今日は、三島由紀夫の言葉を紹介したいと思います。
三島由紀夫については、いまさらご説明申し上げる必要を感じませんので、
いきなりですが、彼が書いた「日本人の誇り」をご紹介します。
私も含め、海外で生活したことのある方は、
「自分は今、日本人代表としてここに存在している」という気持ちに、
なんとなくなってしまった経験がおありではないでしょうか?
「私の言動、行動ひとつで、日本人のイメージが決まってしまうのでは?」という
変なプレッシャーを感じながら、私は生活していたように思います。
そして、日本で暮らしていたときには特に意識しなかった、
「自分は日本人だ」という自覚がはっきりとし、
また「自分は日本を愛している」という気持ちに気付きました。
そんな、私と同じ経験をしている皆様にも是非、
今日ご紹介する言葉をご覧いただければと思います。
=================
【日本人の誇り】 三島由紀夫
一歩日本の外に出ると、多かれ少かれ、日本人は愛国者になる。
先ごろハンブルクの港に、日本船が日の丸を翻して入って来るのを見て、
私は感激のあまり夢中でハンカチを振りまわした。
「ああ、オレもいざとなればあそこへ帰れるのだな」という安心感を持つ。
私は巣を持たない鳥であるより、巣を持った鳥であるほうがよい。
私は十一世紀に源氏物語のような小説が書かれたことを誇りに思う。
中世の能楽を、武士道を誇りに思う。
日露戦争を戦った軍人の高潔な心情と、今次大戦の特攻隊を誇りに思う。
すべての日本人の繊細優美な感受性と、勇敢な気性との、
たぐいまれな結合を誇りに思う。
この相反する二つのものが、
かくも見事に一つの人格に統合された民族は稀である。
われわれの誇りとするところのものの構成要素は、
しばしば、われわれの恥とするところのものの構成要素と同じなのである。
きわめて自意識の強い国民である日本人が、
恥と誇りとの間をヒステリックに往復するのは、理由のないことではない。
だからまた、私は日本人の感情に溺れやすい熱狂的な気質を誇りに思う。
決して自己に満足しない絶えざる焦燥と、
その焦燥に負けない楽天性とを誇りに思う。
どこかになお、「ノーブル・サベッジ(高貴なる野蛮人)」の
面影を残していることを誇りに思う。
絶えず劣等感に責められるほどに敏感なその自意識を誇りに思う。
これらを日本人の恥と思う日本人がいても、
そんなことは一向に構わないのである。
===============
また、もう1つ、以前も一部をご紹介したことのある、
「果たし得ていない約束」という言葉も、ご紹介します。
===============
私の中の25年間を考えると、その空虚さに今さらびっくりする。
私はほとんど「生きた」とはいえない。
鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
25年間前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、
今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、
おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生じる偽善という
おそるべきバチルスである。
※ バチルス ; 社会などに害をなすもののたとえ
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終るだろう、
と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、
それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。
…この25年間、認識は私に不幸をしかもたらさなかった。
私の幸福はすべて別の源泉から汲まれたものである。
なるほど私は小説を書きつづけてきた。
…しかし作品をいくら積み重ねても、
作者にとっては、排泄物を積み重ねたのと同じことである。
…気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、というこである。
否定により、批判により、私は何事かを約束してきた筈だ。
政治家でないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、
政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を
私はまだ果たしていないという思いに日夜せめられるのである。
その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、
という考えが時折頭をかすめる。
…戦後民主主義の時代25年間を、否定しながらそこから利益を得、
のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている。
…私はこの二十五年間に多くの友を得、多くの友を失った。
…二十五年間に希望を一つ一つ失って、
もはや行く着く先が見えてしまったような今日では、
その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、
しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であったか唖然とする。
…私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないか
という感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、
ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、
或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、
私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
<サンケイ新聞 昭和45年7月7日 三島由紀夫>
===============
私は、彼に心酔したことは一度もありません。
(私が心酔しているのは、山本周五郎ですから~☆)
まあ、彼の作品の幾つかを読んだことはありますが…。
ただ、今日本の置かれている状況、状態を考えると、
彼が当時発していた言葉から、何か心に訴えてくるものを感じます。
確かに彼が言っていたように、今の日本は、
「無機的な、からっぽな、 ニュートラルな、中間色の、富裕な、
抜目がない、 或る経済大国」に成り下がったように思えるからでしょう。
皆さんは、如何でしょうか? 何か、お感じになりましたでしょうか?
