最近では、「空気が読めない」「コミュニケーションが苦手」という
障害特性を持った人たちの存在が注目されるようになりました。
今日は、そんな現在の日本に対するマリさんのご意見。
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◆「あ、うん」の呼吸は今や昔か
――黙って飲み込んだり、「みなまで言うな」という
日本的なコミュニケーションもありますよね。
察するという文化についてはどう思いますか?
人間がなぜ一介の葦ではなく、ものを考えるようになっているのか。
そう考えると、口に出してコミュニケーションを取って進化していかなければ、
人間はとんでもない失敗を起こし得るのではないかとも思うんですよ。
「なんとなくわかる」で言葉にしないままでは、
地球を潰しかねない事態にまでなってしまうのが、今の時代なのかと。
福島の原発事故がまさにそうだと思います。
「そうなったのはしょうがない」のではなく、
コミュニケーションをちゃんと取ってないからこそ問題は起きてしまう。
(略)
汲み取れない人たちが増えすぎた以上、
はっきりと表さないといけない時代になったんですよね。
昔はみんな、想像力を働かせて
相手が言わんとすることを察知しようとしたけれど、
今では情報はデジタル化されるし、
形のあるものでのみ解釈されるようになってきています。
他人との温度差も、言葉にしないと伝わらないんですね。
言いにくいこと、言っても面倒くさくなることを、
そのまま含みこんで言わないままにすると、必ず歪みが生じます。
つまり、言葉の力ってそれほど大事なんですよ。
なのに、それを使わなくていいという態度は、私には理解できないです。
一つの言葉によって救われ、言葉に表すことで悩みが半分になることだってある。
人間にとって言葉は本当に大切だと思います。
=======================
私は、「言葉」をとても大切にしています。
それは、「話すこと」や「書くこと」を仕事としていた時期があったから。
「言葉」の裏を読んでもらいたかったり、行間を読んでもらいたかったり、
そんな考えって、実は文系ならではなんだと、夫と結婚してから気付きました。
なにせ、そういった文学的な会話が、夫とは全く成立しないのです。(涙)
理系夫の我が家の場合で言いますと、
夫が何か「“あお”い」モノについての話をしていたのですが、
話を進めていくと、どうも辻褄が合わなくなってきたのです。
で、「あれ?“あお”の話してるよね~」「そうや」
「“あお”って、この色やんね」と私は、海や空の青色を指し示すと、
「なに言うてんねん!“あお”はこれやないか!」と夫が示したのは、なんと「緑」。
「いやいや、これは緑やん」という私に、「青も緑も一緒やろが!!」という夫。
私の心の声としては、「青は青やし、緑は緑やし…(汗)」。
たかが色についての話一つしていても、こんなにイメージが違うこともある。
(…というか、やっぱり緑は緑で、決して青ではないと思うのですが)
特に、抽象的な単語を使っていたり、内容が抽象的である場合には、
双方がきちんと理解出来ているのかを確認する必要があると思います。
人と人が対面し、きちんと声に出して会話をし、さらに確認を怠らない。
こういう作業が面倒くさいけれども、人とのコミュニケーションにおいては、
特に現代においては、大切なのかもしれません。
ところで、自分がコミュ障かどうか、ちょっと気になるという方に、
面白いテストを見つけたのでご紹介しますね。 ⇒ こちら
ちなみに私は、
「相手を自分の土俵に引きずり込むのが得意な、会話の達人!」
という結果になりました。(笑)
気になる方は、是非チャレンジしてみて下さいね♪
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障害特性を持った人たちの存在が注目されるようになりました。
今日は、そんな現在の日本に対するマリさんのご意見。
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◆「あ、うん」の呼吸は今や昔か
――黙って飲み込んだり、「みなまで言うな」という
日本的なコミュニケーションもありますよね。
察するという文化についてはどう思いますか?
人間がなぜ一介の葦ではなく、ものを考えるようになっているのか。
そう考えると、口に出してコミュニケーションを取って進化していかなければ、
人間はとんでもない失敗を起こし得るのではないかとも思うんですよ。
「なんとなくわかる」で言葉にしないままでは、
地球を潰しかねない事態にまでなってしまうのが、今の時代なのかと。
福島の原発事故がまさにそうだと思います。
「そうなったのはしょうがない」のではなく、
コミュニケーションをちゃんと取ってないからこそ問題は起きてしまう。
(略)
汲み取れない人たちが増えすぎた以上、
はっきりと表さないといけない時代になったんですよね。
昔はみんな、想像力を働かせて
相手が言わんとすることを察知しようとしたけれど、
今では情報はデジタル化されるし、
形のあるものでのみ解釈されるようになってきています。
他人との温度差も、言葉にしないと伝わらないんですね。
言いにくいこと、言っても面倒くさくなることを、
そのまま含みこんで言わないままにすると、必ず歪みが生じます。
つまり、言葉の力ってそれほど大事なんですよ。
なのに、それを使わなくていいという態度は、私には理解できないです。
一つの言葉によって救われ、言葉に表すことで悩みが半分になることだってある。
人間にとって言葉は本当に大切だと思います。
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私は、「言葉」をとても大切にしています。
それは、「話すこと」や「書くこと」を仕事としていた時期があったから。
「言葉」の裏を読んでもらいたかったり、行間を読んでもらいたかったり、
そんな考えって、実は文系ならではなんだと、夫と結婚してから気付きました。
なにせ、そういった文学的な会話が、夫とは全く成立しないのです。(涙)
理系夫の我が家の場合で言いますと、
夫が何か「“あお”い」モノについての話をしていたのですが、
話を進めていくと、どうも辻褄が合わなくなってきたのです。
で、「あれ?“あお”の話してるよね~」「そうや」
「“あお”って、この色やんね」と私は、海や空の青色を指し示すと、
「なに言うてんねん!“あお”はこれやないか!」と夫が示したのは、なんと「緑」。
「いやいや、これは緑やん」という私に、「青も緑も一緒やろが!!」という夫。
私の心の声としては、「青は青やし、緑は緑やし…(汗)」。
たかが色についての話一つしていても、こんなにイメージが違うこともある。
(…というか、やっぱり緑は緑で、決して青ではないと思うのですが)
特に、抽象的な単語を使っていたり、内容が抽象的である場合には、
双方がきちんと理解出来ているのかを確認する必要があると思います。
人と人が対面し、きちんと声に出して会話をし、さらに確認を怠らない。
こういう作業が面倒くさいけれども、人とのコミュニケーションにおいては、
特に現代においては、大切なのかもしれません。
ところで、自分がコミュ障かどうか、ちょっと気になるという方に、
面白いテストを見つけたのでご紹介しますね。 ⇒ こちら
ちなみに私は、
「相手を自分の土俵に引きずり込むのが得意な、会話の達人!」
という結果になりました。(笑)
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Last Modified : 2017-07-03