「いい加減」に生きる

2018/09/06 (木)  カテゴリー/本のご紹介

さて、今日もあちらの本からのご紹介です。
「幸福」についての考察です。

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第5章 「いい加減」に生きる
●宗教とは「幸福学」のこと
(略)
物質的な意味ではわたしたちは十分満たされています。
しかし、なぜか物質的に満ち足りているにもかかわらず、
逆に何となく心が満たされていません。
「本当にみなさん、幸福ですか?」と、尋ねられて
「はい、幸福です」と胸を張って答えられる人は数が少ないのではありませんか。
九十パーセントまでが物質的には豊かな生活をしていながら、
何となく不幸だなー、まだ幸福ではないと思っているのが
いまの日本ではないかと思えてなりません。
この意味でわたしたちが大きな間違いをしたのは、
実は戦後の日本人は宗教をもたずにやってきたから、
間違いをしでかしたのだとわたしは思っています。
なぜかというと、宗教が幸福学だからです。
宗教というものは、本当の幸福とは何かをしっかり教えてくれるものです。
一体幸福って何ですか? 
その幸福の定義をちゃんとくだしているのが宗教なんだし、
その定義にしたがって、どうしたら幸福になれるかを教えてくれているのが宗教です。
ところが戦後の日本人は宗教をもたずにやってきました。
戦後の日本人は宗教アレルギーで、
学校では宗教教育をしてはいけないなどというふうになってしまいました。
宗教のない教育なんて、あり得るでしょうか。
だが、ともかく日本人は、宗教はいやなものだ、宗教は悪いものだ、と思って、
宗教なしでやってきました。
だからはじめに、幸福っていったい何なのかと定義していないのです。
わたしたちは何が幸福だと定義しないまま、
ただ物質的に豊かになれば、経済的に発展すれば
幸福になれるのではないかということでやってきました。
ところがキリスト教で見ると、イエス・キリストは、はっきり言っています。
「幸いなるかな貧しき者」。
そして、「金持ちが天国に入るには、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」と。
要するに金持ちになったら天国に入れませんと、はっきりイエスは言っているのです。
(略)
宗教は貧しいほうが幸せなんだと教えているのに、わたしたちは宗教を否定したから、
物が豊かになったほうが幸福になれるのではないかなどと、
実にイエスの教えからはまったく逆な道へ行ったのです。
北へ向いて歩かなければならないのに、南へ行ってしまったので、
幸福になれないのはあたりまえです。

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「戦後の日本人は宗教をもたずにやってきたから、
 間違いをしでかしたのだとわたしは思っています」
「なぜかというと、宗教が幸福学だからです」
「宗教というものは、本当の幸福とは何かをしっかり教えてくれるものです」
とありましたが、本当にその通りではないかと思います。

オランダで暮らしているとき、
本当の意味でのキリスト教徒は少なかったかもしれませんが、
それでもやはり、国家が聖書に基づいて動いている感覚がありました。
そしてそれは、忌み嫌う必要のないものでした。

「幸福の定義をちゃんとくだしているのが宗教」
「その定義にしたがって、どうしたら幸福になれるかを教えてくれているのが宗教」
というのも、納得させられました。

戦後の日本は、宗教を持たなかったがゆえに、
「幸せ」とはなんぞや…という定義をせずに来てしまったから、
今の状況に陥ってしまったのではないでしょうか。

私たちは既に、
「モノをたくさん持ったからといって、幸せになれない」ということを、
体験的に知っていると思います。
だからこそ、多くのミニマリストたちや、
田舎暮らしがしたいという人が増えたのでしょう。

「本当の幸せとは?」 …ということを、国家が規定する必要はないですが、
今の日本にはベースとなる宗教観がないわけですから、
各々が独自の「幸せの定義」を持つ必要があるのでしょうね。
それはもちろん、「物質的」なものに基づくものではありません。

これにて、この本のご紹介は終了です。




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自分と向き合い、悩みなさい

2018/09/12 (水)  カテゴリー/本のご紹介

さて、今日からは新しい本をご紹介します。
それは、こちら。

媚びない人生


ここ数年、相当の数の本を読んできましたが、
その中でも、ベスト10には余裕で入る良書だと思います。

今日は、こちらの本の「はじめに」から、ご紹介したいと思います。

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◆はじめに 
   自分と向き合い、悩みなさい。
   そして、どんな瞬間においても、自分のことを信じなさい

