「天上の花」を追わない

2019/05/03 (金)  カテゴリー/本のご紹介

令和 おめでとうございます。
厳粛な改元のタイミングに生きていられたことに感謝します。
本当に、貴重な体験をさせて頂きましたね~。
この「令和」も、戦争のない平和な時代でありますように。

さて、10連休真っ最中ですが、皆さんお元気でお過ごしでしょうか?
このブログを読んで下さる方も少ないとは思いますが、
いつもの通り、粛々と記事を更新させて頂きます。

では、今日もあちらの本の中から、印象的だった個所を。

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7 この“こだわり”がない人に満足な仕事はできない!

自制心はいろいろな形をとって表現される。
それがいちばんはっきり見えるのは誠実な生き方においてである。
自己犠牲の美徳がなければ、
自分のわがままな欲望の奴隷になるばかりか、
自分によく似た人のとりこにもなってしまう。
彼のまねをして自分も同じことをする。
自分の所属階級を支配している、
でっち上げの水準に従わなければ気が済まない。
自分の収入も考えずに背伸びをして、隣近所がこうだからと金を使う。
まわりの人がすることにいちいち同調し、それをやめる道義的勇気を持たない。
たとえ他人の金を使ってでも生活水準を高めたい、という欲望を抑えきれない。
こうしてずるずると借金を重ねて、ついには首が回らなくなってしまうのだ。
道徳的卑劣さ、優柔不断な性格、
そして毅然とした独立心の欠如がこれらすべての原因なのである。
心の正しい人は、自分のいつわりの姿を見るのをためらったりはしない。
金もないのに金持ちぶって見せたり、
自分のおかれた環境にそぐわない生活をしてみたいと思ったりはしない。
不正に他人の金に頼ろうなどとはせず、
自分の収入の範囲でまじめに暮らしていこうという勇気を持っている。
収入以上の生活をしたいばかりに借金をつくる人は、
不正という点では堂々と他人の財布を盗むスリと何ら変わりがないのである。
読者の多くはこの考えが極端すぎると思われるだろうが、
実際にはこの世でもっともきびしい試練なのである。

◆金については分をわきまえ、「天上の花」を追わない
節操を守る人は金銭を節約し、借金をせずにやっていく。
身のほど知らずの生活を望んだり、
身の破滅と取引するような借金に足をとられたりはしない。
自分の欲望を満たして十分に余りある収入があれば別だが、
収入は少なくても欲望をコントロールできるならけっして貧しいわけではない。
ペルテスは述べている。
「他はともかく、自分本位なわがままだけは許せない。
 どんなに貧しい環境にも“私のもの、あなたのもの”という立派な区別がある。
 この世でいちばん貧乏な人こそ、
 自分の収入の限界を超えずにつつましく家計を管理し、
 金銭のことを考えて日々の暮らしを満たす必要があるのだ。

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まず、前半。
このブログでも、何度か「知足」、つまり「足るを知る」ということの大切さについて、
記事にしたことがありますが、それに通ずることだと思います。

私自身、何度もお話するように、
「他人と同じ」「普通」「流行に乗る」「時代に取り残される」
というような言葉が昔から嫌いで、「我が道を行く」生き方をしてきました。
だから、今も「スマホ」ではなく、ガラケー派。
電車の中で、ほとんどの人がスマホの画面とにらめっこをしているのを見ると、
「機械に操られる人間」の異様さに、寒気がしてくるのです。

「周りが持っているから、私も持たなければ…」
「だって、これが普通でしょ?」

果たして、そうでしょうか?
「持つ必要を感じないから、持たない」という選択も、ありでしょう。
「普通でなくても、これが私」でいいのでは。

身の丈に合った暮らしができていることで、私は十分満足を得ています。
周りを見て、資本主義に振り回されて、
いつも「自分には、あれが足りない、これが足りない」と、
不足している物にばかりフォーカスする生き方に、
私は魅力も感じないし、そんな生き方が幸せだとは思いません。

「欲」があるのに、それを押し殺して「我慢」する生き方は、
確かに、辛いかもしれません。
しかし、「欲」自体が自分の中から薄れてしまえば、辛くありません。

よく言われるように、コップに半分入った水を見て、
「もう、半分しか残っていない!」 と思うのか、
「まだ、半分あるぞ♪」 と思うのか、
どちらが幸せな生き方、人生になるのか、わかりますよね?

