これぞ、大和撫子!

2013/07/06 (土)  カテゴリー/政治関連

皆さんは、元拉致問題担当相をしていらした、
中山恭子さんをご存知でしょうか?
“大和撫子”とは、こういう人をいうのだろうな~と思わされる、
数々の素晴らしいエピソードをご紹介したいと思います。

今回も、いつも私が拝読している「ねずさんのひとりごと」という
ブログから、転載させて頂きます。

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西村眞悟先生が、昨年7月に宮崎で講演されたとき、
以下のお話がありました。平成14年当時のお話です。

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拉致被害者救出運動の中で、
内閣参与として中山恭子先生がおられた。
皆さんに申し上げておきますが、
今5名の拉致被害者とその家族は日本におりますが、
彼らが帰ってきた平成14年10月に於いて、日本国政府は、
彼らを一週間で北朝鮮に送り帰すと本気で思っておったんです。

拉致議連の我々も、もっと暴れねばならなかったけれども、
外務省の特命拉致担当大使とやらが、北朝鮮と約束したことですから、
送り帰さなければなりませんと言っておりました。

その時、政府側でただ一人、細い女性の声で、
拉致被害者を北朝鮮には帰さないという方針で
私はいきますと言われたのが、中山恭子先生でありました。
そして後で聞きましたら、政府内で孤立無援の中で、
国家のために送り帰してはならないという論陣を張られて、
安倍晋三内閣副官房長官もそれに同調して行ったというのが真実であります。

つい最近、産経新聞が6人の女性の議員の顔をならべて、
もし女性の総理大臣が出るならば、この中から出るであろうという
企画をしておりましたが、あの時に顔を並べておったのは、
みな政界のチイママクラスです。
アイアンレディーは中山恭子さんだけです。
もし女性の総理大臣がわが国から出るならば、
それは国家のために中山恭子先生でなければならないと思います。

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この続きの記事ですが、拉致被害者を救出するため、
当時の小泉総理や現安倍総理(当時は官房副長官)、中山恭子さんが
どのような作戦を取ったのか。その詳細を知ることが出来ます。
ただ、大変長くなりますので、以下は記事の最後の【続きを読む】を
クリックしてご覧下さい。




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<とっても長い記事ですので、今日は、
 拉致問題に関する箇所だけをご紹介します>

1970年代から1980年代にかけて、
日本国内で不自然な形の失踪や行方不明事件が相次ぎました。
その中のひとりが横田めぐみさんです。

昭和52(1977)年11月15日、
いつものように家族とともに賑やかな朝食を食べ、
元気良く中学校に出かけていった横田めぐみさんは、
いつもの下校時刻になっても帰ってきませんでした。
お母さんも、お父さんも、心配で必死でめぐみさんを捜しました。
警察にも行きました。
けれど、ただの家出事件として受付られただけでした。

北朝鮮による拉致の疑いがあるとわかったとき、
ご両親は外務省にも掛合いました。
出てきた答えは、拉致問題の解決には北朝鮮との国交回復に10年、
交渉に10年、あわせて20年かかるというものでした。
けれど20年経っても、事態は何も進展しないままでした。

一方、拉致されめぐみさんは、拉致当日、40時間もの間、
北朝鮮に向かう船の船倉に閉じこめられました。
めぐみさんは、「お母さん、お母さん」と泣き叫び、
出入口や壁などあちこち引っかき、北朝鮮に着いたときには、
手の爪がはがれそうになって血だらけだったそうです。

事態が動いたのは、平成14(2002)年になってからのことでした。
米国が北朝鮮を疎み非難し、そのため北朝鮮の金正日総書記は
日本との関係改善を希望しはじめたのです。
日本は、小泉内閣で訪朝を決めました。
目的は「北朝鮮との国交正常化」です。

当時、古川貞二郎官房副長官が記者会見で語った言葉があります。
「拉致問題で何人が帰ってくるこないということではない。
そういうことがあればハッピーだが、
それよりまず国交正常化に対する扉を開くことに大きな意義がある」

