昨晩は、連日続いている灼熱の酷暑のなかでは珍しく、
なんと!部屋の温度が30度♪と、とっても寝やすい夜でした。
ずっと、32~33度という室温が続いていたので、
扇風機だけで眠ると、何度も夜中に目を覚ます…という毎日でしたが、
昨晩は朝までグッスリ♪ しかも朝の室温は、29度♪
あ~、涼しかった!! (← 相当、感覚が麻痺していますね…汗)
さて、今日はここ数日、続けてご紹介していた竹田恒泰さんのご著書、
「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」から、
印象に残った箇所を引用させて頂きます。今回で、最後になります。
ではまず、第四章「和み~実はすごい日本の一流外交」から。
=========== (引用開始)
三十年戦争は人類史のなかでも最も破滅的な戦争の一つである。
ドイツ全土が戦場となり、ドイツの人口の3分の1にあたる
約600万人が命を落とし、村の六分の五が破壊された。
ーーーーーーーーーー
日本史上で最悪の損耗を生じさせた大東亜戦争ですら、
戦争犠牲者は人口の4パーセント未満である。
ーーーーーーーーーー
日本の合戦はいかに大規模なものでも、民間人が攻撃の対象とならないため、
戦争犠牲者の数は中国大陸や欧州のそれとは比較にならないほど少ない。
まして、三十年戦争などの宗教戦争に見られるような、
人口が何割も激減するような戦争は一度も経験したことがない。
しかも、非戦闘員を戦争に巻き込まない日本人の考え方は、近代に入って、
国家感で戦争を行うようになっても変わることはなかった。
我が国は明治時代以降も、大東亜戦争を含め、
非戦闘員を攻撃の目標にする作戦を立てたことはない。
日本が真珠湾攻撃で攻撃の目標にしたのは軍事施設であり、
非戦闘員を殺す意図は存在しなかった。
米国側の死者約2400人は全員戦闘員だったことからも明らかである。
もし日本軍が欧米人の考えるように民間人を殺すことを戦争と考えていたなら、
ホノルルを火の海にしていたに違いない。
日本人にとっての戦争とは、軍人同士の戦争を意味するのであり、
民間人を殺戮することは戦争の定義に当てはまらない。
=========== (引用終わり)
先日、終戦の日がありましたが、
日本の戦争のやり方と外国の戦争のやり方の違いについて、書かれています。
こういったことをきちんと把握した上で、外国からの日本批判について、
冷静に、客観的に判断する目を養わなければならないように思いました。
日本の「正義」と、外国の「正義」は、
同じ「正義」という言葉を使っていても、意味が違うのでしょうね。
さて続いては、終章「ジャパン・ルネッサンス~日本文明復興」から。
=========== (引用開始)
明治維新により日本人は大きなものを失ったのではないか。
我が国が大国への道を選んだ代償として失ったものは「日本文明」である。
日本文明は江戸時代中期に完成し、幕末に頂点を極めた。
文明とは、個別の文化が高度化して一つの有機体を作り上げた結果である。
明治維新前の日本は、大自然と生活が見事に調和し、
人々は勉強と仕事に励み、質素につつましく、笑いの耐えない、
のびのびとした生活を送っていた。
その様子は、当時日本を訪れた異邦人たちの日記に克明に記されている。
初代米国総領事タウンゼント・ハリスが日本に到着してまもなく、
浦賀奉行らと会見した日の日記に「我々一同はみな日本人の容姿と態度に
甚だ満足した。私は、日本人は喜望峰以東のいかなる民族よりも
優秀であることを、繰り返していう」と書き残した。
ーーーーーーー
下田に駐在したハリスがその地の労働者の生活について書き残した一文と、
柿崎を訪れたときの一文を紹介したい。
この土地は貧困で、住民はいずれも豊かでなく、
ただ生活するだけで精いっぱいで、
装飾的なものに目を向ける余裕がないからである。
それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、
着物にも困ってはいない。
それに、家屋は清潔で、日当たりも良くて気持ちがよい。
世界の如何なる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりも
よい生活を送っているところはあるまい。
ーーーーーーーー
産業革命も終盤に差しかかった欧米諸国では労働者階級は貧困に喘ぎ、
極端に不潔で惨めな生活を強いられていた。
欧米の先進都市は必ずスラムを伴い、労働者の犠牲の上に
華やかな都市文化が成り立っていたのである。
ーーーーーーーーー
ハリスの文章から、下田は貧しいことが分かる。
しかし、それでも民衆は十分な食べ物を得られ、幸せそうに暮らしていた。
富裕層が上質な生活をするのは欧米でも当たり前だが、
労働者が食べるものに困らないのは、完全に世界の常識に反していたのだ。
日本の大都市にこじきがいないことも多くの異邦人を驚かせた。
かつての日本人は貧しくとも楽しく、貧しくとも清潔に、
貧しくとも礼儀を重んじ、そして貧しいからこそ勤勉に働きよく学ぶ、
そんな集団だった。
よく「衣食足りて礼節を知る」というが、そのころの日本人は
「衣食足りずとも礼節を知る」人たちだったのである。
しかし、現在の日本にはそのような日本の美しさはほとんどなくなってしまった。
人々は楽して儲けることばかり考え、金を持つものを崇め、
富ばかりを追う悪しき慣習が蔓延し、また、
かつて世界最高水準の教育を施していた日本の教育は堕落し、
日本人の勤労と勤勉は失われてしまった。
=========== (引用終わり)
先日、こちらの記事でも、昔の日本を賞賛する外国人たちの言葉を
ご紹介しましたが、こちらの本でも同様に紹介されていました。
本当に、昔の日本人は素晴らしい人たちだったんですね。
オランダで生活したことがおありの方は、昔の日本人と今のオランダ人たちが、
どこか似ているような印象を持つ方も多いのでは?
