さて、私がここ数年間、大量に読んだ本の中でも一番、
興じてしまい、熱中してしまった本をご紹介しておりますが、
皆さん、興味深くご覧頂いておりますでしょうか?
今日も私が「なるほど~」と深く納得させられた個所をご紹介します。
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第二部 『武士道』を読む
第二章 武士道の淵源
内村鑑三もそうですが、新渡戸稲造先生は、
一般に日本人が考えているようなコチコチに凝り固まった
偏狭な「一宗教の信仰者」などとは根本的に異なって、
キリスト教のみならず、儒教や仏教など、
ありとあらゆる宗教や思想を闊達に引用しながら、
いわゆる「道徳体系としての武士道」の本質を解き明かそうとしています。
このような、「寛い心」が、
世界の人々に深い共感と感動を与えたのではないでしょうか?
特に注目されるのは、日本の明治期における近代的なキリスト教の
パイオニア的な信仰者や伝道者のほとんどが、
何らかの形で「武士」の血を引いたものたちであった、という事実です。
そして、当然のことながら、
キリスト教に回心するまでの彼らの道徳体系の中核には、
ほとんどの場合、儒教がありました。
第一部でも触れたように、
私は子供のころから「死生観」について考えていました。
ヨーロッパには古くから、
「メメント・モリ」(memento mori=死を思え)という言葉があります。
このような考え方は十七世紀ごろになって、特に強くなったものです。
人生は一回限り、そして死の行き先は天国――。
こうした、死が天国につながるという考え方は、生を有効に、
愛を尽くして一生を捧げる気持ちによって裏付けられます。
単なる“個人”ではなくて、“公”に何かにつくすことによって救われるという、
ゲーテの『ファウスト』的な考え方がヨーロッパの死生観の根本であり、
キリスト教の精神なのです。
一方、儒教では死生観がはっきりしていません。
現実的な道徳に基づいた行動規範がその中心です。
儒教の根源は、人間性を出発点にした善悪を中心とする価値観でした。
儒教というのは、善悪を定めた道徳であるともいえます。
そうすると、ここにおいては死生観がはっきりしない。
そのため儒教においては、人間個々の生きる意義と、
そこに立てられた道徳の間に、かなりのずれが出てくるわけです。
内村鑑三や新渡戸先生が、キリスト者になっていったのは、
儒教における死生観不在のためではないでしょうか。
その「回心」は、理論的な変更である「転向」とは、似て非なるものです。
彼らは道を求める者、すなわち求道者であるがゆえに回心者となったのです。
(略)
それゆえ、広く日本の宗教全般に視野を広げて、
武士道の淵源を語ることができたのです。
(略)
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一度、『武士道』をきちんと読んだことがおありの方々には、
今日ご紹介したところに書かれていたことが、納得頂けるのではないかと思います。
新渡戸稲造は、「日本人の道徳や宗教観の根底には武士道がある」と考え、
そのことを外国の人たちにどうやって説明すれば伝わるのかを熟考し、
海外の宗教や思想、文学作品などを多数引用して、「武士道」を説明しています。
決して「上から物を言う」のではなく、彼らの文化を尊重した謙虚な姿を通して、
双方が理解を深める…ということに発展したのではないかと思います。
途中、「メメント・モリ」という言葉が登場します。
私はお恥ずかしながら、この言葉を知ったのは大学時代でした。
当時、大変親しくしていた早大学生の友人が、
詩人になることを夢に詩作に明け暮れていたのですが、
彼が作った「詩集(ワープロ打ち、手作り…笑)」に載っていた作品の中に、
この「メメント・モリ」という言葉が登場していたのです。
「死を思え」ということはつまり、「生を精一杯生きよ」ということにつながります。
私はここ数年、「一日一生」という言葉を胸に生きるようになりました。
「今日が人生最後の日」だと思って生きていると、無駄な時間が減るのです。
内村鑑三や新渡戸稲造が、儒教にはなくキリスト教にはある「死生観」を理由に、
「転向」ではなく「回心した」という考察は、大変素晴らしいと思いました。
皆さんは、どのように感じられたでしょうか?
