今回の大震災は、阪神大震災を超える大規模な被害を出しました。
私は阪神大震災が起こったときには、東京で暮らしていましたので、
実際には、あの地震を経験していません。
ただひたすらテレビの前で、自分の無力さを嘆き、
毎日泣き暮らしていたことを覚えています。
私の実家は、生まれた時から裕福ではありませんでしたので(笑)、
いつも母から、「あんたは国公立しか行かれへんねんで!」と言われ続け、
小学校、中学校は市立、高校は大阪府立、大学は国立大学を出ました。
裕福な家庭ではないということはつまり、大学時代は仕送りが全く無く、
毎日6時間一生懸命働きながら、何とか大学を卒業しました。
当時は、4畳半、トイレ共同、風呂なし、築21年木造モルタルの、
“いつ倒れてもおかしくない”ような女性専用アパートで暮らしていました。
蛇口からはもちろん水しか出ませんし、しかもその水は赤いさび色…。(汗)
さびを沈殿させてから上澄みだけを使うしかありませんでした。
またお勝手は超狭くて、1口ガスコンロしか置けませんでしたし、
電子レンジを使うとブレーカーが落ちるので、レンジも置けず
裸電球の下で料理をするという、なかなか大変なド貧乏暮らしをしておりました。
学校から帰るとすぐ、ダッシュでバイト先へ向かい、
お店(食事付きの飲食店)で夕5時~夜11時まで働く毎日を繰り返していました。
もちろん、授業の関係でランチタイムでも働ける時には働いていましたし、
土・日も単発のアルバイトをしていましたが、月に稼げるのは15万円ほど。
ここから家賃や電話代、食費などの生活費はもちろん、
親のために貯金をしながら、何とか生活をしていました。
(因みに当時の国立大学の授業料は、年間約34万円でした)
こんなに忙しい毎日でしたので、実は銭湯に通うのが難しかったんです。
アパートの近くに銭湯はあったのですが、夕方4時開店で午前0時閉店。
時々、バイトから急いで帰ってきて、またダッシュで銭湯へ行き、
夜11時半頃に到着し、銭湯のおばさんが洗い場の床にブラシをかけているのを見ながら、
お風呂に入ったことも何度もあります。因みに当時の料金は、280円/回でした。
さすがに毎回これでは辛いので、大学の友達(数名)が、
自分のアパートの鍵を貸してくれて、お風呂を使わせてくれていました。
彼女達が授業中で私は授業の無い時など、お昼前とか、午後1時過ぎとか、
変な時間にお風呂に入れてもらうこともありましたし、
夜遅くにお風呂を借りに行くこともありました。
(もちろん些少ですが、お代はお支払していましたよ)
時間に追われ、生活に追われ、学業に追われる忙しい日々。
郵便局にお金を下ろしに行くタイミングさえ見つからないほど、
売れっ子アイドル並に(笑)、分刻みのスケジュールの毎日の中、
彼女達にどれほど助けられたか分かりません。今でも物凄く感謝しています。
そのうちの1人、大学卒業後、実家の八戸市に戻って小学校の先生をしていた友人が、
阪神大震災が起きたのも知らず、疲れて眠りこけていた東京の私に、
朝6時半頃電話をくれて、震災があったことを教えてくれました。
彼女のおかげですぐに実家と連絡が取れ、無事を確認することが出来たのですが、
その後3日ほどは電話が通じなかったので、もし彼女からの電話が無ければ、
相当不安な日々を過ごしていたはず。私は再び、彼女に助けられたのです。
その彼女は、昨年子供を授かったばかり。
今回の被災地でもある青森県三沢市で暮らしているはずなのですが、
オランダへ行っている間にメルアドが変更され、連絡が取れない状態になっています。
今回もすぐメールしたのですが、メルアドが違っているので届かず。(汗)
彼女の八戸のご実家(泊めてもらったことがあります)は大丈夫だったのか、
彼女のお宅が無事だったのか、とても心配しています。
また、昔お風呂を貸してくれた別の友人は、現在岩手県宮古市で暮らしているので、
彼女のことも、とても心配しています。津波に遭っていないことを祈っています。
さて今日は、阪神大震災のときに作られたとても素晴らしい歌をご紹介します。
私はこの歌が大好きで、今でもこの歌を聴くと涙が溢れてきます。
関西の方なら、きっとどなたでもご存知の名曲なのですが、
この歌を、被災地である岩手で普及させようとしておられる方がいらっしゃるようです。
(ニュース記事は、こちら)
この曲は神戸の復興のために作られたものなので、
歌詞の中に「神戸」という言葉がありますが、
ここを「岩手」と歌い替えて、被災地で広めたいとお考えだそうです。
この歌は本当に素晴らしい歌なので、被災地にお住まいのお知り合いの方がおられたら、
是非、ご紹介なさることをお勧めします。きっと勇気付けられると思いますよ!