そして、後半。
ちょっと、モロ「お金の話」という個所ですが、
ここで特に印象的だったのは、
「収入は少なくても欲望をコントロールできるならけっして貧しいわけではない」
という言葉。如何でしょうか?

私たちは一般的に、収入の多寡によって「裕福か、貧しいか」を決めがちです。
つまり、「お金」によってしか、判断できなくなっているように思います。
しかし、数年前、ブータンの国王が日本を訪問されたときに話題となった、
GDPならぬGNH(国民総幸福)を憶えておられるでしょうか?
人の幸せは、お金だけでははかれないということを、私たちは知っています。
そうです。貧しい=不幸という単純な方程式は成立しないのです。

ダウンサイジング…という言葉がありますが、
先日私は、ダウンシフターズ という言葉も知りました。
また、いずれご紹介できればと思いますが、ある本に巡り合い、
そして、内容を見てみると、今私が目指している生き方ととても通じるものであり、
今とても興味を持って、そのような生き方をしている人たちを眺めています。

次回も、こちらの本からご紹介します。




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自分の信念に命をかけられるか

2019/05/11 (土)  カテゴリー/本のご紹介

怒涛の10連休も終わり、少し落ち着いてきたでしょうか。
「令和」という元号にも、少しずつ慣れてきましたか?

さて、今日もあちらの本の中から、印象的だった個所をご紹介します。

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第6章 人を動かす――自分の信念に命をかけられるか
5 人生という「畑」で、経験という「種」をいかに実らせるか
◆孤独を“滋養分”とした偉大な魂
反対に、無理強いされた孤独な生活を活用して
立派な仕事を成し遂げた人たちも多い。
彼らにとって、精神の完成を目ざすには、孤独でいることが何よりであった。
孤独な魂は沈思内省し、その結果、しばしば激しい活力が生まれる。
だが孤独を有効に使うか否かは、
その人の気性・性格・修養のいかんによることころが大きい。
心の広い人は孤独でいればますます気持ちが清らかになるが、
心の狭い人は反対に気性が荒くなるばかりだ。
孤独は偉大な精神にとっては滋養分でも、
ケチな人間には苦痛を意味するだけだからである。


6 最高の「幸福」をもたらす生き方
◆姿を変えた“幸せ”を見逃さないこと
災いはしばしば姿を変えた幸せにすぎない。
また、それをうまく生かすことによって、何倍もの幸せを手にできるのだ。
「暗闇を恐れてはいけない。それが生命の泉を隠しているかもしれない」
と、ペルシャの賢人も言っている。
経験は往々にして苦々しいものだが有益である。
経験を通してのみ、われわれは悩み、そして強くなることを学ぶ。
人格は試練によって鍛えられ、苦しみを通して完成される。
だから、人が忍耐強く思慮深ければ、
はかり知れぬ悲しみからも豊かな智恵を授けられるのである。
ジェレミー・テイラーは教えている。
「悲しいできごとや災いは、自分を向上させるための試練と考えよ。
 それはわれわれの気持ちを引き締め、節度ある考えをもたせ、
 軽率な態度をいましめ、罪深い行動から遠ざける。
 われわれは、不幸を通じてますます徳を高め智恵を働かせ、耐える心を鍛え、
 勝利と栄光を目ざしてひたすら前進しなくてはならない。
 逆境に遭わなかった人間ほど不幸な者はいない。
 本人がよい悪いではなく、その人は試練を受けていないからである。
 才能があるとか性格がよいというだけでなく、
 徳にあふれた行動こそ勝利の王冠にふさわしいのである」

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前半から。
このブログでも、何度か「孤独」をテーマに記事を書いてきました。
皆と繋がることが、さも良いことのようにとらえられがちな現代では、
「孤独」というものは、忌み嫌うべきことのように思われるかもしれません。
しかし、「孤独」だからこそ、成し得られることもあるのです。

私自身、「孤独」の中から、様々な学びや発想を得、
それを形に変え、人に感謝されるという経験をしています。
「精神の完成を目ざすには、孤独でいることが何より」と著者も言っているように、
誰かと一緒にいるときには、精神の完成は成し遂げられないのです。
一緒にいる誰かと向き合っていれば、自分とは向き合えません。
沈思黙考し、自分を深く探っていくという作業は、
「孤独」であればこそ、「孤独」でなければできません。
ただ、「心の狭い人」や「ケチな人間」にとって、
「孤独」は「苦痛を意味する」と著者は言います。
以前、就職するまで親元で過ごしていた相方が独身時代を振り返り、
「俺は寂しかったんやー!」と言ったことがあります。
私は、大学時代から一人暮らしを続けていましたが、
「孤独」でいることを、「寂しい」と感じたことはありませんでした。
詩作に耽ったり、読書を楽しんだり、充実した時間であったのです。

