神さまがその人に命じた使命、天職」という意味でもあるんです。
他の人間が理解しようがしなかろうが、
神が自分にとって一番いい仕事をおあたえになったのだから、
それはすばらしいものだ、という認識があるわけです。
~~~
しかし、日本人は職業や就職の先を、自分が満たされるかどうかより、
他人がそれをどう思うかで決める場合が多いから、一向に満たされない。
常に時流に乗った会社を選ぶことは事実上できないんです。
またそういう精神では、常に不安がつきまとうのは当然でしょう。

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私は曽野綾子さんに強い傾倒を抱いたことはないのですが、
なんだがサバサバしている感じが小気味よく、
「私は私よ」と自分の足でしっかりと大地に立たれているのが、
素敵だな~と思って、これまでにも何冊か著書を読ませて頂いています。

私も曽野さんと同様、世間の流行に乗ることに何かしらの違和感を覚え、
いつもその逆をいくような生き方をしてきました。
周りからどう評価されるか…なんてことは、正直、どうでもよかったんです。
見た目で人を判断するような人は、こっちから願い下げよ!って感じです。(笑)
持つモノ、着るモノ、生き方全てにおいて、
自分が快適で、自分らしくいれば、私は満足感を得られるわけです。
それが流行に乗っていようがいまいが、周りの人たちがどう感じようか、
そんなこと、本当にどうでもいい。
自分軸で生きること、他人の物差しに振り回されない生き方こそ、
不安や後悔のない、満足できる生き方なのではないかと思います。

本文中に
“自分が好きになって選んだ仕事を英語で「vocation」と言いますが、
 それは「神さまがその人に命じた使命、天職」という意味でもあるんです”
とありましたが、「vocation」を生業に出来ている人って、きっと少ないと思うんです。
でも、「vocation」に巡り合えたなら、こんな幸運なことはない。
実は私、近年、この「vocation」に巡り合えたんです♪
「私はこのことを成し遂げるために、生まれてきたんだ」と確信できることに。
だから、残りの人生は「vocation」に捧げようと、日々努力を積み重ねています。




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「不幸」ではなく「悲しみ」を分け持つ

2018/05/09 (水)  カテゴリー/本のご紹介

今日は「不幸」がテーマ。(笑)
さて、どんなお話しなのでしょうか。

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◆「不幸」ではなく「悲しみ」を分け持つ
不幸にもいろいろありますが、
自分の不幸を特別なものだと思わないようにすることは肝心です。
食べられないのがいちばん大変だとか、
お姑さんにいじめられることがこの世の最大の不幸だとか、
みんな、自分の不幸がこの上なく大きいものだと思うわけですね。
私に言わせると、それは悪い意味で女性的特性だと思いますが、
不幸というのは誰にでもあって、しかも比べられないものなんです。
もっとも、中にはほんとうに幸福とは遠かったのだろうと思う人もいました。
お目にかかったことはないのですが、時々手紙をくださる方がいて、
ご主人が口を開けば彼女のことをののしる冷たい人だそうです。
そして、一人息子さんが統合失調症だという。
普通なら、息子がそういう父親から母親をかばうのでしょうが、
それもないわけです。
ひょっとしたらご主人は、そういう息子さんに対して
いらだっているのかもしれないけれど、妻には優しい言葉一つかけず、
労りさえ見せず、息子さんは自分の殻に閉じこもっている。
だから、彼女は一人ぼっちだったんですね。
私はときどき、この方のことを考えていました。
うちは夫婦ゲンかもするけれど、
病気になれば、お互いに何が食べたいか聞きますし、
つらくないように労わる暮らしをしています。
それは人並みの幸福だと思いますが、
その方には人並みの幸福もないのかもしれない。
もしかしたら人並み以上の不幸を背負ってらっしゃるかな、と思いました。
でも、ほんとうのところはわからない、と思っているんです。
疑っているという意味ではありません。他人の不幸はわからない。
だから、わかったと思うな、ということです。
どんなに親しくしていても、その人の幸不幸というものは、
他者が読めないものだと思います。
だから私は、「相手の不幸がどういうものかわからないけれど、
悲しみは分け持ちましょう」というのが好きなんですね。
落ち込んでいる時に、ただ愚痴を聞いてあげたり、
