今日も、先日ご紹介した曽野綾子さんのご著書から、
また印象的だった箇所をご紹介します。
==========
自信をつける方法
~苛酷に絶えるのが人生だという認識
私は今までに世界の百十カ国を歩いた。
チャド、ブルキナファソ、コートジボアールのような途上国の奥地まで
何度か入って、住んでいる日本人に教えられた。
その結果の印象だが、私は日本、殊に日本人に失望したことなど一度もない。
昔ソ連華やかなりし頃は、北海道をソ連が「侵略する」危惧が
全くないこともなかった。
私など素人だからその危険を強烈に感じたものだが、
侵略の目当ては日本の人材だと思っていた。
何しろこれだけ優能で責任感のある労働力が数千万人いるのだ。
資源としては石油も金もなくても、侵略して労働力を確保する意味は充分にある
……と素人というものは自由な発想を楽しむものであった。
しかし現実の日本人はその能力を少しも出し切っていない。
原因は簡単だ。自信がないのである。
自信をつける方法も簡単だ。
それは国民すべてが、重荷「肉体的・心理的」に苛酷な体験をすることである。
この体験に耐えたことがないから、自信がつかない。
自信がないと評判を気にし、世間並みを求める平凡な人格になる。
今の霞が関の多くの役人が、前例ばかり気にする理由である。
家の中では、決まった番組以外テレビのだらだら見をやめる。
それで家族の会話も戻り、落ち着きない子供の性格も改変され、
時流に流されない家族の覚悟が生まれる。
時間を見つけて本を読む癖をつける。
テレビや漫画では知り得ない知恵が、
読書によってだけ得られる事実を教えるべきである。
暑さ寒さに耐えられる。長く歩ける。重いものを持てる。
穴掘りなどの作業ができる。空腹にも耐えられる。何でも食べられる。
そうした人間を、作らねばならない。
家庭では自分の家で料理をするべきだ。
外でおかずを買うことは恥であると教えねばならない。
料理は教育、芸術、社会学の一部である。
工夫と慣れができ、家族がみなで手伝えば素早くできる。
子供たちに、暮らしていけるのにぜいたくを求めて
売春婦まがいの行為をするなら、人間をやめろと言う方がいい。
電車の中で化粧をし、ケータイを見つめるような生き方は、
世界中の国で侮蔑される行為だと誰も教えないのだろう。
危険を察知し、避ける知恵を持たせねばならない。停電したらどうするのだ。
全ての民主主義は停電した瞬間から機能しなくなることを
知っている日本人は少ない。
私はすべての生活は苛酷だと思っている。
そのあって当然の苛酷を正視し、苛酷に堪えるのが人生だと、
一度認識すれば、すべてのことが楽になる。感謝も溢れる。
人も助けようと思う。自分の人生を他人と比べなくなる。
これらをやるだけでも、多分日本はかなり変わってくるのである。
==========
「ちょっと、決め付け過ぎかな?」と思う箇所もあるにはあるのですが、
概ね同意できた、印象的だった箇所です。
私は学生時代、親から一切の仕送りを受けず、
生活費を稼ぐために働きながら大学を卒業したのですが、
一度、猛暑の夏に、暮らしていたおんぼろアパートで死にかけたことがあります。
当時は「熱中症」という言葉が世に知られていない頃でしたので、
室内で脱水症状に陥り、失神してしまう…なんてことは、想像もつきませんでした。
アパートは木造モルタルで、トイレは共同。お風呂なんてありません。
部屋のお勝手は半畳しかなく、年中水しか出ませんでした。
しかもその水は、錆を含んだ赤い水だったため、
いつも鍋に水を溜め、錆を沈殿させて、上澄みを料理に使ったりしていました。
そして、部屋の窓は、サッシではなく木枠。
窓ガラスが欠けていて、大きな隙間が開いていたので、
セロテープを丸めたものを詰めていたのですが、残念ながら役には立っておらず、
冬場は、お勝手に溜めていた水が凍っていたことも何度もあります。
ほぼ、野宿しているのと変わらないような室内だったんですね。(笑)
エアコンなんてものは、もちろんありませんでしたから…。
大学卒業後、正直大変なこと、辛いこともたくさんありましたけれど、
あの極貧で厳しい生活を経験し、また死にかけても生還したことなど、
様々な「苛酷な体験」が、今の私の自信に繋がっていると思います。(笑)
結婚生活も含め、人生は自分の思い通りになんてなりませんよね。
曽野さんの「苛酷に堪えるのが人生」という言葉は、心に残りました。
皆さんは、どのようにお感じになったでしょうか?
~~あなたのクリックが、元気の源です!~~
この2つのバナーを1回ずつ押して下さると、更新の励みになります♪
↓↓↓↓↓↓↓↓
← オランダのブログがいっぱい!
