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2013-08-07 (Wed) 17:00

日本への原爆投下について、知っておくべきこと

昨日8月6日は、広島に原爆が投下された日。
そして、明後日8月9日は、長崎に原爆が投下された日です。
私は昨日午前8時15分、一緒に黙祷を捧げました。

さて、世界で唯一の被爆国である日本ですが、
2度も、非人道的な「核兵器」を使用されたわけです。

「原爆を投下されたこと」について、
次のように思っている方が多いのではないでしょうか。

「原爆投下がなければ、当時の日本軍部の暴走は止められなかった」
「アメリカは原爆投下によって太平洋戦争を早期に終結させ、
 本土決戦で想定される100万人以上のアメリカ兵と多くの日本人の命を救った」

果たして、本当にそうだったのでしょうか。
皆さんは、日本に投下された原爆が、2種類あったことをご存知でしょうか?
広島に落とされたものと長崎に落とされたものは、別の種類の原爆だったのです。
これが、どういう意味を持っているのか?

今日は、私がいつも拝読している「ねずさんのひとりごと」というブログから、
抜粋してご紹介させて頂きたいと思います。

=========== (抜粋開始)

8月6日に広島上空に投下された通称「リトルボーイ」は、
「ウラン235型原爆」です。
8月9日に長崎に投下された通称「Fat Man」は、
「プルトニウム型原爆」です。
二つは、まったく異なる種類の原爆です。

ーーーー

この2つの爆弾の「種類が違っていた」という事実そのものに、
実はたいへんに大きな意味があります。
広島、長崎に原爆が投下されたあと、米国で原爆開発の
マンハッタン計画を担当した ロス・アラモス研究所は、
二つの原爆投下について、次のように公式に述べています。

「我々は、史上二度の『原爆実験』に成功した。」

「実験に成功した」と述べているのです。
あの二度にわたる原爆が「実験」です。
つまり、「実験」だからこそ広島と長崎には、
それぞれ種類の異なる原爆が投下されているのです。

ーーーー

終戦後の昭和20年9月に日本に訪れた、米国戦略爆撃調査団が書いた
「最終報告書」という資料があります。
トルーマン大統領に提出された公式な報告書です。
~~~~~~~~~~~~~
たとえ原爆が 投下されなかったとしても、
ソ連が参戦しなかったとしても、
本土上陸作戦が行われなくても、
日本は非常に高い確率で九州上陸作戦の決行予定日である
昭和20年11月1日から、12月31日までの間に、確実に降伏したであろう。
(U.S Strategic Bombing Surbey,
Summary Report ( Pacific War ) ,1946、の26頁)
~~~~~~~~~~~~~

原爆を投下しなくても、「日本は確実に降伏したであろう」と書いてあります。
実はここに原爆投下が「実験」として行われた重大な意味が隠されています。

ーーーー

ここで、点と線が繋がります。
つまり米国はこの時点で、「米国が日本に何をしても、
絶対に日本から報復を受けるおそれがない」と踏んだからこそ、
日本に対して原爆投下「実験」をしたのです。
原爆投下「実験」をした最大の理由は、ただひとつです。
それは、「その時点で日本に何をしても、日本からの反撃や
報復攻撃を受ける可能性は皆無だった」という事実です。

日本に原爆が投下された以降、世界各地で、戦争はたくさん起こりました。
けれど、いずれの戦争においても核が使われたことはありません。
なぜなら相手国に核を打ち込めば、自国がその報復を受けるからです。

ところが日本には、原爆が投下されました。
「実験」のためです。 なぜそれができたのか。
その時点で、日本に反撃能力がなく、
日本から報復される心配がまったくなかったからです。
反撃される心配がないから、日本人は、
実験材料としての「モルモット」にされたのです。

ーーーー

実は日本は、広島、長崎に原爆が投下される前に、
すでに日本では、原爆の開発を終えていたという事実です。
開発途上だったという人もいます。
そうではなく完成段階にあったという説もあります。
はっきりしていることは、その原爆(これを日本では新型爆弾と呼びました)は、
すでに使用できる段階にまで至っていたという事実です。

当時、軍の上層部は、この新型爆弾をもって
米国に乾坤一擲の大勝負を挑みたいと昭和天皇に上奏したそうです。
これは記録に残っている史実です。

けれど昭和天皇は、この上奏を却下しました。
そのとき昭和天皇は、次のようにおおせであったそうです。
~~~~~~~~~~~~~
その新型爆弾によって、
たとえ我が国の戦況が有利になることがあったとしても、
そのために、相互が新型爆弾の投下合戦にいたり、
結果、何百万もの無辜の民が死ぬようなことになるとしたら、
私はご先祖に申し訳がたたない。
~~~~~~~~~~~~~

陛下はそのように述べられ、原爆の製造の禁止を、
現下に却下しただけでなく、その開発の中止を命令されています。

ーーーー

日本はなぜ実験に使われたのか。
その答えは、「日本に報復能力がなかったから」です。

正義は日本にありました。
けれど、その正義は、「力」の前に屈服せざるを得ませんでした。

私たちは、そこから大切なことを学ぶ必要があると思います。
それは、正義には常に「力」が必要だ、ということです。
逆に「力」がなければ、人の命も道徳も正義も、
すべて踏みにじられてしまう。
それが、世界の真実だ、ということです。

そしてもうひとつ、たいせつなことは、昭和天皇が、
世界が核競争になることを未然に防ぐため、
技術レベルでは原爆を開発することができ、
それを米国に撃ち込むことさえできたにもかかわらず、
それを人類のためにと、却下されたということです。

ーーーー

歴史は、良いとか悪いとか、批判するものではありません。
そこで思考が停止するとろくなことになりません。
実際に起きた事実は事実です。
そのことをきちんと知った上で、二度と同じ過ちが起こらないようにする。
そのために必要なことは、なによりも自国の報復能力を
どこまでも確保しぬくという決意なのではないでしょうか。

=========== (抜粋終わり)

大変充実した内容の記事で、大変長いものですので、
全文ではなく一部を抜粋してご紹介しました。
今ご紹介した物以外にも、是非日本人として知っておいた方が良い
重要な史実も書かれているので、是非こちらで、
全文をご覧頂ければと思います。





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