オランダ生活お役立ち情報~庶民的生活~

約1000記事にも及ぶオランダ関連記事を掲載しています。詳しくは、右の列「カテゴリ」をご覧下さい♪
Top Page › ☆☆是非ご覧頂きたい記事 › 歴史・教育 › 日本を賞賛していた外国人たち
2013-07-15 (Mon) 11:00

日本を賞賛していた外国人たち

今日は、日本では三連休の最終日。
主人は今日は出勤なので、我が家は通常通りです。
朝から、お天気が今ひとつなのですが、
洗濯を始め、先ほどようやく干し終わりました。(笑)

さて今日は、先日「これぞ、大和撫子!」というタイトルの記事で
ご紹介した中山恭子さんのネタ、続編です。

今回の参議院選挙を戦っておられる中山恭子さんですが、
産経新聞80周年「国民の憲法」要綱が発表されたことを受け、
たたずまいの美しい国、日本へ」というタイトルの寄稿を
産経新聞【正論】に寄せられているのを見つけましたので、
このブログでご紹介したいと思います。

少々長いものですので、一部抜粋してご紹介します。

===============

敗戦後の日本で、民主主義、多数決、個人主義、
人権といった概念は絶対の真実のように考えられた。
だが、例えば、個人主義が徹底した社会は非常に孤独な社会になりがちで、
決して好ましい社会の有りようではない。
日本が大切にしてきた家族の温かさ、その何ともいえぬ温もりある社会は
長い年月をかけて培ってきたものであり、決して失いたくない。

人権についても、その単語自体はなかったものの、
日本人は常に互いに他を思いやり遠慮し合いながら生きてきた。
そこには、生きとし生ける者への慈しみの心があり、
西洋の人権をはるかに超えた概念が包含されている。

個々の社会、地域が育んできた文化は固有の価値があり、
尊重されるべきものである。
国際法を遵守しつつ、法の在り方は各々の文化を基にしたものであってよい。

ハンチントン氏は世界の文明を8つに分け、キリスト教、
イスラム教文明と並び日本は一国で一文明を有していると書いた。

日本が長い歴史の中で多種多様の異文化も咀嚼し熟成させた文化は、
豊饒さと包容力を誇る。
湿潤な風土は、物事を白か黒かで割り切ることのない精神性も育んできた。
その日本文化は21世紀、ポストモダンの時代に
国際的に大きな存在感を示し平和に貢献し得る。
我々は自らの歴史と文化の深みと価値に気付かねばならない。

---------------

和を重んじ、家族を大切にし、嘘をつかず、
卑怯を恥とし、清潔に規律正しく暮らす。
素朴な徳目を、日本人らしい立ち居振る舞いを、
国民一人一人が思い起こし実践することで
国全体のたたずまいまで美しくなると信じている。

憲法とは物の根底の事柄を扱うものであり、
法律で対応可能な項目はできる限り
法律に委ねるのが日本の風土に合致する。

===============  (抜粋終わり)


日本を離れ、海外で生活した経験がおありの方は、
恐らく「日本って、すごい国だったんだ!」と、
驚いたことがおありではないでしょうか?

外食にしても、文房具にしても、電車の正確さにしても、
言い出したらキリがありませんが、
日本がどれほどきめ細かい心遣いが行き届いた国なのか、
日本を離れて初めて気付かされましたよね。

日本という国に、日本人であるということに、
正直、自信を持てないように教育されたり、
マスコミを通じて洗脳されて育ってしまった私たち。
しかし、本来の日本という国、日本人というのは、凄いんです!

日本人が、本来持っていた「日本人らしさ」をきちんと取り戻せば、
遠い昔、日本を訪れた外国人たちが賞賛した日本の姿に、
戻れるのかもしれません。


☆初代駐日公使 タウンゼント・ハリス
「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。
 一見したところ、富者も貧者もない。
 ----これが恐らく人民の本当の姿というものだろう。
 私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、
 果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、
 疑わしくなる。

 私は質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけるよりも多く
 日本において見出す。
 生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、
 現在の日本の顕著な姿であるように思われる」

☆明治10年代に東京大学のお雇い教授を務めた
 アメリカの動物学者・エドワード・モース
「実際に、日本の貧困層というのは、アメリカの貧困層が有する
 あの救いようのない野卑な風俗習慣を持たない。
 日本にも雨露を凌ぐだけという家々が立ち並んでいるが、
 しかし、そのような小屋まがいの家に居住している人々は
 ねっから貧乏らしいのだが、活気もあって結構楽しく暮らしているみたいである」

☆維新前後に2度、日本を訪問した英国人W・G・ディクソン
「私は日本旅行のすべてにおいて、二人の男が本当に腹を立てたり、
 大声で言い争ったりしたのを見たおぼえがない。
 また、中国では毎日おめにかかる名物、つまり二人の女が口論したり、
 たがいにいかがわしい言葉を投げつけあったりしているのも一度も見たことがない」

☆明治1874年から翌年にかけて、東京外国語学校でロシア語を教えた
 レフ・イリイッチ・メーチニコフ
「この国では、どんなに貧しく疲れきった人足でも、
 礼儀作法のきまりからはずれることがけっしてない。
 ・・・わたしは江戸のもっとも人口の密集した庶民的街区に
 2年間住んでいたにもかかわらず、
 口論しあっている日本人の姿をついぞ見かけたことがなかった。

 ましてや喧嘩などこの地ではほとんど見かけぬ現象である。
 なんと日本語には罵りことばさえないのである。
 馬鹿と畜生ということばが、日本人が相手に浴びせかける侮辱の極限なのだ」


他にもたくさんの外国人の方々が、昔の日本を訪問された際、
賞賛の声を上げられている資料が、たくさんあります。
現在の日本も確かに素晴らしいところもありますが、
昔々の日本の方が、もっともっと素晴らしかったのではないか…と思わされます。

さて、先ほどご紹介した、中山恭子さんの「たたずまいの美しい国、日本へ」
全文を読みたい方は、この記事の最後にある【続きを読む】をクリックすると、
ご覧頂けますので、是非どうぞ。





~~あなたのクリックが、元気の源です!~~
この2つのバナーを1回ずつ押して下さると、更新の励みになります♪
   ↓↓↓↓↓↓↓↓ 
 にほんブログ村 海外生活ブログ オランダ情報へ ← オランダのブログがいっぱい!
  ← ヨーロッパのブログがたくさん!