お金を稼ぐことよりも、家族と一緒の時間の方が大切だと考え、
飽食も贅沢も追及せず、高級ブランド品には興味を持たず、
持っている物は修理してでも、本当に駄目になるまで使い切る。
こんなオランダ人の価値観・生き方を見ていると、
「昔の日本人も、きっと似たような感じだったんだろうな」と思わされます。
ただし、「一生懸命働く」という点においては、
今のオランダ人の何倍も、昔の日本人の方が凄かったようには思いますが。(笑)
では最後に、この本の著者である竹田恒泰さんと北野武さんの巻末対談から、
北野武さんの言葉のなかで印象に残ったものをご紹介します。
=========== (引用開始)
<北野>
戦前の日本人は誇りに溢れていたと思いますよ。
だからこんな小さな島国なのに、五大国といわれるくらいの力を持った。
でも戦後、徹底的に日本人の誇りを削ぐような教育があって、
「国際化」といって何を狂ったか自国の文化を否定して外国文化を採り入れた。
外国のルールを学んだことで国際人になったと思っている人がたくさんいますが、
それがいかに間違いであるか。
たとえばヨーロッパの映画祭に行ったとき、
日本文化を語れない人はバカにされるわけです。
ナイフとフォークをうまく使うより「箸をくれ」といったほうがいい。
このとき「できれば醤油もくれ」というのがベストだけど(笑)、
ある時期から醤油も用意されるようになって、「これは醤油をかけて食べるのが
いちばんうまい」といったら、外国人がそれを真似して、
「うまい」ってことになってしまうわけで(笑)。
<北野>
我々の世代はおじいさんやおばあさんが身近にいたから、特に教わらなくても、
老人が前に来たら席を立つことが反射的に身についた。
でもいまはシルバーシートだから譲るとか、礼儀とは強制されてやるものだと
勘違いしているところがありますね。
スポーツでは同じ動作を何度も繰り返すことで、自然に反射的に
動けることがありますが、礼儀も同じで繰り返し反復させることで
頭と身体が連動して、どこでもその作法ができるような教育がいちばんいい。
それは外国人が日本人のいちばん好きなところなのに、
日本人がそのことをやらなくなっているわけだから。
=========== (引用終わり)
如何でしょうか。“世界のキタノ”といわれるタケシさんの言葉。
「確かに」と思わされますよね。
どうも日本は、「外国の物は、日本のものより素晴らしい」という幻想を、
現在もなお、抱き続けているように思いますが、海外生活を経験された方は、
「いやいや、そうでもないよ」と思われた方も多いのではないでしょうか。
確かに、外国には日本にないものがたくさんあります。
それを否定するつもりは、毛頭ありません。
でも「包丁」一つとっても、その品質の素晴らしさは日本が圧勝。
「ないものねだり」「隣の芝生は青く見える」気持ちはわかるのですが、
日本人もそろそろ、自国のモノや文化の素晴らしさに、
気付いても良い頃なのではないでしょうか。
色々とご紹介してまいりましたが、この本は「日本の素晴らしさ」
「日本人の素晴らしさ」に気付かせてくれるエピソードが、
たくさん紹介されています。
もちろん、今の日本を批判する意見も書かれています。
ただ、漫然と日本に自信が持てない方や、海外で暮らしておられる方には、
是非一度手にとって、読んで頂きたいと思える本でした。オススメです!!
