また、この日がやってきました。
私がオランダから日本へ戻ってきて、すぐに襲ってきた震災。
感受性の強い私は、心がメタメタになってしまいました。
あれから、もう6年になるんですね。
さて、今日もあちらの本からのご紹介です。
ちょっと長いのですが、「なるほどな~」と思う内容となっています。
是非、ご覧下さい。
=============================
第5章 傷つかないために自分の力で自分を守る
○自分を不快にさせる相手との距離のとり方
前章で、心の自由を奪われている人ほど、
相手の自由を認められないという話をしました。
これは逆に言えば、自分の自由を認めることができればできるほど、
相手の自由を認めることができるようになるということです。
(略)
人間関係で悩み苦しんでいるとき、どんなに相手を変えようとしても、
うまくいったことはほとんどなかったのではないでしょうか。
うまくいかないというだけではありません。
相手を変えようと考えているとき、
あなたの頭や心の中は、相手のことでいっぱいになってしまい、
自分の心がとらわれることで苦しんできたはずです。
このとき、ふと自分に立ち戻って、
「自分には自分の生き方がある。相手には相手の生き方がある。
自分の生き方を変えることはできても、相手の生き方を変えることはできない。
逆に言えば、誰かに行き方を変えるように要求されたとしても、
自分で決める自由がある」
こんなふうに捉えることができれば、
相手のことをよけいには意識しないですむと思いませんか。
心の中でどんなに相手を責めたりしても、
自分の心を疲れさせているだけだと、わかるのではないでしょうか。
いま、試しに、自分に視点を合わせてみませんか。
前記の言葉を、声に出して言ってみましょう。
声に出しながら、自分の気持ちや感情のほうに焦点を当ててみてください。
自分を悩ませる相手が、一瞬、遠のくように感じないでしょうか。
そして、相手との心の距離が遠くなったその瞬間、
あなたの心がゆるむのを感じないでしょうか。
こんな捉え方があなたの中にしっかりと根付いていけばいくほど、
自分を不快にさせる相手との心の距離がさらに遠くなっていき、
相手から解放された気分になって、心が楽になっていくでしょう。
あなたがこんなスタンスに立つことができれば、
何が起こっているかが見えてくるはずです。
相手の能力や性格や生き方には、
相手の同意を得ずに介入することはできません。
争いが起こっているのは、互いに、それに介入し合っているからです。
そういった「争いの元」となる意識を取っ払うことができれば、何が残るでしょうか。
何がトラブルを起こさせているのでしょうか。
そうですね。残るのは、相手との「関係性」です。
つまり、相手とネガティブに関わっている、という事実です。
私が人間関係のトラブルで絶えず言っていることは、
「感情的になっていたり争っているときは、
言葉の内容や主張は意味をもたない。意味は単に、争っているだけである」
場合によっては、争いたいがために、仕返ししたいがために、
やっつけたいがために、そのチャンスを狙っている。
目的は「争うこと」だから、そのきっかけはなんでもいい、ということになります。
ですから、そのトラブルを根本から集結させるには、
相手を凹ませることでも、屈服させることでも、勝つことでもありません。
争いを根本から集結させるためには、
「その争う環境から離れる。それができないなら、争うこと自体をやめる」
ということが必要になってきます。
これをできることが、結局、「自分を守る。自分を傷つけない。自分を愛する」
ということにつながっていくのです。
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生きているだけで、誰かと関わらざるを得ないのは皆同じ。
自分で自分の心を守る「訓練」が必要なのかもしれませんね。
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第5章 傷つかないために自分の力で自分を守る
○自分を不快にさせる相手との距離のとり方
前章で、心の自由を奪われている人ほど、
相手の自由を認められないという話をしました。
これは逆に言えば、自分の自由を認めることができればできるほど、
相手の自由を認めることができるようになるということです。
(略)
人間関係で悩み苦しんでいるとき、どんなに相手を変えようとしても、
うまくいったことはほとんどなかったのではないでしょうか。
うまくいかないというだけではありません。
相手を変えようと考えているとき、
あなたの頭や心の中は、相手のことでいっぱいになってしまい、
自分の心がとらわれることで苦しんできたはずです。
このとき、ふと自分に立ち戻って、
「自分には自分の生き方がある。相手には相手の生き方がある。
自分の生き方を変えることはできても、相手の生き方を変えることはできない。
逆に言えば、誰かに行き方を変えるように要求されたとしても、
自分で決める自由がある」
こんなふうに捉えることができれば、
相手のことをよけいには意識しないですむと思いませんか。
心の中でどんなに相手を責めたりしても、
自分の心を疲れさせているだけだと、わかるのではないでしょうか。
いま、試しに、自分に視点を合わせてみませんか。
前記の言葉を、声に出して言ってみましょう。
声に出しながら、自分の気持ちや感情のほうに焦点を当ててみてください。
自分を悩ませる相手が、一瞬、遠のくように感じないでしょうか。
そして、相手との心の距離が遠くなったその瞬間、
あなたの心がゆるむのを感じないでしょうか。
こんな捉え方があなたの中にしっかりと根付いていけばいくほど、
自分を不快にさせる相手との心の距離がさらに遠くなっていき、
相手から解放された気分になって、心が楽になっていくでしょう。
あなたがこんなスタンスに立つことができれば、
何が起こっているかが見えてくるはずです。
相手の能力や性格や生き方には、
相手の同意を得ずに介入することはできません。
争いが起こっているのは、互いに、それに介入し合っているからです。
そういった「争いの元」となる意識を取っ払うことができれば、何が残るでしょうか。
何がトラブルを起こさせているのでしょうか。
そうですね。残るのは、相手との「関係性」です。
つまり、相手とネガティブに関わっている、という事実です。
私が人間関係のトラブルで絶えず言っていることは、
「感情的になっていたり争っているときは、
言葉の内容や主張は意味をもたない。意味は単に、争っているだけである」
場合によっては、争いたいがために、仕返ししたいがために、
やっつけたいがために、そのチャンスを狙っている。
目的は「争うこと」だから、そのきっかけはなんでもいい、ということになります。
ですから、そのトラブルを根本から集結させるには、
相手を凹ませることでも、屈服させることでも、勝つことでもありません。
争いを根本から集結させるためには、
「その争う環境から離れる。それができないなら、争うこと自体をやめる」
ということが必要になってきます。
これをできることが、結局、「自分を守る。自分を傷つけない。自分を愛する」
ということにつながっていくのです。
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Last Modified : 2017-03-11