「不幸」ではなく「悲しみ」を分け持つ

2018/05/09 (水)  カテゴリー/本のご紹介

今日は「不幸」がテーマ。(笑)
さて、どんなお話しなのでしょうか。

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◆「不幸」ではなく「悲しみ」を分け持つ
不幸にもいろいろありますが、
自分の不幸を特別なものだと思わないようにすることは肝心です。
食べられないのがいちばん大変だとか、
お姑さんにいじめられることがこの世の最大の不幸だとか、
みんな、自分の不幸がこの上なく大きいものだと思うわけですね。
私に言わせると、それは悪い意味で女性的特性だと思いますが、
不幸というのは誰にでもあって、しかも比べられないものなんです。
もっとも、中にはほんとうに幸福とは遠かったのだろうと思う人もいました。
お目にかかったことはないのですが、時々手紙をくださる方がいて、
ご主人が口を開けば彼女のことをののしる冷たい人だそうです。
そして、一人息子さんが統合失調症だという。
普通なら、息子がそういう父親から母親をかばうのでしょうが、
それもないわけです。
ひょっとしたらご主人は、そういう息子さんに対して
いらだっているのかもしれないけれど、妻には優しい言葉一つかけず、
労りさえ見せず、息子さんは自分の殻に閉じこもっている。
だから、彼女は一人ぼっちだったんですね。
私はときどき、この方のことを考えていました。
うちは夫婦ゲンかもするけれど、
病気になれば、お互いに何が食べたいか聞きますし、
つらくないように労わる暮らしをしています。
それは人並みの幸福だと思いますが、
その方には人並みの幸福もないのかもしれない。
もしかしたら人並み以上の不幸を背負ってらっしゃるかな、と思いました。
でも、ほんとうのところはわからない、と思っているんです。
疑っているという意味ではありません。他人の不幸はわからない。
だから、わかったと思うな、ということです。
どんなに親しくしていても、その人の幸不幸というものは、
他者が読めないものだと思います。
だから私は、「相手の不幸がどういうものかわからないけれど、
悲しみは分け持ちましょう」というのが好きなんですね。
落ち込んでいる時に、ただ愚痴を聞いてあげたり、
一緒においしいものを食べに行ったりする。
人間というのは、一日遊ぶと、気分がずいぶん変わりますからね。
そうすると、明日はまた違った陽が差し込む。そんなものです。
私なんか、夜、ぐっすり寝たか寝ないかだけで、
翌日、ものの考え方が全然違ってきますから。

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本文中に、
“不幸というのは誰にでもあって、しかも比べられないもの”
“他人の不幸はわからない”
“どんなに親しくしていても、その人の幸不幸というものは、他者が読めない”
というところは、本当にその通りだな~と思いながら読みました。

自分が不幸の最中に置かれていると、そのことがすべてになってしまいます。
他人の不幸の方が大きいからといって、自分の不幸が軽くなるわけではなく、
つまり、曽野さんがおっしゃるように「比べられないもの」なわけです。
だから、その不幸から抜け出した後で、その頃のことを振り返ってみると、
「大したことなかったな」と思ったり、「あれは本当に大変だった」と思ったり、
その最中にいなくなって初めて、客観的に見られるようになるものでしょう。

また、不幸が比べられないものであるということは、
他人の不幸が理解できないということになります。
こちらが良かれと思ってかけた慰めのひと言が、
思いもよらず相手を傷つけてしまうこともあるでしょう。

自分が不幸の中にあるときに、寄り添ってくれる人がいるって有難いですね。
でも、本当の孤独をひとりきりで乗り越えられた人の強さも素晴らしい。
私は不幸に押しつぶされそうになることもこれまで何度もありましたが、
今はただ、その辺りに漂う花の香りに気づいたり、
美しい鳥の鳴き声で季節を感じたりできることに喜びを覚え、
自然の素晴らしさに感動しながら、日々の生活を送るようになりました。
(まあ、オランダにいた頃はそれが当たり前だったのですが、
 日本へ帰って来てからは、そうそう簡単に
 自然の素晴らしさを堪能できる環境では暮らせませんから…)
私にとって、自然の癒しのパワーは絶大です。




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