今も私が間違いないと思うのは、孤独な体験や苦しい体験は、
後の自分を強くし、幸せにしてくれる、ということだ。
自分と向き合い、多くの書物に接するなかで、
私は幼くして、たくさんの発見をすることになった。
自分自身、さらには周囲について、シビアに見つける機会を得た。
また、生きていく上で何が一番大切なのか、ということにも気づくに至った。
例えば、世の中というものが、いかにうさん臭いか。
簡単に信じてはいけないものか。
常識や真実といったものの、いい加減さ。
私が思ったのは、自分をしっかり持たなければ、
こういった物に簡単に翻弄されてしまうのが、世の中だということである。
そして、そんな羽目に陥っては、思うような人生を生きることはできないということだ。
強くなければ、実は本当に自分が求める人生を生きていくことはできない。
強さを身につけることで初めて、得られるものがある。実はやさしさもそうである。

そして人生の本質は、未熟から成熟に向かうことにこそある、と知った。
人は何のために生きるのか。
自分らしく成長するためにこそ、生きるのだ。
そのためにも大事なことは、自然体で生きていくこと。
自分らしい人生を生きていくことである。
それは、自分自身が理想とする自分と、
そのときどきの自分とのギャップを埋めることでもある。
(略)

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私もこの数年間、ただひたすらに自分と向き合い、自分と対話し、
様々な境地に至り、色々なことに開眼してきました。

読書というのは、単なる趣味ということでななく、
多くの先人たちから、たくさんのことを学ぶ機会だと言えます。
書かれている内容から、知らなかったことを知ったり、
あるいは、これまで気にせずに生きてきたことに疑問を持ったり、
自分の視点が変わったり、自分自身を変革することに繋がります。

その中で、「自分とはなんぞや」「生きるとは何ぞや」「人生の意味とは」など、
多くの疑問が生じ、また、その答えを出そうと奮闘するのです。
そして、最後には、自分でしか出せない答えに出合うのです。

こちらの本は、本当に素晴らしいことがたくさん書かれています。
次回から、少しずつご紹介したいと思います。




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幸せの絶対的な基準を持つ

2018/09/18 (火)  カテゴリー/本のご紹介

今日、ご紹介する個所も、私が激しく共感できたところです。
本当に、こちらの本はお勧めなのです!
では、ご覧下さいませ。

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第一章 「今」と向き合う~自然体になれる強さを手に入れる
◆幸せの絶対的な基準を持つ
なぜ、自然体で生きていくことが必要なのか。
もちろん、穏やかで、幸せな人生を手に入れることができるから、
であるが、ではなぜそんなことが可能になるのか。
自分の世界に向かえば向かうほど、
純度の高い自分の人生を生きていくことができるからである。
世の中に貢献し、生きがいを見つけたい、と語る人は少なくない。
しかしその前に、自分に与えられた人生というものについて、
しっかり自分と向き合い、いかに成熟したものにできるか、
という問いかけが先にくると私は考えている。
そうでなければ、社会に何かを提供することなど、果たしてできるだろうか。

相手への喜びや社会への貢献はもちろん大切である。
(略) 
しかし、前提条件としてなければならないのは、
自分自身が幸せをしっかり享受できていなければいけない、ということだ。
そうでなければ、自分が提供する者に対して、必ず対価を求めてしまうようになる。
自分自身が、圧倒的な幸せを感じていれば、そんなことはなくなる。
だからこそ重要なのが、自分自身で幸せの絶対的な基準を確立させることだ。
(略)

1億円の資産の人は、ある人から見れば幸せに見える。
しかし、彼は100億円の資産の人を前にすれば、果たしてどうだろう。
一流企業も同じだ。実は、きりがないのである。
金銭やモノによる価値基準は、極めて相対的なものなのだ。
実際、巨額の資産を持ちながら幸せを感じられない人は少なくない。
しかも、社会的な基準はどんどん変化していくのだ。
こうしたものを幸せの基準として持ってしまうと、
常に社会に振り回され、自分で完結ができない。
それこそ、家族が一緒にいて、
ご飯を食べることだけでも充分幸せだと思う人は、
もしかすると、1億円の資産を持つ人よりも、
人気企業に勤める人よりも幸せかもしれない。
余計な欲を持つこと、誰かが設定した基準を意識してしまうことだけで、
幸せは遠ざかっていくことも多いのだ。
幸せの基準を自分で設定できる人こそ、自分をコントロールできる人なのである。