← ヨーロッパのブログがたくさん

また印象的だった箇所をご紹介します。
==========
自信をつける方法
~苛酷に絶えるのが人生だという認識
私は今までに世界の百十カ国を歩いた。
チャド、ブルキナファソ、コートジボアールのような途上国の奥地まで
何度か入って、住んでいる日本人に教えられた。
その結果の印象だが、私は日本、殊に日本人に失望したことなど一度もない。
昔ソ連華やかなりし頃は、北海道をソ連が「侵略する」危惧が
全くないこともなかった。
私など素人だからその危険を強烈に感じたものだが、
侵略の目当ては日本の人材だと思っていた。
何しろこれだけ優能で責任感のある労働力が数千万人いるのだ。
資源としては石油も金もなくても、侵略して労働力を確保する意味は充分にある
……と素人というものは自由な発想を楽しむものであった。
しかし現実の日本人はその能力を少しも出し切っていない。
原因は簡単だ。自信がないのである。
自信をつける方法も簡単だ。
それは国民すべてが、重荷「肉体的・心理的」に苛酷な体験をすることである。
この体験に耐えたことがないから、自信がつかない。
自信がないと評判を気にし、世間並みを求める平凡な人格になる。
今の霞が関の多くの役人が、前例ばかり気にする理由である。
家の中では、決まった番組以外テレビのだらだら見をやめる。
それで家族の会話も戻り、落ち着きない子供の性格も改変され、
時流に流されない家族の覚悟が生まれる。
時間を見つけて本を読む癖をつける。
テレビや漫画では知り得ない知恵が、
読書によってだけ得られる事実を教えるべきである。
暑さ寒さに耐えられる。長く歩ける。重いものを持てる。
穴掘りなどの作業ができる。空腹にも耐えられる。何でも食べられる。
そうした人間を、作らねばならない。
家庭では自分の家で料理をするべきだ。
外でおかずを買うことは恥であると教えねばならない。
料理は教育、芸術、社会学の一部である。
工夫と慣れができ、家族がみなで手伝えば素早くできる。
子供たちに、暮らしていけるのにぜいたくを求めて
売春婦まがいの行為をするなら、人間をやめろと言う方がいい。
電車の中で化粧をし、ケータイを見つめるような生き方は、
世界中の国で侮蔑される行為だと誰も教えないのだろう。
危険を察知し、避ける知恵を持たせねばならない。停電したらどうするのだ。
全ての民主主義は停電した瞬間から機能しなくなることを
知っている日本人は少ない。
私はすべての生活は苛酷だと思っている。
そのあって当然の苛酷を正視し、苛酷に堪えるのが人生だと、
一度認識すれば、すべてのことが楽になる。感謝も溢れる。
人も助けようと思う。自分の人生を他人と比べなくなる。
これらをやるだけでも、多分日本はかなり変わってくるのである。
==========
「ちょっと、決め付け過ぎかな?」と思う箇所もあるにはあるのですが、
概ね同意できた、印象的だった箇所です。
私は学生時代、親から一切の仕送りを受けず、
生活費を稼ぐために働きながら大学を卒業したのですが、
一度、猛暑の夏に、暮らしていたおんぼろアパートで死にかけたことがあります。
当時は「熱中症」という言葉が世に知られていない頃でしたので、
室内で脱水症状に陥り、失神してしまう…なんてことは、想像もつきませんでした。
アパートは木造モルタルで、トイレは共同。お風呂なんてありません。
部屋のお勝手は半畳しかなく、年中水しか出ませんでした。
しかもその水は、錆を含んだ赤い水だったため、
いつも鍋に水を溜め、錆を沈殿させて、上澄みを料理に使ったりしていました。
そして、部屋の窓は、サッシではなく木枠。
窓ガラスが欠けていて、大きな隙間が開いていたので、
セロテープを丸めたものを詰めていたのですが、残念ながら役には立っておらず、
冬場は、お勝手に溜めていた水が凍っていたことも何度もあります。
ほぼ、野宿しているのと変わらないような室内だったんですね。(笑)
エアコンなんてものは、もちろんありませんでしたから…。
大学卒業後、正直大変なこと、辛いこともたくさんありましたけれど、
あの極貧で厳しい生活を経験し、また死にかけても生還したことなど、
様々な「苛酷な体験」が、今の私の自信に繋がっていると思います。(笑)
結婚生活も含め、人生は自分の思い通りになんてなりませんよね。
曽野さんの「苛酷に堪えるのが人生」という言葉は、心に残りました。
皆さんは、どのようにお感じになったでしょうか?
~~あなたのクリックが、元気の源です!~~
この2つのバナーを1回ずつ押して下さると、更新の励みになります♪
↓↓↓↓↓↓↓↓



- 関連記事
-
-
いつまでもアメリカが守ってくれると思うなよ
-
日常の中の危険
-
自信をつける方法
-
実験的祈り
-
ドイツのNGOは国を動かす
-
Last Modified : 2015-04-13