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三島由紀夫については、いまさらご説明申し上げる必要を感じませんので、
いきなりですが、彼が書いた「日本人の誇り」をご紹介します。
私も含め、海外で生活したことのある方は、
「自分は今、日本人代表としてここに存在している」という気持ちに、
なんとなくなってしまった経験がおありではないでしょうか?
「私の言動、行動ひとつで、日本人のイメージが決まってしまうのでは?」という
変なプレッシャーを感じながら、私は生活していたように思います。
そして、日本で暮らしていたときには特に意識しなかった、
「自分は日本人だ」という自覚がはっきりとし、
また「自分は日本を愛している」という気持ちに気付きました。
そんな、私と同じ経験をしている皆様にも是非、
今日ご紹介する言葉をご覧いただければと思います。
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【日本人の誇り】 三島由紀夫
一歩日本の外に出ると、多かれ少かれ、日本人は愛国者になる。
先ごろハンブルクの港に、日本船が日の丸を翻して入って来るのを見て、
私は感激のあまり夢中でハンカチを振りまわした。
「ああ、オレもいざとなればあそこへ帰れるのだな」という安心感を持つ。
私は巣を持たない鳥であるより、巣を持った鳥であるほうがよい。
私は十一世紀に源氏物語のような小説が書かれたことを誇りに思う。
中世の能楽を、武士道を誇りに思う。
日露戦争を戦った軍人の高潔な心情と、今次大戦の特攻隊を誇りに思う。
すべての日本人の繊細優美な感受性と、勇敢な気性との、
たぐいまれな結合を誇りに思う。
この相反する二つのものが、
かくも見事に一つの人格に統合された民族は稀である。
われわれの誇りとするところのものの構成要素は、
しばしば、われわれの恥とするところのものの構成要素と同じなのである。
きわめて自意識の強い国民である日本人が、
恥と誇りとの間をヒステリックに往復するのは、理由のないことではない。
だからまた、私は日本人の感情に溺れやすい熱狂的な気質を誇りに思う。
決して自己に満足しない絶えざる焦燥と、
その焦燥に負けない楽天性とを誇りに思う。
どこかになお、「ノーブル・サベッジ(高貴なる野蛮人)」の
面影を残していることを誇りに思う。
絶えず劣等感に責められるほどに敏感なその自意識を誇りに思う。
これらを日本人の恥と思う日本人がいても、
そんなことは一向に構わないのである。
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また、もう1つ、以前も一部をご紹介したことのある、
「果たし得ていない約束」という言葉も、ご紹介します。
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私の中の25年間を考えると、その空虚さに今さらびっくりする。
私はほとんど「生きた」とはいえない。
鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
25年間前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、
今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、
おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生じる偽善という
おそるべきバチルスである。
※ バチルス ; 社会などに害をなすもののたとえ
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終るだろう、
と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、
それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。
…この25年間、認識は私に不幸をしかもたらさなかった。
私の幸福はすべて別の源泉から汲まれたものである。
なるほど私は小説を書きつづけてきた。
…しかし作品をいくら積み重ねても、
作者にとっては、排泄物を積み重ねたのと同じことである。
…気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、というこである。
否定により、批判により、私は何事かを約束してきた筈だ。
政治家でないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、
政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を
私はまだ果たしていないという思いに日夜せめられるのである。
その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、
という考えが時折頭をかすめる。
…戦後民主主義の時代25年間を、否定しながらそこから利益を得、
のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている。
…私はこの二十五年間に多くの友を得、多くの友を失った。
…二十五年間に希望を一つ一つ失って、
もはや行く着く先が見えてしまったような今日では、
その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、
しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であったか唖然とする。
…私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないか
という感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、
ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、
或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、
私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
<サンケイ新聞 昭和45年7月7日 三島由紀夫>
===============
私は、彼に心酔したことは一度もありません。
(私が心酔しているのは、山本周五郎ですから~☆)
まあ、彼の作品の幾つかを読んだことはありますが…。
ただ、今日本の置かれている状況、状態を考えると、
彼が当時発していた言葉から、何か心に訴えてくるものを感じます。
確かに彼が言っていたように、今の日本は、
「無機的な、からっぽな、 ニュートラルな、中間色の、富裕な、
抜目がない、 或る経済大国」に成り下がったように思えるからでしょう。
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Last Modified : -0001-11-30