愛国心とナショナリズム

2018/04/27 (金)  カテゴリー/本のご紹介

海外で生活したことがおありの方は、
その国の国民が、自国を愛して誇りを持っているという現実を見て、
「あまりにも日本と違う…」と驚かれた経験をお持ちなのではないでしょうか。

オランダでも、祝日には国旗があらゆる所にはためき、
「愛してるよ~! オランダ~!!」という国民の気持ちが、
パッと見ただけで伝わってくるのが、とても気持ち良かったことを思い出します。

それに比べて、日本では「愛国アレルギー」とでもいいましょうが、
なんだか、自分の国を愛して誇りを持つことが異常なような、
時刻を毛嫌いする人の方が優れているかのような間違った感覚が、
「正しい」と大手を振って歩いているような気がして、違和感を持っています。

…ということで、今日は、「愛国心とナショナリズムの違い」について、
書かれている個所をご紹介したいと思います。

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◎愛国心とナショナリズムはまったくの別物
著名な歴史学者ルカーチは『歴史学の将来』のなかで、
「ナショナリズムとは、劣等感と不義の関係を結んだ愛国心である」という
連合王国の外交官の名言を紹介しています。
愛国心は誰にでもあるごく自然な感情です。
自分の生まれた国、育った土地に愛着を抱く、
本源的と言ってもいい精神の働きです。
それは本来、自分が生まれた大切な場所をまもっていきたいという
防御的な心理のはずで、ほかのところをどうこうするものではありません。
ところが、「劣等感と不義の関係」を結ぶと、他者に対して攻撃的になります。
それがナショナリズムです。
したがって、愛国心とナショナリズムはまったく別のものだと考えるべきです。
(略)


第10章 自分の頭で考える生き方
◎「どうでもいい」と思うほうが職場や仕事にとってもプラス
私は企業のトップは「機能」だと考えています。
社長になったから、会長になったからといって、
別にその人の人格が向上したとか
人間的価値が増大したわけではありません。
出世とは、極論すれば、たんに「機能」が変わっただけなのです。
企業にはトップという「機能」が必要なので、
その「機能」をライフネット生命では
いまは私が担当しているというにすぎません。
課長や部長も同じことです。
組織のなかで課長や部長という「機能」を分担しているだけの話で、
決して人間的に偉いわけではないと得心しておく必要があります。
(略)
仕事や職場がすべてだと思っている人は、じつは、
仕事や職場に依存し従属しているにすぎないのです。
それでは人間としての視野が狭すぎます。
仕事や職場がすべてではないと気づく必要があります。
そう気づいて初めて、さまざまな教養にも目が向くというものではないでしょうか。
どうしても仕事がうまくいかなければ、
さっさと仕事を替えてしまうという選択肢もあります。
みんながみんな置かれた場所で咲く必要などどこにもないのです。

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如何でしたでしょうか?
愛国心とナショナリズムの違いについて、わかりやすく説いて下さったように思います。

そして、後半部分。
会社勤めをしたことのない私が意見するのもなんですが、(汗)、
すごく共感できた内容でした。

私は昔から、人の「肩書」で、その人を偉いと判断することはありませんでした。
「医者なんだって~」「社長さんなんだって~」 = 「すごいね~」「偉いね~」
という単純な評価は、どうも違うと思っていましたし、今も思っています。
それはたまたまその人がその時点で、
どういった職業についているのかを表すものでしかなく、
その人が人として「すごい」か「えらいか」を判断できるものではないと思うからです。

人間の真価は、肩書ではありません。
社会的な肩書や他人からの評価によるものではなく、
その人の生き方、生き様、経験、知恵など、
その人自身が培ったもので決まるのではないでしょうか。

これにて、この本のご紹介は終了です。




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