外務省の槙田邦彦アジア局長も次のように述べています。
「拉致されたたった十人のことで日朝国交正常化がとまってもいいのか、
拉致にこだわり国交正常化がうまくいかないのは国益に反する」

日朝首脳会談は、その外務省の田中均アジア大洋州局長が
人脈を駆使してセットしました。
それは日本の総理が北朝鮮を訪問し、国交正常化と引き換えに、
大量のカネを北朝鮮に渡すというものでした。
要するに国が北朝鮮に頭を下げて朝貢し、カネを献上するかわりに、
商売をさせてもらう窓口を開いてもらおうという交渉です。
拉致被害者の問題は、その交渉に「むしろ邪魔になる」というのが、
当時の外務省の考えでした。

小泉総理は、日本を飛び立ちました。
その飛行機に同乗していたのが、当時官房副長官だった安倍晋三氏です。
その飛行機の中で、安倍氏ははじめて外務省の用意した
「日朝平壌宣言」を見せられました。
ところがその宣言の中には「拉致」という言葉は
ひとことも触れられていなかったのです。

安倍官房副長官は怒りました。
けれど、すでに宣言文は双方の事務レベルでの合意に達しているという。
このままではいけない。

安倍副長官は、小泉総理に
平壌で拉致のことを話題にするよう、強く求めました。
小泉総理もこれを理解し、このことを訪問早々に話題にしました。
このとき北朝鮮側から帰ってきた答えが
「5人生存8人死亡1人未入国」というものでした。
あとでわかることですが、これは北朝鮮の苦し紛れのデタラメでした。
けれど、ともあれ5人は生存していることが「北」の発表となったのです。

けれど、同時に「8人死亡!」という報告は日本側に重い沈黙を生みました。
このとき安倍官房副長官は、小泉総理に
「厳しく抗議してください!」と進言しています。
小泉総理もこれを理解し、午前中の会談で、そのように北朝鮮側に述べました。
けれど北はそれを黙殺しました。

このままではいけない。
そう思った安倍官房副長官は、一計を講じました。
昼食の休憩のために控え室にはいったとき、安倍副長官は、
故意に大声で「拉致したという白状と謝罪がないのなら、
調印は考え直した方がいい。今すぐ帰りましょう!」と話し声をあげたのです。

びっくりしたのは、同じ部屋で昼食をとっていた面々でした。
安倍副官房長官が、なにやら食事中にひとりで大声をあげて、
いかにも会話をしているように一人芝居をはじめたのです。
周囲にいた日本側メンバーはみんな、
安倍さんが気でもふれたのかと、あっけにとられたそうです。
けれどこれは、安倍副官房長官が、
「そこが盗聴されていることを意識して」打った大芝居でした。

案の定、この声は、ものの見事に盗聴されていました。
そしてこのことは、北朝鮮にしてみれば実は大問題です。
日本からの経済援助金がなければ北は政権が崩壊する危機にあるのです。

そもそも北朝鮮国内では、相次ぐ凶作によって
多くの国民が餓死しているという状況にあるわけです。
そういう状況が許せないからと米国が、北への食料輸出等、
一切の国交関係を断つという制裁を加えてきたわけです。
ある意味、実にわかりやすい米国流、力の外交です。
食い物が欲しいなら、北の政権は俺たちの言うことを聞け!というわけです。

そこで北が講じた手段が、日本との国交正常化をネタにして、
日本からカネをもらって危機を脱するという手段です。
それを、日本の首相に「朝貢」させることで実現する。
そうすることで北は、すくなくとも北の国民の前では、金体制のもとに
日本さえも「かしづいてきた」と言えるし、カネも食い物も手に入る。
北にとっては一石が二鳥にも三鳥にもなる「絵」だったわけです。

ところが日本が怒って帰ってしまうとどうなるか。
北の金王朝の威信は傷つき、国民の信頼をもなくし、
カネも食い物も手に入らず、飢饉は一層深刻になる。
北は米国の軍門に下らなければならなくなる。

