以前、こちらの記事で、

こちらの本から、皆様にご紹介したい箇所を記事にしたことがあります。
なかなか続きをご紹介できなかったのですが、今日はこちらから。
===============
荒れる原因
-与える光栄を子供に体験させない親たち
日本各地で子供の「荒れる」のが問題になっているが、
理由は簡単である。
1つは、身分の差を言うことは民主主義的でない、ということになって、
親も先生も権威の対象でなくなったからである。
先生が友達のように振る舞うのがいいことだ、なとどという
めちゃくちゃなことを言った人たちが、昔、
教育界のタレント先生をしていたものだった。
そして彼らが、規律のない教育を作ったのである。
私の息子はもう50歳に手が届いた中年だが、彼の幼い頃、
仲間のお母さんたちは先生を「君」づけで呼んでいた。
私はそういうなれなれしさが不愉快で、家でも先生方に対しては、
陰で夫と話すときも、敬語を使っていた。
先生は先生で、友達ではない。
恐ろしいだけだったり、ひどい体罰を加えたりするのでは困るが、
友達であってはならない。
その代わり先生は、尊敬されるだけよく本を読み、勉強した。
もう1つの理由は、家庭も世間も、子供に何一つとして
生活の厳しさを味わわせないことである。
昔の子供は、子守をしたり、自分の部屋を掃除したり、
買い物に行ったり、風呂を焚いたりした。
野良仕事の手伝い、店番も当たり前だった。
そういう子供の姿を最近は見たことがない。
人の心を満たす最も簡単な方法は「なにほどか、自分の存在が
社会に役立っている」という実感を持たせることである。
今の親たちは、そのような実感を少しも子供に与えない。
茶碗洗いもさせなければ、門の前も掃かせない。
お使いにもやらないのは、塾で忙しいとか、
子供がファミコンで遊んだりしていると、それを嫌がるからである。
嫌がると、それで親たちはすぐに屈服する。
その背後には、児童に労働させるのは、貧困な国の悪習だ、
という間違った概念があるからだ。
子供が幼いうちから働いている国はたくさんある。
午前4時半ごろ、バスでホテルを出て行く観光客に、
ハンセン病を装って乞食をする子供に昔、出会ったことがある。
私は彼は本当の病人だと思ったが、お金はやらなかった。
諦めた彼は、古い自転車の車輪を使って仲間と輪回し遊びを始めた。
そのとき見ると、彼の指は真っ直ぐ伸びており、
ハンセン病風の指の曲げ方は演技だったことがわかった。
12歳でパンを売る少年は、母と弟妹5人の生活を背負っていた。
そんな子供は、暴れるわけがない。
自信に溢れて、親父の顔をしている。
サービスを受けるばかりで、与える光栄を体験させない親というのは、
本当は実に残酷なもので、暴れる子供たちは、
そういう親たちに幼稚な方法で復讐をしているのである。
===============
時代とともに、様々なものが変化していきます。
ただ、教育現場は私個人の印象としては「悪化した」ように思います。
それは、教師の質が低下したということも一因としてあるかもしれませんが、
何よりも、「先生の権威」が失墜してしまったことが
大きな原因のように感じられてなりません。
「学級崩壊」という言葉が登場して10年ほどになりますが、
以前は、「親のしつけ」だけが問題のように思われていました。
しかし、現在はその原因の一つに「発達障害」があるのでは?と、
見解も広がってきたように思います。
現場では、子供たちのために粉骨砕身で頑張っている先生がほとんどですし、
きちんとしつけをしている親も多いと思いますが、残念ながら、
親も生徒も、先生に対する尊敬という意識が薄らいでいるように思えます。
私は、学校も先生も「サービス業」ではないと考えます。
それから、子供は親の役に立ったと実感できることによって、
自分に自信をつけていくのも事実。喜びも感じます。
<サービスを受けるばかりで、与える光栄を体験させない親というのは、
本当は実に残酷なもの>というフレーズには、大変納得しました。
皆さんは、どのようにお感じになったでしょうか。