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なんと!部屋の温度が30度♪と、とっても寝やすい夜でした。
ずっと、32~33度という室温が続いていたので、
扇風機だけで眠ると、何度も夜中に目を覚ます…という毎日でしたが、
昨晩は朝までグッスリ♪ しかも朝の室温は、29度♪
あ~、涼しかった!! (← 相当、感覚が麻痺していますね…汗)
さて、今日はここ数日、続けてご紹介していた竹田恒泰さんのご著書、
「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」から、
印象に残った箇所を引用させて頂きます。今回で、最後になります。
ではまず、第四章「和み~実はすごい日本の一流外交」から。
=========== (引用開始)
三十年戦争は人類史のなかでも最も破滅的な戦争の一つである。
ドイツ全土が戦場となり、ドイツの人口の3分の1にあたる
約600万人が命を落とし、村の六分の五が破壊された。
ーーーーーーーーーー
日本史上で最悪の損耗を生じさせた大東亜戦争ですら、
戦争犠牲者は人口の4パーセント未満である。
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日本の合戦はいかに大規模なものでも、民間人が攻撃の対象とならないため、
戦争犠牲者の数は中国大陸や欧州のそれとは比較にならないほど少ない。
まして、三十年戦争などの宗教戦争に見られるような、
人口が何割も激減するような戦争は一度も経験したことがない。
しかも、非戦闘員を戦争に巻き込まない日本人の考え方は、近代に入って、
国家感で戦争を行うようになっても変わることはなかった。
我が国は明治時代以降も、大東亜戦争を含め、
非戦闘員を攻撃の目標にする作戦を立てたことはない。
日本が真珠湾攻撃で攻撃の目標にしたのは軍事施設であり、
非戦闘員を殺す意図は存在しなかった。
米国側の死者約2400人は全員戦闘員だったことからも明らかである。
もし日本軍が欧米人の考えるように民間人を殺すことを戦争と考えていたなら、
ホノルルを火の海にしていたに違いない。
日本人にとっての戦争とは、軍人同士の戦争を意味するのであり、
民間人を殺戮することは戦争の定義に当てはまらない。
=========== (引用終わり)
先日、終戦の日がありましたが、
日本の戦争のやり方と外国の戦争のやり方の違いについて、書かれています。
こういったことをきちんと把握した上で、外国からの日本批判について、
冷静に、客観的に判断する目を養わなければならないように思いました。
日本の「正義」と、外国の「正義」は、
同じ「正義」という言葉を使っていても、意味が違うのでしょうね。
さて続いては、終章「ジャパン・ルネッサンス~日本文明復興」から。
=========== (引用開始)
明治維新により日本人は大きなものを失ったのではないか。
我が国が大国への道を選んだ代償として失ったものは「日本文明」である。
日本文明は江戸時代中期に完成し、幕末に頂点を極めた。
文明とは、個別の文化が高度化して一つの有機体を作り上げた結果である。
明治維新前の日本は、大自然と生活が見事に調和し、
人々は勉強と仕事に励み、質素につつましく、笑いの耐えない、
のびのびとした生活を送っていた。
その様子は、当時日本を訪れた異邦人たちの日記に克明に記されている。
初代米国総領事タウンゼント・ハリスが日本に到着してまもなく、
浦賀奉行らと会見した日の日記に「我々一同はみな日本人の容姿と態度に
甚だ満足した。私は、日本人は喜望峰以東のいかなる民族よりも
優秀であることを、繰り返していう」と書き残した。
ーーーーーーー
下田に駐在したハリスがその地の労働者の生活について書き残した一文と、
柿崎を訪れたときの一文を紹介したい。
この土地は貧困で、住民はいずれも豊かでなく、
ただ生活するだけで精いっぱいで、
装飾的なものに目を向ける余裕がないからである。
それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、
着物にも困ってはいない。
それに、家屋は清潔で、日当たりも良くて気持ちがよい。
世界の如何なる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりも
よい生活を送っているところはあるまい。
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産業革命も終盤に差しかかった欧米諸国では労働者階級は貧困に喘ぎ、
極端に不潔で惨めな生活を強いられていた。
欧米の先進都市は必ずスラムを伴い、労働者の犠牲の上に
華やかな都市文化が成り立っていたのである。
ーーーーーーーーー
ハリスの文章から、下田は貧しいことが分かる。
しかし、それでも民衆は十分な食べ物を得られ、幸せそうに暮らしていた。
富裕層が上質な生活をするのは欧米でも当たり前だが、
労働者が食べるものに困らないのは、完全に世界の常識に反していたのだ。
日本の大都市にこじきがいないことも多くの異邦人を驚かせた。
かつての日本人は貧しくとも楽しく、貧しくとも清潔に、
貧しくとも礼儀を重んじ、そして貧しいからこそ勤勉に働きよく学ぶ、
そんな集団だった。
よく「衣食足りて礼節を知る」というが、そのころの日本人は
「衣食足りずとも礼節を知る」人たちだったのである。
しかし、現在の日本にはそのような日本の美しさはほとんどなくなってしまった。
人々は楽して儲けることばかり考え、金を持つものを崇め、
富ばかりを追う悪しき慣習が蔓延し、また、
かつて世界最高水準の教育を施していた日本の教育は堕落し、
日本人の勤労と勤勉は失われてしまった。
=========== (引用終わり)
先日、こちらの記事でも、昔の日本を賞賛する外国人たちの言葉を
ご紹介しましたが、こちらの本でも同様に紹介されていました。
本当に、昔の日本人は素晴らしい人たちだったんですね。
オランダで生活したことがおありの方は、昔の日本人と今のオランダ人たちが、
どこか似ているような印象を持つ方も多いのでは?