だが、それは基準を下げれば幸せになれる、ということではない。
(略) 
むしろ、幸せの基準は上げるべきだ。それは難しいことではない。
幸せの基準の再設定は自分のなかで完結できるのだから。
それこそ、純度の高い自分の人生を生きていく、
人生を成熟させていく、ということだ。
問われるのは、自分自身、なのである。
実のところ、生きていく上での最大の喜びは、自分自身の成長実感に他ならない。
これは多くの社会人が納得するところだと思う。
そしてこれは、社会の中での成功とか、お金持ちとか、
そういう次元を超えたものだ。
このことに早く気づけた人は強い。
そして自分をより成熟した状態にもっていくことこそが、
すなわち大きな幸福を生むのだ。
だからこそ、まずは自分の未熟さを理解しないといけない。
その未熟な自分が、成熟に向かうことを実感できたとき、
大きな喜びを感じることができるのだ。
人間として自分を深め、知識や教養を得、
人生の意味について深く理解をし、自分自身について知ろうとし、
他者についてより深く理解する感性を得、思考力や行動力を手に入れていく。
こうした実感こそ、大きな幸せなのである。

必要なことは、何より自身の成長を意識することだ。
未熟から成長に向かうプロセスこそ、生きる意味だと気づくことである。
これを懸命に続けられた人生こそ、素晴らしい人生だと私は思っている。
本当の幸せは、この過程にこそ潜んでいる。
薄っぺらな物欲の満足や、基準が社会にある自己顕示欲の充足、
さらには実は本来の自分が願ってもいなかった自己実現に、
幸せが潜んでいるわけではないのだ。

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自分に自信のない人ほど、自分を大きく見せたがります。
ありのままの自分にOKを出せる人は、自然体で生きられるのです。

私もここ数年、自分としっかりと向き合い、自分の人生について深く考え、
自分に与えられた才能や技能、経験をどう活かせば、
社会貢献につながるか、その答えを探し、そして見つけました。

誰かを幸せにしたいなら、まず、自分を幸せにしてあげることの大切さ。
そんなことをすっかり忘れて暮らすのが当たり前だった生活を見直し、
自分を大切に、自分を愛してあげることを最優先にできたからこそ、
他人を本当に大切にでき、愛することができるようになったのです。

自分にとって、何が幸せなのか。
社会の基準や流行なんてものは、全く関係ありません。
自分基準の幸せさえ確立できれば、本当の幸せはグッと近づきます。
そのために「足るを知る」ということを、自分のものとすることも大切。

「生きていく上での最大の喜びは、自分自身の成長実感に他ならない」
と書かれていますが、これ、私も激しく同意!!
きっと、皆さんも実感されたことがおありだと思います。

「人間として自分を深め、知識や教養を得、
 人生の意味について深く理解をし、自分自身について知ろうとし、
 他者についてより深く理解する感性を得、思考力や行動力を手に入れていく。
 こうした実感こそ、大きな幸せなのである」
ここ数年、私が積み重ねてきたことから、著者の言葉を実感しています。

「未熟から成長に向かうプロセスこそ、生きる意味だと気づくことである。
 これを懸命に続けられた人生こそ、素晴らしい人生だと私は思っている。
 本当の幸せは、この過程にこそ潜んでいる」
本当に、その通りです。
自分が成長しているという実感が持てる。この年齢で。(笑)
人生の折り返し地点を過ぎてもなお、向上心を持ちさえすれば、
いつからでも人はまた成長することができるのです。
そして、自分自身が成長した実感を持てることが、幸せそのものなのです。

誰かに認めてもらう必要などありません。
自分が「成長している」という実感が持てること、これが一番大切。
成長すると、考え方も変わります。視野も広がります。
他人に対する愛が自然に生まれます。