一緒においしいものを食べに行ったりする。
人間というのは、一日遊ぶと、気分がずいぶん変わりますからね。
そうすると、明日はまた違った陽が差し込む。そんなものです。
私なんか、夜、ぐっすり寝たか寝ないかだけで、
翌日、ものの考え方が全然違ってきますから。

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本文中に、
“不幸というのは誰にでもあって、しかも比べられないもの”
“他人の不幸はわからない”
“どんなに親しくしていても、その人の幸不幸というものは、他者が読めない”
というところは、本当にその通りだな~と思いながら読みました。

自分が不幸の最中に置かれていると、そのことがすべてになってしまいます。
他人の不幸の方が大きいからといって、自分の不幸が軽くなるわけではなく、
つまり、曽野さんがおっしゃるように「比べられないもの」なわけです。
だから、その不幸から抜け出した後で、その頃のことを振り返ってみると、
「大したことなかったな」と思ったり、「あれは本当に大変だった」と思ったり、
その最中にいなくなって初めて、客観的に見られるようになるものでしょう。

また、不幸が比べられないものであるということは、
他人の不幸が理解できないということになります。
こちらが良かれと思ってかけた慰めのひと言が、
思いもよらず相手を傷つけてしまうこともあるでしょう。

自分が不幸の中にあるときに、寄り添ってくれる人がいるって有難いですね。
でも、本当の孤独をひとりきりで乗り越えられた人の強さも素晴らしい。
私は不幸に押しつぶされそうになることもこれまで何度もありましたが、
今はただ、その辺りに漂う花の香りに気づいたり、
美しい鳥の鳴き声で季節を感じたりできることに喜びを覚え、
自然の素晴らしさに感動しながら、日々の生活を送るようになりました。
(まあ、オランダにいた頃はそれが当たり前だったのですが、
 日本へ帰って来てからは、そうそう簡単に
 自然の素晴らしさを堪能できる環境では暮らせませんから…)
私にとって、自然の癒しのパワーは絶大です。




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影があるから光が見える

2018/05/15 (火)  カテゴリー/本のご紹介

さて今日は、曽野綾子さんのご著書のご紹介、最終回です。
今日のテーマは「光」」。
では、早速ご覧下さいませ~。

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◆影があるから光が見える
どれほど幸せを感じるかは、その人の才能だと思います。
今日も元気で、おまんまが食べられれば幸せとか、
愛する妻子がいてくれるだけで幸せとか、
狭い家でもコタツがあって、そこでみんなでミカンを食べられたら幸せとか、
つつましさがないと幸せを感じるのは難しいでしょうね。
同じ状況でも、「コタツでミカンを食うのは貧乏ったらしい」などと思ったら、
幸せどころではなくなりますからね。
たぶん、幸せを感じる才能は生来あるものではなくて、
開発していくものなんでしょう。
自分自身で鍛えていくわけですね。
周囲をよく見れば、自分より幸せそうに見える人もいるけれど、
自分より不幸そうに見える人もいる。
それを思って、自分が得ている幸せを感謝する。
病気の人を見たら、自分が健康であることを
ありがたく思わずにはいられないでしょう。
~~~
闇がなければ、光がわからない。
人生も、それと同じかもしれません。
幸福というものは、なかなか実態がわからないけれど、
不幸がわかると、幸福がわかるでしょう。
だから不幸というのも、決して悪いものではないんですね。
荒っぽい言い方ですが、幸福を感じる能力は、不幸のなかでしか養われない。
運命や絶望をしっかりと見据えないと、
希望というものの本質も輝きもわからないのだろうと思います。
もちろん、不幸はできるだけ避けたいし、
病気や貧困はすべて解決する方向へ努力すべきです。
しかし、人間は幸福からも不幸からも学ぶことができるんですね。
病気、失恋、受験に失敗すること、勤め先の倒産、親との死別、離婚、
親しい人から激しい裏切りにあうこと……などを耐え抜いた人というのは、
必ず強く深くなっています。
そして、望ましくなかった経験がむしろ個性となって、
その人を静かに輝かせているものです。
日本人が満ち足りていながら、豊かさを感じられないのは、
たぶん絶望や不幸の認識と勉強が決定的に足りないからで、
世の中も、不幸というものの価値を徹底して認めないからです。
不幸はつまり、不平等と社会悪の現れだとしか思わない。
そんなもったいない話はないんですけどね。