お金を稼ぐことよりも、家族と一緒の時間の方が大切だと考え、
飽食も贅沢も追及せず、高級ブランド品には興味を持たず、
持っている物は修理してでも、本当に駄目になるまで使い切る。
こんなオランダ人の価値観・生き方を見ていると、
「昔の日本人も、きっと似たような感じだったんだろうな」と思わされます。
ただし、「一生懸命働く」という点においては、
今のオランダ人の何倍も、昔の日本人の方が凄かったようには思いますが。(笑)
では最後に、この本の著者である竹田恒泰さんと北野武さんの巻末対談から、
北野武さんの言葉のなかで印象に残ったものをご紹介します。
=========== (引用開始)
<北野>
戦前の日本人は誇りに溢れていたと思いますよ。
だからこんな小さな島国なのに、五大国といわれるくらいの力を持った。
でも戦後、徹底的に日本人の誇りを削ぐような教育があって、
「国際化」といって何を狂ったか自国の文化を否定して外国文化を採り入れた。
外国のルールを学んだことで国際人になったと思っている人がたくさんいますが、
それがいかに間違いであるか。
たとえばヨーロッパの映画祭に行ったとき、
日本文化を語れない人はバカにされるわけです。
ナイフとフォークをうまく使うより「箸をくれ」といったほうがいい。
このとき「できれば醤油もくれ」というのがベストだけど(笑)、
ある時期から醤油も用意されるようになって、「これは醤油をかけて食べるのが
いちばんうまい」といったら、外国人がそれを真似して、
「うまい」ってことになってしまうわけで(笑)。
<北野>
我々の世代はおじいさんやおばあさんが身近にいたから、特に教わらなくても、
老人が前に来たら席を立つことが反射的に身についた。
でもいまはシルバーシートだから譲るとか、礼儀とは強制されてやるものだと
勘違いしているところがありますね。
スポーツでは同じ動作を何度も繰り返すことで、自然に反射的に
動けることがありますが、礼儀も同じで繰り返し反復させることで
頭と身体が連動して、どこでもその作法ができるような教育がいちばんいい。
それは外国人が日本人のいちばん好きなところなのに、
日本人がそのことをやらなくなっているわけだから。
=========== (引用終わり)
如何でしょうか。“世界のキタノ”といわれるタケシさんの言葉。
「確かに」と思わされますよね。
どうも日本は、「外国の物は、日本のものより素晴らしい」という幻想を、
現在もなお、抱き続けているように思いますが、海外生活を経験された方は、
「いやいや、そうでもないよ」と思われた方も多いのではないでしょうか。
確かに、外国には日本にないものがたくさんあります。
それを否定するつもりは、毛頭ありません。
でも「包丁」一つとっても、その品質の素晴らしさは日本が圧勝。
「ないものねだり」「隣の芝生は青く見える」気持ちはわかるのですが、
日本人もそろそろ、自国のモノや文化の素晴らしさに、
気付いても良い頃なのではないでしょうか。
色々とご紹介してまいりましたが、この本は「日本の素晴らしさ」
「日本人の素晴らしさ」に気付かせてくれるエピソードが、
たくさん紹介されています。
もちろん、今の日本を批判する意見も書かれています。
ただ、漫然と日本に自信が持てない方や、海外で暮らしておられる方には、
是非一度手にとって、読んで頂きたいと思える本でした。オススメです!!
(難しい書き方ではありませんので、短時間で読み切れます♪)
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Last Modified : -0001-11-30