こうした背景事情を、十分に頭に入れ、
計算しての安倍服官房長官の大芝居だったわけです。
この結果、何が起こったか。

この日の午後の日朝会談で、金正日総書記が、
「拉致の事実を認め、謝罪した」のです。

安倍晋三副長官の、この発言が北の姿勢の変更につながったことは、
実際にこのときに盗聴を担当していた
脱北した元工作員の張哲賢氏も証言しています。

この北の謝罪が行われた日朝首脳会談が、
平成14(2002)年の9月17日です。
北が拉致を認めたことで、その後の拉致被害者に対する
日本への帰還交渉が一気に前進しました。
これには日本国内で拉致問題を扱ってきた
多くの活動家たちの努力があったことも見逃せません。

なにせこの時点まで、社民党の辻元清美政審会長などは、
自身のホームページ上で「(拉致問題は)新しく創作された事件というほかない」
とする平成13年11月に書いたレポートが掲載されたままだったのです。
また、原敕晁(ただあき)さんや地村保志さん夫妻、
横田めぐみさんを拉致した実行犯である辛光洙(シン・ガンス)の無罪釈放を
堂々と要求していたのが、後に首相となる村山富市や菅直人らでした。
要するに彼らは、「北朝鮮は地上の楽園」であり、
だから北朝鮮による「拉致などありえないし、
拉致だと騒ぐのは日本の右翼による捏造である」と強弁していたのです。

ところが、北朝鮮の金正日自身が、拉致を認め謝罪をしたわけです。
このことは、日本国内における拉致問題に関する関心を一気に高まらせました。
テレビも新聞も、連日、拉致被害者のことを報道しはじめたのです。
そして政府は、北の外交部との間で、
具体的な「生存者5名の日本への返還交渉」に入ったのです。

同時に政府としては、拉致被害者への対策を、政府として
「しっかりやっている」というポーズをとる必要に見舞われました。
これはひとつには、マスコミ対策という側面があります。
そしてもうひとつには、既存の対応組織である外務省では、
これまでの交渉経過からみて、
心もとないという判断も加わったかもしれません。

ただし、事は外交に関する事です。
拉致被害者家族担当の内閣官房参与の任命に際しては
外務省の意向もくみ上げ、北との会談の9日後の9月26日、
ウズベキスタンの特命全権大使を退任したばかりの中山恭子先生が、
当該参与に就任されたのです。

外務省の田中均アジア大洋州局長からしてみれば、
ウズベキの大使と、局長では、局長の方が上です。
つまり、中山恭子先生は部下であり、女性なわけです。
局長の意向を伺いながら、外務省側の立場でうまくやってくれる、
もしくは上手に使えるだろうという判断をしたのかもしれません。


内閣官房参与に就任された中山恭子先生の行動は、まさに迅速を極めました。
関係各国等に働きかけると、10月早々には地村保志さん富貴恵さんご夫妻、
蓮池薫さん、蓮池祐木子さんご夫妻、曽我ひとみさんら5人の拉致被害者を
堂々と、単身北朝鮮に乗り込んで、日本に連れ帰ってきてしまったのです。
これが10月15日の出来事です。

このときに、おもしろい話があります。

中山恭子先生は、北に単身乗り込まれたとき、日本から「和菓子」、
それも生菓子のおいしそうなお菓子を、重箱に入れ、
きれいな風呂敷包みにくるんでご持参されました。
北の空港に到着すると、そこではいわゆる
VIPルームのようなところに通される。

通されたはいいけれど、周囲には、
いかにも屈強そうな北のガードマン(?)のような猛者たちが
ぐるりととり囲み、全身からピリピリした警戒感を出しています。
要するに、針一本落ちただけで、銃撃戦がはじまりそうなくらいの、
まさに一触即発のような緊張した雰囲気に包まれていたのです。

周囲で男たちが、ピリピリしている。
そんな中で、中山恭子先生は、しずかに持参した和菓子のお重を
テーブルの上にあげると、そっと風呂敷包みを開き、
中のお重のフタを空けて、「日本から持参したんですよ。みなさん、
どうぞ召し上がって下さい」とにこやかに、薦められたのだそうです。