 ■たたずまいの美しい国、日本へ

 「独立自存の道義国家」を目指す「国民の憲法」要綱が発表された。一国民としてはむろん、北朝鮮による拉致問題に関わってきた者としても心から歓迎する。

 ≪国民を守る国家の意思≫

 横田めぐみさんが拉致された1977年当時、日本海側に北朝鮮工作船が頻繁に出没し、警察当局は沿岸警戒態勢を取っていた。北朝鮮工作船の暗号電波を傍受し、協力者宅からは拉致の指示と解析される乱数表も押収されていた。当初から北朝鮮による拉致の疑いが濃厚との情報を得ていながら、何らの対応もしなかった。

 なぜか。当時の日本に国家が国民を守るとの基本的な意思が欠落していたからと言えよう。拉致問題は多くの家族に深い悲しみと苦しみを与えながら、三十年余を経てなお解決をみていない。

 戦後日本は「情報」は悪との風潮に支配され、国際情報機関を持たぬまま今に至る。「情報」は、武力に訴えずして平和を維持するために必須である。拉致問題に関わっていて、日本が情報機関を備えて各国と交渉できていれば、との痛切な思いがあった。一刻も早く国際情報を扱う組織を創設し、人材を集め育成せねばならない。「独立自存」への第一歩だ。

 ≪文化に根差した独自の憲法を≫

 今後の日本社会の基本となる憲法は、現行憲法の条文ごとの改正ではなく、日本が育んできた文化に根差した、日本国民自らが熟慮し制定する独自の憲法でなければならない。20世紀、世界を席巻した西洋近代文明があたかも普遍的であるかの如(ごと)く捉えられてきた。日本も西洋文明から多くを取り入れたが、全てが普遍的に正しいわけでもないという点を、改めてじっくりと考える必要がある。

 敗戦後の日本で、民主主義、多数決、個人主義、人権といった概念は絶対の真実のように考えられた。だが、例えば、個人主義が徹底した社会は非常に孤独な社会になりがちで、決して好ましい社会の有り様(よう)ではない。日本が大切にしてきた家族の温かさ、その何ともいえぬ温(ぬく)もりある社会は長い年月をかけて培ってきたものであり、決して失いたくない。

 人権についても、その単語自体はなかったものの、日本人は常に互いに他を思いやり遠慮し合いながら生きてきた。そこには、生きとし生ける者への慈しみの心があり、西洋の人権をはるかに超えた概念が包含されている。

 個々の社会、地域が育んできた文化は固有の価値があり、尊重されるべきものである。国際法を遵守(じゅんしゅ)しつつ、法の在り方は各々の文化を基にしたものであってよい。

 ハンチントン氏は世界の文明を8つに分け、キリスト教、イスラム教文明と並び日本は一国で一文明を有していると書いた。

 日本が長い歴史の中で多種多様の異文化も咀嚼(そしゃく)し熟成させた文化は、豊饒(ほうじょう)さと包容力を誇る。湿潤な風土は、物事を白か黒かで割り切ることのない精神性も育んできた。その日本文化は21世紀、ポストモダンの時代に国際的に大きな存在感を示し平和に貢献し得る。我々は自らの歴史と文化の深みと価値に気付かねばならない。

≪道義国家を体現した抑留者≫

 大使として3年を過ごしたウズベキスタンの首都タシケントに、ナヴォイ劇場という素晴らしい建築物がある。壁面のプレートに、「45年から46年にかけ極東から強制移送された数百人の日本国民がこの劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」と刻まれている。「日本人捕虜」という表現を、91年、ソ連からの独立後初の外交案件として「日本国民」に改めたとカリモフ大統領から伺ったことがある。「日本と戦争したこともなければ日本人を捕虜にした覚えもないから」との理由である。

 シベリアに抑留され中央アジアで重労働に従事させられた「日本国民」の働きぶり、生活ぶりは現地の人々に感銘を与え、今も語り継がれている。66年に首都を大地震が襲い、周りの建物は全て崩壊したにもかかわらず、この劇場はびくともしなかったという。

 戦争に負け帰国できるかすら分からない中にあってなお、若者達は日本人として恥ずかしくないように陰日向(かげひなた)なく働き、良い物を残した。彼らは各地で任務に就いていた混成部隊である。当時の若者達に、「お天道様が見ている」という教えが家庭や社会を通じて広く浸透していた証左だろう。

和を重んじ、家族を大切にし、嘘をつかず、卑怯(ひきょう)を恥とし、清潔に規律正しく暮らす。素朴な徳目を、日本人らしい立ち居振る舞いを、国民一人一人が思い起こし実践することで国全体のたたずまいまで美しくなると信じている。

 その意味で「国民の憲法」要綱は示唆に富む。さらに言えば、憲法とは物の根底の事柄を扱うものであり、法律で対応可能な項目はできる限り法律に委ねるのが日本の風土に合致する。西洋の法理論に則(のっと)った多くの条文と章建てを前提とせず、日本独特の雰囲気を湛(たた)える憲法の制定に動き出そう。(なかやま きょうこ)

関連記事
Last Modified : -0001-11-30