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第二部 『武士道』を読む
第二章 武士道の淵源
内村鑑三もそうですが、新渡戸稲造先生は、
一般に日本人が考えているようなコチコチに凝り固まった
偏狭な「一宗教の信仰者」などとは根本的に異なって、
キリスト教のみならず、儒教や仏教など、
ありとあらゆる宗教や思想を闊達に引用しながら、
いわゆる「道徳体系としての武士道」の本質を解き明かそうとしています。
このような、「寛い心」が、
世界の人々に深い共感と感動を与えたのではないでしょうか?
特に注目されるのは、日本の明治期における近代的なキリスト教の
パイオニア的な信仰者や伝道者のほとんどが、
何らかの形で「武士」の血を引いたものたちであった、という事実です。
そして、当然のことながら、
キリスト教に回心するまでの彼らの道徳体系の中核には、
ほとんどの場合、儒教がありました。
第一部でも触れたように、
私は子供のころから「死生観」について考えていました。
ヨーロッパには古くから、
「メメント・モリ」(memento mori=死を思え)という言葉があります。
このような考え方は十七世紀ごろになって、特に強くなったものです。
人生は一回限り、そして死の行き先は天国――。
こうした、死が天国につながるという考え方は、生を有効に、
愛を尽くして一生を捧げる気持ちによって裏付けられます。
単なる“個人”ではなくて、“公”に何かにつくすことによって救われるという、
ゲーテの『ファウスト』的な考え方がヨーロッパの死生観の根本であり、
キリスト教の精神なのです。
一方、儒教では死生観がはっきりしていません。
現実的な道徳に基づいた行動規範がその中心です。
儒教の根源は、人間性を出発点にした善悪を中心とする価値観でした。
儒教というのは、善悪を定めた道徳であるともいえます。
そうすると、ここにおいては死生観がはっきりしない。
そのため儒教においては、人間個々の生きる意義と、
そこに立てられた道徳の間に、かなりのずれが出てくるわけです。
内村鑑三や新渡戸先生が、キリスト者になっていったのは、
儒教における死生観不在のためではないでしょうか。
その「回心」は、理論的な変更である「転向」とは、似て非なるものです。
彼らは道を求める者、すなわち求道者であるがゆえに回心者となったのです。
(略)
それゆえ、広く日本の宗教全般に視野を広げて、
武士道の淵源を語ることができたのです。
(略)
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一度、『武士道』をきちんと読んだことがおありの方々には、
今日ご紹介したところに書かれていたことが、納得頂けるのではないかと思います。
新渡戸稲造は、「日本人の道徳や宗教観の根底には武士道がある」と考え、
そのことを外国の人たちにどうやって説明すれば伝わるのかを熟考し、
海外の宗教や思想、文学作品などを多数引用して、「武士道」を説明しています。
決して「上から物を言う」のではなく、彼らの文化を尊重した謙虚な姿を通して、
双方が理解を深める…ということに発展したのではないかと思います。
途中、「メメント・モリ」という言葉が登場します。
私はお恥ずかしながら、この言葉を知ったのは大学時代でした。
当時、大変親しくしていた早大学生の友人が、
詩人になることを夢に詩作に明け暮れていたのですが、
彼が作った「詩集(ワープロ打ち、手作り…笑)」に載っていた作品の中に、
この「メメント・モリ」という言葉が登場していたのです。
「死を思え」ということはつまり、「生を精一杯生きよ」ということにつながります。
私はここ数年、「一日一生」という言葉を胸に生きるようになりました。
「今日が人生最後の日」だと思って生きていると、無駄な時間が減るのです。
内村鑑三や新渡戸稲造が、儒教にはなくキリスト教にはある「死生観」を理由に、
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Last Modified : 2018-06-08