「幸せになりたい!」と強く願えば、幸せへ向かって動き出すのです。
きっと。




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孤独とは、自分と向き合う時間

2018/09/24 (月)  カテゴリー/本のご紹介

現在ご紹介中の本について、皆さんはどのような印象をお持ちでしょうか。
今日ご紹介するのは、「本当に、その通りだな~」と思った個所です。
では早速、ご覧下さい。

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第二章 自分と向き合う ~富士山ではなく、エベレストを目指せ
◆孤独とは、自分と向き合う時間
かつて講演会で、孤独を克服するにはどうすればいいか、
という質問を受けたことがある。
私には、とても違和感のある質問だった。
なぜなら、孤独は極めて大事なことだからである。
孤独は決して、克服すべき対象などではない。
むしろ孤独こそ自分の中で一番自然な状態で、
自分の人生をしっかり感じられるもの。
孤独に自分を向き合うことは、一番大事にすべき時間なのである。
(略)

自分の経験でもそうだが、自分に対する自信がないときの孤独は、
たしかに怖いものでもある。
だが、それを恐れて群れの中にいれば、
自分はどんどん弱くなっていくことを自覚する必要がある。
自分を信頼し、孤独を楽しもうとする姿勢も、必要なのである。


◆結果に対する全責任を負う決意に基づいた選択は、常に正しい
(略)
私自身は、自分の人生の中で考えたときに、
何が本当に正しい選択なのか、20代後半にはっきりと気づくことができた。
それは、その選択が生み出す結果に対して責任を負う決意に基づくのであれば、
その選択はその時点で常に正しい、ということである。

自分の外にある物を自分の中に内在化していく際には、
必ず自分でそのプロセスを吟味し、納得した上で消化することが必要だ。
その検証プロセスなしに受け入れることによって発生する
すべての物事の結果については、自分がすべて責任を負う必要がある。
受動的に受け入れることが、結果に対する責任回避の言い訳にはならないのだ。
(略)

もとより結果というのは、自己完結的なものではない。
それは自分の選択や行動が、自分ではどうしようもできない
無数の外部要素と組み合わされたものである。
よって、結果を完全に統制することはできない。
しかし、結果から学び、次なる自己成長につなげることはできる。
たとえ、それが周りから失敗といわれるものであったとしても。

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「孤独こそ自分の中で一番自然な状態」
「孤独に自分を向き合うことは、一番大事にすべき時間」
とありましたが、私はここ数年、孤独の中で自分自身と向き合い、
沈思黙考を繰り返す作業をしてきました。
その時間を通して、本当に多くの気付きを与えられ、
また、自己変革を成し遂げることができたように思います。

「淋しいから…」「不安だから…」というような理由で、
孤独の中で自分自身と向き合うことから逃げ、
自分を成長させることもない「群れ」の中に身を置き続ければ、
著者の言うとおり、「弱くなっていく」のだろうと思います。

後半部分は、自分の選択の是非について書かれています。
「その選択が生み出す結果に対して責任を負う決意に基づくのであれば、
 その選択はその時点で常に正しい」
これは、本当にその通りだと思います。
いつも、最も成長した自分は、「今現在」の自分なのだから、
その時に下した決断は、「その時点で常に正しい」ものであるわけです。

何故、それを選択するのか? 
その理由について、自分自身がその時点で納得して選択したのなら、
予想とは違う結果が得られたとしても、その結果については自分で全責任を負い、
そして、そのことを通して、自分自身の成長につなげればいいわけです。

私だって、過去振り返れば、「あのとき、ああしていれば…」と後悔することは、
数えきれないほどありますが、あの時点ではそれが最善の選択だったわけです。
だから、過去に縛られ続けて後悔していても、自分が成長するわけはないので、
とにかく、それはそれとして、そのことを糧に成長すればいいのです。
とにかく前を向いて、歩み続けること。それが大切なのではないでしょうか。




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成長に終着駅はない

2018/09/30 (日)  カテゴリー/本のご紹介

今日は、ちょうど今の私が「こんな風に生きたい」と思っている生き方を、
非常にうまく表現されている個所をご紹介したいと思います。
この本は、若い方たち向けの物ではありますが、
人生、いくつからでも再スタートできると確信しています。