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“幸せを感じる才能は生来あるものではなくて、 開発していくもの”
…という言葉に、とても共感しました。
どこかの国の誰かから見れば、羨ましい状態であるにもかかわらず、
自分が「幸せだ!」と感じられないのは、自分がまだ開発されていないから。
幸せを生きられる人って、幸せを感じる才能を開発した人なんですよね。

“不幸がわかると、幸福がわかる”
“幸福を感じる能力は、不幸のなかでしか養われない”
…というのも、また然り。
「余命○カ月です」などと、死の宣告を受けた人や、
事故などで体が不自由になった人など、
自分に襲いかかってきた不幸にめげてしまう人ばかりではなく、
不幸を味わったからこそ、その人の中から光るものが芽生えることも多い。
私も、「死」を直視したからこそ、毎日を本当に大切に生きられるようになり、
日常の何気ない幸せを、ものすごく大きな幸せと感じられるようになりました♪

“日本人が満ち足りていながら、豊かさを感じられないのは、
 たぶん絶望や不幸の認識と勉強が決定的に足りないからで、
 世の中も、不幸というものの価値を徹底して認めないからです”
とまとめておられましたが、確かに、社会が「不幸」を認めていないというのは、
実感しておられる方も多いと思います。
「不幸」=「あってはならないもの」という方程式が出来上がっていますが、
私は、その人その人に必要な不幸が、
必要なタイミングで与えられているのではないかと思うのです。
最中にあるときには、その不幸に押しつぶされそうになってしまいますが、
何とかそこを切り抜け、あとでその時を振り返った時、
その不幸があったからこそ、人としてグッと成長できたと感じることが多いのです。
つまり、「不幸」は、その人が人間としての成長を遂げるための関門というか。

皆さんは、どのように感じられましたでしょうか?




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ツバメ

2018/05/21 (月)  カテゴリー/オランダ関連以外

日本では、ツバメの季節になりました。
柑橘類の花も良い香りを漂わせ、ジャスミンも良い香り♪
空には、ツバメが枚飛ぶ姿がちらほらと。
ほんと、いい季節ですよね~。

私はツバメを見ると、子どもの頃の教科書に載っていた、
大好きな詩を思い出すのです。
きっと、皆さんもご存じの詩だと思います。

そう、詩人の丸山薫さんの作品で「北の春」という詩です。
大学時代、どうしてもまた読みたくなって、大学の図書館で探した覚えがあります。
すっかり忘れてしまった方もおられるかと思いますので、
今日はその詩をご紹介したいと思います。

****************************

 『北の春』   丸山 薫



どうだろう

この沢鳴りの音は

山々の雪をあつめて

轟轟(ごうごう)と谷にあふれて流れくだる

この凄(すさ)まじい水音は



緩(ゆる)みかけた雪の下から

一つ一つの枝がはね起きる

それらは固い芽の球をつけ

不敵な鞭(むち)のように

人の額(ひたい)を打つ



やがて 山裾の林はうっすらと

緑いろに色付くだろう

その中に 早くも

辛夷(こぶし)の白い花もひらくだろう



朝早く 授業の始めに

一人の女の子が手を挙げた



ーー先生 燕(つばめ)がきました

****************************

初めてこの詩を読んだ時、私にははっきりとその映像が浮かんだのです。
そしてその映像は、今になっても変わりません。
まだ雪が残る山々が見える木造の学校の教室で、子どもたちが授業を受けいてる。
凛とした寒さが残りながらも、春の息吹が感じられる雪解けの季節。
空は澄んだ青空。澄み渡る冷えた空気。
子どもたちは授業に集中しつつも、春がやってくる喜びに心躍る気持ちが湧いている。
そんなとき、窓際の席に座っているリンゴほっぺのおかっぱ頭の女の子が、
窓の外をふと眺めると、1匹のツバメが飛んでいるのを見つける。
感激した女の子は、黙っていることが耐えられずつい、先生やみんなにも教えたくなり、
パッと手を挙げて、「先生、燕が来ました!」と伝えるのです。

私のイメージは、今書いたような感じなのですが、皆さんはどうなのでしょうね。
なんて清々しい詩なんだろうと感動して、今でも大好きな詩の1つとなっています。
花の王国でもあり、また鳥の王国でもあるオランダで、
私は残念ながらツバメを見た記憶はありません。
でもオランダ語で、Boerenzwaluw というようですので、きっといたんでしょうね。
私がオランダにいた頃大好きだった春の鳥は、クロウタドリ。
オランダ語では Merel といいますよね。
日本の春は、鶯の鳴き声が定番ですが、オランダ…というかヨーロッパでは、
クロウタドリのさえずり(ほとんど「歌」と言ってもいいほど上手い!)
ではないでしょうか。
オランダでの初めての春、初めて聴くクロウタドリのさえずりに、
私は毎朝「すごくお上手!素敵♪」と叫びながら、
何度も拍手を送っていたことを思い出します。(笑)





