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2016-11-13 (Sun) 09:00

寛容であること

今日も、ヤマザキマリさんの本からのご紹介です。
今日ご紹介するところも、海外生活経験のある方には、
すんなり理解できる内容となっています。
それでは、ご覧下さい。

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◆寛容であることは、人としての優しさである

――好き嫌いがぼんやりしている一方で、
   極端な反応をするケースもままあります。
   例えば、電車で席を譲らない人を見て「なんて悪い人!」と
   速攻に結論づけ、ネットで炎上したり。
   ほかの可能性を無視して、バッシングに直結する気がします。

過剰な反応をするのは、ゆとりがないことの裏返しでもあるんですよね。
これも、日本に宗教的拘束がないことが関係している気がします。
宗教的なモラルが潜在意識下に浸透しているイタリアのような社会に生まれた人たちは、
神を信じていない人も含め、「人としてこれはやっちゃいけない」
「これが人の道だろう」という倫理観で、国民が結ばれているところがあると感じます。
ところが今の日本はそれが希薄で、みんながいつも、
何が良いか悪いかを試行錯誤している状態。
公共の場で知らない人がマナーに反した行動を取った際に、
「それ、違いますよ」とスパっと言えないのも、
社会としてのコンセンサスがないからでしょう。
相手がどう反応するかわからず、不安なんですよ。
(略)
ものを考えるということは、ものすごく広大な白黒つけられないことを抱きつつ、
いろんな可能性や解釈を突き詰めて、情報を処理していくことです。
極端な結論に速攻でたどり着く昨今のパターンは、それとは別のベクトルです。
いろいろ考えることに、エネルギーを使いたくないのかもしれませんね。
(略)
人はいっぱいいっぱいな余裕のない精神状態だと、
自分を守ることがいちばん大事になるものです、それは仕方がない。
他人を理解し、違うものを認め、肝要であろうとすることには、
エネルギーも強さも意思も必要なんです。
やはり、心の広さやゆとりなんですよね。
寛容であることは、人としての優しさにもつながると思います。

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オランダに住んでいるとき、私は何度も、
「やはりベースにキリスト教が浸透している国は、違うな~」と思わされました。
これは、信仰しているしていないにかかわらず、道徳的な価値観が、
その国民に共通して根付いていると思うのです。
かつての日本には、「修身」という授業があったため、
「キリスト教」というベースとなる宗教がなくても、八百万の神への信仰であっても、
そこには何らかの国民として共通する道徳的価値観が根づいていました。
ところが敗戦後、修身の授業がなくなり、日本人の心はそれまでの価値観を否定され、
何を基準にしていいのか分からなくなって、それぞれが好き勝手な道徳観や
価値観に基づいて行動するのが当たり前になりました。

そんな歴史を経て、今を生きる私たちは「グローバル化」の波に飲み込まれ、
国内だけで戦うことは許されず、自分のペースを乱され、
情報過多の状況に身を置かざるを得ず、
皆が皆、精神的に疲弊し、余裕がなくなっているように思います。

マリさんがおっしゃるように、今の日本人には、
「心の広さやゆとり」が昔に比べると相当失われているように思います。
それは、時代の流れと言ってしまえばそうかもしれませんが、
でも、よその国では、「心の広さやゆとり」が今でもしっかり生きているわけで。

私個人的には、テレビのない生活、情報を遮断する生活は、
心穏やかになれるとても良い方法だと確信していますので、
ついついテレビを見てしまう人や、ついついスマホを触ってしまう人は、
それらを生活から一旦「断って」しまうのも良いように思います。

【参考記事】
ある企業のCEOが「9日間の完全なネット断ち」で得られたもの
情報断捨離・スマホ断ち…情報との付き合いを考える
悩めるあなたに!デジタルデトックスで、心のお掃除しよう♡




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Last Modified : 2016-11-13