では、ご覧下さい。

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◆成長に終着駅はない
人間は本当に死ぬときまで、成熟し、成長していくことができる。
これこそが唯一、人生の中で掲げるべき真実であり、目標だと私は思っている。
それこそが人間に課せられた義務であり、権利であると考えている。
成熟を目指す成長のステップは、永遠に続くのだ。
(略)

言ってみれば、これまでは教えられてきた、ひとつの川を泳ぎ進む日々だったのだ。
しかし、そこから大海に出る、ということである。
川に慣れてしまえば、川から抜け出せなくなってしまう。
大海に出れば、泳ぐ力さえあれば、自分で行きたいところに行ける。
川にいたほうが楽かもしれない。川なら迷うこともない。
周りに一緒に泳ぐ人たちもいる。目指すゴールは、ほぼ同じところだ。
しかし、そもそもゴールの設定を自分でしていない、ということに気づく必要がある。
その頂点は、誰かが決めたものではないのか。
しかも、川の中では、できることが限られている。
これでは、一流止まりである。
大海に出れば、そうではない。自由にゴールを設定できる。
しかし、苦しいし、時間がかかるかもしれない。
ただ、本当に自分が見たいところ、行ってみたいところに行ける。
さて、どちらが自分にとって、誇りを感じられるだろう。

安定した生活だけを目指し、周りと仲良く、同質の世界の中で、
調和しながら、小さな成功と小さな成長を目指していく人生を目指すのか。
もし、それを主体的に選択したなら、それでいい。
しかし、本来は泳ぐ力がもっとあって、海に出て
いろんなところに行ける可能性を秘めていると自分が信じられるのであれば、
海に出るということ、大きな成長を目指して向かっていく道も、
選択の中に入れてみてほしいのだ。

それはまったく違う景色を見ることである。
長期的には、泳ぎだけではなく、船を造ったり、
乗りこなす技術を身につけることでもある。
いろんな港にたどり着き、いろんな新しい経験や新しい出会いをし、
食べたことのないものを食べたり、空気を吸ったり、
無限の可能性を味わうことができる。そんな人生もあるのである。
社会はたしかに、この道、という規範を作っているかもしれない。
しかし、歴史を見てみると、
社会が規定したものを鵜呑みにすることほど危険なことはない。
そもそもメインストリームというのは気まぐれなものだ。
100年前のメインストリームは、今のメインストリームではまったくなかった。
100年後もそうなるだろう。ならば、チャレンジのしがいはある。
そして成長に終着駅はない、という意識さえ持っていれば、
大きな可能性が拓けていく。
単なる一流ではない、超一流をこそ、目指してほしいのだ。

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今の私は、「自分の限界まで成長する」ことに挑戦したい気持ちでいっぱいです。
正直、自分には、自分にしか与えられていないパワー(能力)があると思っています。
そのパワーを目一杯活かして人生を送らなければならない、
それが私の義務なのだ…との確信に至っています。

自分の夢は、40歳まででほぼ叶えられました。
だから残りの人生は、「その他大勢」が進む「川」ではなく、
大海に漕ぎ出し、自分が設定したゴールに向かって、
ただひたすらに前進したいと願っています。

「安定した生活だけを目指し、周りと仲良く、同質の世界の中で、
 調和しながら、小さな成功と小さな成長を目指していく人生を目指す」のではなく、
自分にしか作れない「超一流」の人生を完成させてみたい…と思っています。
もちろん、誰が「超一流」だと判断するのか。それは、私です。
他人の物差しではかられる必要などありません。
自分がどれほどの努力を積み重ねてきたのか、他人は全く知りません。
自分との孤独な闘いなのです。
自分の努力は、自分だけが知っているわけですから、
他人の物差しではなく、自分の物差しで測った時、
「超一流の人生を送ることができた!」と満足してあの世へ行けるなら、
本望だと思っているのです。

この先の人生や自分の成長からは目を背け、
ただ漫然と、その日その日の快楽や享楽にふける日々を送るのではなく、
いつ終わるともしれないこの人生を大切に、
そして、死ぬ直前まで自分自身を成長させる努力を怠らない。
そんな生き方を私はしてみたい…と強く思うのです。




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