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世界に目を開いてくれた先哲の教え

2018/05/27 (日)  カテゴリー/本のご紹介

皆さん、新渡戸稲造はご存知ですよね?
そう。五千円札の肖像になっていたあの方です。
その代表作と言えば、言わずと知れた『武士道』。
日本の武士道を欧米に紹介するために英文で書かれた本です。
アメリカのルーズベルト大統領など、多くの人たちに影響を与えました。
私はこれまで色々な日本語訳になった『武士道』をよんできましたが、
今日からご紹介したいのは、こちらの1冊。

「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは (小学館文庫)


新渡戸稲造の『武士道』について、元台湾総統の李登輝氏が解説をされた1冊です。
正直、ちょっと小難しい本なのですが、それがまた私にとっては面白い。
数年ぶりに熱中して読みました。(笑) そして、大変感動しました。
海外で生活している日本人の方には、特にお勧めしたい本です。
ということで、印象的だった個所をご紹介していきたいと思います。

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第一部 日本的教育と私
第一章 世界に目を開いてくれた先哲の教え
●読書を通じて「公義」に目覚める
(略)
私が初めて『武士道』という本に出会ったのは旧姓の台北高等学校のころですが、
もっとも尊敬する新渡戸稲造先生の生き方とも相俟って、
まさに雷に打たれたような衝撃を受けたものです。
「武士道」などというと、とかく封建時代の亡霊のように言う人が多いようですが、
新渡戸先生が精魂を込めて書き上げたこの本を真摯に精読すれば、
そのような受け止め方がいかに皮相で浅薄なものか、すぐにわかるでしょう。
本書の中で、私は繰り返し繰り返し「いま、なぜ武士道か」という問題を、
日本および日本人に対してだけではなく、私自身に対しても問いかけています。
それは、このような危急存亡の秋にこそ一人ひとりの社会の成員が
「生き方の心得」とも言うべきものを再認識し再点検しなければならない、
と固く信じているからにほかなりません。
この大命題を自他ともに厳しく問い詰めなければ、
とても国家や国民の未来は見えてこない、と確信しているからこそです。
(略)
戦後社会の混乱の中で、日本の大人たちは、
それまでの世界的に素晴らしかった精神的な価値観をないがしろにし、
「高度成長」のかけ声の下で物質主義的で
拝金主義的な価値観ばかりを追い求めてきたのではないでしょうか。
そのような親たちの世代の生き方を目の当たりにしてきた若い世代が、
物質主義的な方向に走り出したとしても、誰も文句は言えないはずです。
(略)
国家百年の大計に基づいて、“清貧”に甘んじながら、
未来を背負って立つべき世代に対して「人間いかに生きるべきか」という
哲学や理念を率先垂範して見せてくれていたはずの高級官僚や政治家、
経営者などのトップ・リーダーたちまでもが、私腹を肥やすことに汲々とし、
国家や国民の未来のことなど、すなわち「公」的なことを
何ひとつ考えていなかった、としかいえない現実を知ったとき、
若い人たちがどんなに大きな衝撃を受けたか想像に難くありません。
(略)
私が声を大にして「武士道」を再評価しようといっているのは、
日本および日本人本来の精神的な価値観をいま一度明確に想起してほしいと、
祈るような気持ちで切望しているからです。
民族固有の「歴史」とは何か、「伝統」とは何かということを、
もう一度真剣に考え直してほしいのです。
(略)

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こちらの本、わりと分厚いです。
で、今日ご紹介した個所は、まさに導入部分と言えるでしょう。

海外での生活を送るときって、何だか「日本人代表」って気持ちになります。
だから、日本で暮らしているとき以上に、「日本」という国を意識するように思います。
『武士道』って、なんだか日本人らしさの象徴のような感じがしませんか?
まだ1度も読んだことがないという方は、是非読んでみて下さい。
そして、今日からご紹介するこちらの1冊も合わせて読めば、
さらに理解が深まること間違いナシ!!です。

付け加えますと、内村鑑三氏の著書『代表的日本人』も非常にお勧めです。
ちなみに、三大日本人論と言われる名著は、
新渡戸稲造の『武士道』
内村鑑三の『代表的日本人』
岡倉天心の『茶の本』
です。
私は最後の1冊は、お恥ずかしながらまだ読んでおりません。(汗)

熱のこもった李登輝氏から日本人へのメッセージ、
次回も続きます。




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