そして、後半。
「災いは姿を変えた幸せ」
「うまく生かせば、何倍もの幸せを手にできる」
と著者は言っています。
災いが降りかかってきた瞬間は、確かに辛いのだろうと思います。
私自身、大きな災害に見舞われた経験がないので、想像することしかできません。
でも、人生においては、様々な「災い」を通らなくてはいけない場面があります。
避けようと思えば避けられるかもしれないけれど、
避けたらまた別の災いや困難が私たちを必ず待っているのです。
であるならば、やはり、
「人格は試練によって鍛えられ、苦しみを通して完成される」わけですから、
この苦しみを、誰かに助けてもらわずに、自分の力で乗り越え、
素晴らしい人格を身につけるチャンスにしなければなりません。
ジェレミー・テイラーが言っているように、
「逆境に遭わなかった人間ほど不幸な者はいない」のです。

次回も、こちらの本からご紹介します。




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自分の人生を明るく演出できるのは自分しかいない

2019/05/19 (日)  カテゴリー/本のご紹介

今年は、5月から30度を超える暑さに見舞われ、
日本では体調を崩されている方も多いようですが、
皆さん、お元気でお過ごしでしょうか?

さて、今日もあちらの本からご紹介します。
今日は、とっても勇気をもらえると思います!

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◆自分の人生を明るく演出できるのは自分しかいない
同時にまた人生は、その大部分を自分自身でつくっていくものである。
一人ひとりがそれぞれの心という大地の上に小さな世界を創造するのだ。
明るい心の持ち主は楽しい人生を送り、不満だらけの人間は惨めな人生を送る。
「心は私の天国である」という言葉はすべての人に通用する。
たとえ貧しくても、あるものは王者の心を持ち、
たとえ王であっても、ある者は奴隷の心を持つ。
人生はその大部分が自分自身を映す鏡にすぎない。
善良なものにとって世の中は善であり、悪人にとっては悪なのである。
人生とは世の中に役立つよう努力をする場所、
健全な思想を持って正しい生活を送り、
自分自身のためばかりでなく他の人たちの幸せをも願って働く場所である。
こういう人生観を持つようになれば、
希望にあふれた楽しい生き方ができるにちがいない。
しかし、もしも反対に、人生を、
自己だけの利益と快楽と富を追求するチャンスだと思うなら、
そういう人にとって、それは労役と失望の連続に終わってしまうことだろう。

◆今この場で“本分”を尽くす!
人間は生きている間に、世の中の一員として
自分がやらねばならないことを忠実に果たさねばならない。
このことは価値ある人生の目的であり終極である。
ここから真実の喜びが生まれる。
この自覚は何にも増して人に満足感を与え、
それがなければ後悔と失望の念に駆られるだろう。
そして地上におけるすべての役目を果たし終えた時、
かいこが小さな繭をつくって死んでいくように、われわれも息絶えてゆく。
だが、たとえ地上での生活がはかなく短いものであっても、
われわれは定められた場所で大きな目的に向かって
力の限りを尽くさなければならない。
その大任を無事果たすことができれば、肉体の死など、
ついに手にした不滅の魂に比べればものの数ではないのだ。

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如何でしょう?
お読みになって、既に勇気がむくむくと湧いてきた方もいらっしゃるのでは?

まずは、前半から。
ここで特に印象劇なのは、
「人生はその大部分が自分自身を映す鏡にすぎない」という言葉。
幸せな人生にしたければ、幸せを感じ取れる能力を伸ばさねばなりません。
不幸な人生にしたいなら、不幸に敏感でいればいいのです。
自分がどういう価値観で生き、どういう考えを持ち、
どういう人生を作ろうとし、そしてその覚悟をするか否かは、
すべて時代や他人や周りの状況に依存するのではなく、
自分自身にかかっているのだということを、肝に銘じればいいのです。