どんな歌かご存知ない方は、是非 ↓ をご覧下さいね。
~しあわせ運べるように~
(臼井 真 作詞・作曲)
地震にも負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
支え合う心と明日への 希望を胸に
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
地震にも負けない 強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
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私は阪神大震災が起こったときには、東京で暮らしていましたので、
実際には、あの地震を経験していません。
ただひたすらテレビの前で、自分の無力さを嘆き、
毎日泣き暮らしていたことを覚えています。
私の実家は、生まれた時から裕福ではありませんでしたので(笑)、
いつも母から、「あんたは国公立しか行かれへんねんで!」と言われ続け、
小学校、中学校は市立、高校は大阪府立、大学は国立大学を出ました。
裕福な家庭ではないということはつまり、大学時代は仕送りが全く無く、
毎日6時間一生懸命働きながら、何とか大学を卒業しました。
当時は、4畳半、トイレ共同、風呂なし、築21年木造モルタルの、
“いつ倒れてもおかしくない”ような女性専用アパートで暮らしていました。
蛇口からはもちろん水しか出ませんし、しかもその水は赤いさび色…。(汗)
さびを沈殿させてから上澄みだけを使うしかありませんでした。
またお勝手は超狭くて、1口ガスコンロしか置けませんでしたし、
電子レンジを使うとブレーカーが落ちるので、レンジも置けず
裸電球の下で料理をするという、なかなか大変なド貧乏暮らしをしておりました。
学校から帰るとすぐ、ダッシュでバイト先へ向かい、
お店(食事付きの飲食店)で夕5時~夜11時まで働く毎日を繰り返していました。
もちろん、授業の関係でランチタイムでも働ける時には働いていましたし、
土・日も単発のアルバイトをしていましたが、月に稼げるのは15万円ほど。
ここから家賃や電話代、食費などの生活費はもちろん、
親のために貯金をしながら、何とか生活をしていました。
(因みに当時の国立大学の授業料は、年間約34万円でした)
こんなに忙しい毎日でしたので、実は銭湯に通うのが難しかったんです。
アパートの近くに銭湯はあったのですが、夕方4時開店で午前0時閉店。
時々、バイトから急いで帰ってきて、またダッシュで銭湯へ行き、
夜11時半頃に到着し、銭湯のおばさんが洗い場の床にブラシをかけているのを見ながら、
お風呂に入ったことも何度もあります。因みに当時の料金は、280円/回でした。
さすがに毎回これでは辛いので、大学の友達(数名)が、
自分のアパートの鍵を貸してくれて、お風呂を使わせてくれていました。
彼女達が授業中で私は授業の無い時など、お昼前とか、午後1時過ぎとか、
変な時間にお風呂に入れてもらうこともありましたし、
夜遅くにお風呂を借りに行くこともありました。
(もちろん些少ですが、お代はお支払していましたよ)
時間に追われ、生活に追われ、学業に追われる忙しい日々。
郵便局にお金を下ろしに行くタイミングさえ見つからないほど、
売れっ子アイドル並に(笑)、分刻みのスケジュールの毎日の中、
彼女達にどれほど助けられたか分かりません。今でも物凄く感謝しています。
そのうちの1人、大学卒業後、実家の八戸市に戻って小学校の先生をしていた友人が、
阪神大震災が起きたのも知らず、疲れて眠りこけていた東京の私に、
朝6時半頃電話をくれて、震災があったことを教えてくれました。
彼女のおかげですぐに実家と連絡が取れ、無事を確認することが出来たのですが、
その後3日ほどは電話が通じなかったので、もし彼女からの電話が無ければ、
相当不安な日々を過ごしていたはず。私は再び、彼女に助けられたのです。
その彼女は、昨年子供を授かったばかり。
今回の被災地でもある青森県三沢市で暮らしているはずなのですが、
オランダへ行っている間にメルアドが変更され、連絡が取れない状態になっています。
今回もすぐメールしたのですが、メルアドが違っているので届かず。(汗)
彼女の八戸のご実家(泊めてもらったことがあります)は大丈夫だったのか、
彼女のお宅が無事だったのか、とても心配しています。
また、昔お風呂を貸してくれた別の友人は、現在岩手県宮古市で暮らしているので、
彼女のことも、とても心配しています。津波に遭っていないことを祈っています。
さて今日は、阪神大震災のときに作られたとても素晴らしい歌をご紹介します。
私はこの歌が大好きで、今でもこの歌を聴くと涙が溢れてきます。
関西の方なら、きっとどなたでもご存知の名曲なのですが、
この歌を、被災地である岩手で普及させようとしておられる方がいらっしゃるようです。
(ニュース記事は、こちら)
この曲は神戸の復興のために作られたものなので、
歌詞の中に「神戸」という言葉がありますが、
ここを「岩手」と歌い替えて、被災地で広めたいとお考えだそうです。
この歌は本当に素晴らしい歌なので、被災地にお住まいのお知り合いの方がおられたら、
是非、ご紹介なさることをお勧めします。きっと勇気付けられると思いますよ!
どんな歌かご存知ない方は、是非 ↓ をご覧下さいね。
~しあわせ運べるように~
(臼井 真 作詞・作曲)
地震にも負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
支え合う心と明日への 希望を胸に
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
地震にも負けない 強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
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Last Modified : -0001-11-30