北の工作員(警備員?)たちは、中山恭子先生がお重を空ける間、
緊張して様子を伺っていました。
そしてお重が開き、中から、いかにも美味しそうな和菓子が出てきたとき、
目を見合わせました。

満足に食事がとれずに、お腹を空かせているとき、
甘いものは美味しいものです。しかも、日本の和菓子です。
見た目も美しいし、おいしい。

次々と和菓子に手が伸びたそうです。
そのときの北の工作員(警備員?)たちの、嬉しそうな顔と言ったら。。。

これには後日談があります。
中山恭子先生が日本に帰国後、北の外交部の人たちが、
中山恭子先生の執務室に尋ねてこられたそうです。
そのとき彼らが言った事。
「次回おこしになるときは、和菓子は絶対に持参しないでいただきたい!」
理由は、警備員の心がとろけて仕事にならなくなるからだそうです。


さて、話を戻します。
ここからが、またすごい話です。

中山恭子先生は、こうして北の警備員たちまで
すっかり中山恭子先生の虜にして、
北から拉致被害者5人を取り返してきたわけですが、
このときの北朝鮮の判断は、あくまで「一時的出国」を認めたにすぎません。
日本の外務省の判断も、あくまで「一時帰国」です。
つまり数日後には、また北朝鮮に戻すというものだったのです。

安倍副長官は、外務省の田中均アジア大洋州局長に
「5人を返さないでほしい」と言いました。
外務省の田中均アジア大洋州局長の答えは、
「それは困る。わたしと先方との信頼関係はどうなるのか」と反対しました。
そもそも、
「帰すと言う条件で帰国させたのだから、約束は守らなければならない」
帰さないとなれば、田中均アジア大洋州局長の
「顔がつぶれる」というわけです。

安倍晋三官房副長官は言いました。
「田中さん、5人の帰国はあなたの信頼関係のおかげかもしれない。
けれど外務省が、日本に残ることを希望している5人を
勝手に連れ出すわけにはいかないでしょう」
そうなのです。事前に帰国した5人へのヒアリングの結果、
5人とも「日本に残りたい」と明言していたのです。

けれど「国と国との約束は守らなければならない」というのが
田中均アジア大洋州局長の理屈です。
会議はこう着状態となりました。

そしてこのとき、発言したのが、中山恭子先生でした。
「局長、貴方がやっているのは外交ではありません。
北朝鮮へのお願いです。外交官ならお願いをやめて外交をやりなさい。」

これを聞いた田中局長は怒りに顔を染めたといいます。
外務省内部では、中山恭子先生が部下です。
そして女性だから、くみしやすいだろうと参与に推薦したのです。
さらに帰国させる側だった福田康夫官房長官も安倍副長官、
中山恭子内閣官房参与に怒り、机をたたいて激昂したといいます。

けれど中山恭子先生は明快でした。
「拉致という犯罪によって奪われ、その犯罪者から被害者を
取り返してきたのに、これをまた犯罪者に返すというのは、
道理が通らないのではありませんか」と、静かに道理りを尽くされたのです。

怒ろうが、怒鳴ろうが、この中山先生の発言には、誰も反論できません。
あたりまえです。泥棒に持ってかれた宝石を、ようやく取り返してきたのに、
これを再び泥棒に返すなど前代未聞の珍事です。
まして帰国した被害者自身が、日本に残ることを希望している。
それを返したら、それこそ日本は未来永劫、世界の笑い者です。

ここが官僚や、足して二で割るだけの政治家と、
民衆の盾となれる真のリーダーとの格の違いだろうと思います。
この中山恭子先生のひとことが、
連れ戻した拉致被害者の運命を決定づけたのです。

かくして総理の決断は下されました。
「返さない!」
こうして5人は、晴れて、永久帰国となりました。

拉致被害者の救出は、以上のように安倍晋三現内閣総理大臣と、
中山恭子現参議院議員のお二人の活躍がなければ起こりえなかったことです。

そしてこのお二人に共通しているのは、国民を守るという明確な国家観です。
その鋼鉄の意思があるから、見るべきものがちゃんと見える。


~続きは、明日の記事へ~


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