今の私は、死に際に「ああ、いい人生だった」と言いたいという思いが強く、(笑)
毎日をどう生きれば、その言葉を言えるかな~?と考えながら、
思い付く限りを実践しつつ、幸せに生きられているように感じます。
食生活を含めた生活改善を実施し、適度に運動し、
常にポジティブに物事を考えようと努力し、口角を上げて笑顔を作り、
通りすがりの方とも、オランダ在住時のように挨拶し、
季節の移ろいなど、自然がもたらしてくれる「生」に対する喜びを味わい、
自分のためではなく、世のため、人のために生きるように努める。
すると、本当に、毎日が幸せに満ち溢れてきます。
他人から見れば、不幸な生活にしか見えないかもしれません。
でも、そんなことは、どうでもいいのです。
人から幸せそうに見える生活を送るのではなく、
自分自身が心の底から幸せと喜びを感じられる生き方ができていれば、
それが、本当の「幸せな人生」だからです。

そして、後半。
「人間は生きている間に、世の中の一員として
 自分がやらねばならないことを忠実に果たさねばならない。
 このことは価値ある人生の目的であり終極である」
とありますが、これは本当にその通りだと思います。
つまり、「働いて税金を納める」という基本的なことは当然として、
各人が生まれながらに与えられている「使命」を見つけ、
その「使命」を果たそうと、力の限りを尽くすことができれば、
「真実の喜びが生まれる」と著者が言っているわけです。

「自分がやらねばならないこと」をやっているつもりでも、
そこに「喜び」が伴っていなければ、それは、
自分に任された「使命」を生きていないということです。
つまり、「使命」がまだ見つかっていない状態か、
「使命」を探そうともせず、ただ漫然と生きているか、
どちらかの状態ではないでしょうか。

「肉体の死など、 ついに手にした不滅の魂に比べれば
 ものの数ではない」と著者が言うように、
一体「自分」とは、何を指して「自分」というのか?という問題を、
真剣に考えて、その答えが見つかった人たちにとっては、
「肉体」よりも「魂」の重要さがどれほど大きなものであるか、
この真実を理解できるようになるのでしょう。

以上で、こちらの本からのご紹介は終わりです。




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揺るぎない自信を育む

2019/05/27 (月)  カテゴリー/本のご紹介

あっという間に、令和元年の初月ももう終わり。
早いですね~。

今月、私はなかなか劇的で充実した時間となりました♪
令和の最初の月、平成で溜まりに堪った“澱”のようなものを捨て去り、
新たな人生の1歩を踏み出したような、清々しさがあります。

さて、今日からご紹介するのはこちら。

がんばらなくていいんだよ


比叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行した行者で、大阿闍梨として有名な、
故・酒井雄哉氏の本です。

この著者の本は、これまで数冊読んでいますが、
今回ご紹介するのはこちらの本です。

では、いつものように、印象的だった個所を。

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第三章 揺るぎない自信を育む
●厚情をかけすぎると、自立心がなくなる
(略)
親がお土産を選び終えて「帰ろう」と言うと、子どもは「これ買って!」と言うんだよ。
「そんなの、いいの。家にあるからええ」と親が言うと、
親がトットットットッと向こうへ行っても、子どもは「イヤーッ」と叫んで、
その場で泣きわめき続けていた。
親はしょうがないと思ったんだろうね。
戻ってきて、子どもが欲しがっていた物をとうとう買ってしまったんだ。
僕はそれを見ていて、
「あの子が大人になったとき、
 自主性や自立性が十あるうちの三ぐらいしか育っていないまま、
 あとは人に寄っかかって、騒いで頼みこむことで、
 自分を救ってもらおうとする人間になってしまうんじゃないかな」と思ったんだ。
最近の子どもは、騒げばなんとかなるという考えが、
幼少期からできてしまっているんだよね。
(略)
戦後のまだ貧しいころは、なかなか欲しいものも買ってもらえなかった。
たとえば本屋さんで、「こんなほんがあるのかぁ。読みたいな。
だけど親は買ってくれないし、お金も小遣いもない。
それじゃあ、立ち読みで今日はここまで読んで、明日また続きを読みに来よう」と
本屋さんに通って立ち読みをしている途中で、
その本が売れてしまって続きが読めなくなったら、本当に残念だと思うよね。
そして、本が欲しいと思った気持ちは、何年経ってもずっと心のどこかにあるんだ。
だから、自分の子どもや孫が何か欲しがっているのを見ると、
自分が学生時代に本を欲しがった気持ちを思い出して、
目の前の子どもとそのときの自分がだぶって見えるんだよ。
自分の気持ちが乗り移ってしまうから、
「いま、あいつもそんな気持ちでいるんじゃないかな」と思って、
いじらしくなってしまう。
それで、つい買ってあげてしまうんだよね。
祖父母や親が、自分のできなかったことをしてあげようと、
子どものためにお金をどんどん使うんだ。
(略)
子どもはそんなことをしてもらっているうちに、周りの人に寂しそうな姿を見せれば、
みんながなんとかしてくれるんだと思うようになるんだな。
そういう子は、大人になっても、ちょっと困ると、自分で難局を開いていくのではなく、
すぐに親や兄弟のところへ行って助けてもらうんだ。
そういう意味で、甘やかされて育った子は、何でも人に頼ってしまう危険があるんだよ。
結局、自信がない子や自立心のない子が育つというのは、
甘やかして育てた親にも責任があるんだよね。
だから、子どもが駄々をこねはじめたときには、「またはじまったか!」と親が怒って、
子どもの要求を突っぱねないといけない。
子どもが「なにくそ、このおやじ! いまに見ていろよ。働いて自分で買ってやるわ!」
と思うくらいの根性を、植えつけるように育てていけばいいんだよ。
厚い情けだとか、情を表す「厚情」という言葉があるけど、
ベタベタしたり、甘やかしたりするだけが愛情や人情ではないんだ。
相手の言うことをなんでも「はいはい」と聞くのではなく、
必要に応じて突っぱねるという、「薄情の道」があることを忘れてはいけないよ。
薄情の道を選ぶことは、長い目で見たら、その子のためになるんだからね。
(略)
大人が薄情の道を選んだとしても、子どもがへこたれずに、
反骨精神やハングリー精神を培えれば、それはどちらにとっても人情の道になるんだよ。
怒るときは怒って、正すときは正してやるのが本当の人情だと思うからね。
(略)