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荒れる原因
-与える光栄を子供に体験させない親たち
日本各地で子供の「荒れる」のが問題になっているが、
理由は簡単である。
1つは、身分の差を言うことは民主主義的でない、ということになって、
親も先生も権威の対象でなくなったからである。
先生が友達のように振る舞うのがいいことだ、なとどという
めちゃくちゃなことを言った人たちが、昔、
教育界のタレント先生をしていたものだった。
そして彼らが、規律のない教育を作ったのである。
私の息子はもう50歳に手が届いた中年だが、彼の幼い頃、
仲間のお母さんたちは先生を「君」づけで呼んでいた。
私はそういうなれなれしさが不愉快で、家でも先生方に対しては、
陰で夫と話すときも、敬語を使っていた。
先生は先生で、友達ではない。
恐ろしいだけだったり、ひどい体罰を加えたりするのでは困るが、
友達であってはならない。
その代わり先生は、尊敬されるだけよく本を読み、勉強した。
もう1つの理由は、家庭も世間も、子供に何一つとして
生活の厳しさを味わわせないことである。
昔の子供は、子守をしたり、自分の部屋を掃除したり、
買い物に行ったり、風呂を焚いたりした。
野良仕事の手伝い、店番も当たり前だった。
そういう子供の姿を最近は見たことがない。
人の心を満たす最も簡単な方法は「なにほどか、自分の存在が
社会に役立っている」という実感を持たせることである。
今の親たちは、そのような実感を少しも子供に与えない。
茶碗洗いもさせなければ、門の前も掃かせない。
お使いにもやらないのは、塾で忙しいとか、
子供がファミコンで遊んだりしていると、それを嫌がるからである。
嫌がると、それで親たちはすぐに屈服する。
その背後には、児童に労働させるのは、貧困な国の悪習だ、
という間違った概念があるからだ。
子供が幼いうちから働いている国はたくさんある。
午前4時半ごろ、バスでホテルを出て行く観光客に、
ハンセン病を装って乞食をする子供に昔、出会ったことがある。
私は彼は本当の病人だと思ったが、お金はやらなかった。
諦めた彼は、古い自転車の車輪を使って仲間と輪回し遊びを始めた。
そのとき見ると、彼の指は真っ直ぐ伸びており、
ハンセン病風の指の曲げ方は演技だったことがわかった。
12歳でパンを売る少年は、母と弟妹5人の生活を背負っていた。
そんな子供は、暴れるわけがない。
自信に溢れて、親父の顔をしている。
サービスを受けるばかりで、与える光栄を体験させない親というのは、
本当は実に残酷なもので、暴れる子供たちは、
そういう親たちに幼稚な方法で復讐をしているのである。
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時代とともに、様々なものが変化していきます。
ただ、教育現場は私個人の印象としては「悪化した」ように思います。
それは、教師の質が低下したということも一因としてあるかもしれませんが、
何よりも、「先生の権威」が失墜してしまったことが
大きな原因のように感じられてなりません。
「学級崩壊」という言葉が登場して10年ほどになりますが、
以前は、「親のしつけ」だけが問題のように思われていました。
しかし、現在はその原因の一つに「発達障害」があるのでは?と、
見解も広がってきたように思います。
現場では、子供たちのために粉骨砕身で頑張っている先生がほとんどですし、
きちんとしつけをしている親も多いと思いますが、残念ながら、
親も生徒も、先生に対する尊敬という意識が薄らいでいるように思えます。
私は、学校も先生も「サービス業」ではないと考えます。
それから、子供は親の役に立ったと実感できることによって、
自分に自信をつけていくのも事実。喜びも感じます。
<サービスを受けるばかりで、与える光栄を体験させない親というのは、
本当は実に残酷なもの>というフレーズには、大変納得しました。
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Last Modified : 2014-07-20