===============================

如何でしょうか?
この話に登場する子供と同じような育てられ方をした方も、多いかもしれませんね。
私は、全くの逆の育てられ方でしたが…。(笑)

私は、こういう育てられ方をした男性が大人になった時、
自分の思い通りに妻が従わないことに腹を立て、
身体的暴力やモラハラを、平気で繰り返した揚句、
自分が先に手を妻に出したにもかかわらず、
「あっちが先に手を出したんだ! 俺は被害者だ!!」と虚言を言い触らし、
まるで妻が加害者であるような印象操作を巧みに行い、
世間を味方につけ、本当の被害者である妻を窮地に追いやる天才とも言える、
「DV・モラハラ夫」が出来上がってしまうのだということを、確信しています。

「駄々をこねさえすれば、自分の要求は通る」という誤った確信を抱いて育つと、
本当に、ろくな大人になりません。(涙)
結婚前に、そういうところを見抜くことができればいいんですけどね~。
こういう人間は、結婚までは
「純粋で朴訥で、嘘なんてつけなさそうな」面しか見せないので、
大抵の女性は、すっかり騙されてしまうのだろうと思います。

私は子どもを産んでもいないし、育てもしていないので、
偉そうなことは言えませんが、今子育て真っ最中のお父さん、お母さん方、
また、おじいちゃん、おばあちゃん方も含め、
どうか、DV・モラハラ夫になるような息子さんを、作らないで頂きたいと思うのです。
つまり、今日ご紹介した個所にあるように、
「自信がない子や自立心のない子が育つというのは、
 甘やかして育てた親にも責任がある」ということを、是非肝に銘じて頂きたい。

「ベタベタしたり、甘やかしたりするだけが愛情や人情ではない」
「相手の言うことをなんでも『はいはい』と聞くのではなく、
 必要に応じて突っぱねるという、『薄情の道』があることを忘れてはいけない」
「薄情の道を選ぶことは、長い目で見たら、その子のためになる」
という、著者の言葉を是非、心のどこかに刻んで頂ければと思います。

将来、息子さんや娘さんが、幸せな家庭を築けるかどうかは、
子育てに関わる全ての人たちの「本当の人情」にかかっているのです。

私は、駄々をこねようが、何をしようが、欲しい物は自分で買わないと
手に入らないような育て方をされたおかげで、(笑)
反骨精神やハングリー精神が、相当強い人間になりました。
男性が「守ってやりたい」と思うような魅力には欠けているかもしれませんが、
でも、一人きりで、自分の足でしっかりと立って、
つまり「自立」して生きていけるだけの精神力が備わっています。
人間は、一人で生まれ、一人で死んでいくのです。
だから、「自信」「自立」というものは、とても大切だと思います。




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