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2018-07-08 (Sun) 09:00

婦人の教育および地位

さて今日は、武士道における「男女」についての考え方について。
ちょっと長いので、前編・後編に分けてご紹介したいと思います。
で、今回は前編。ではどうぞ。

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第十四章 婦人の教育および地位
(略)
《彼らの教育の指導精神は家事であった。
 旧日本婦人の芸事の目的は、その武芸たると文事たるとを問わず、
 主として家庭のためであったと言いうる。
 彼らは、いかに遠く離れさまようても、決して炉辺を忘れることはなかった。
 彼らは、家の名誉と対面とを維持せんがために、辛苦労役し、生命を棄てた。
 日夜、強くまたやさしく、勇ましくまた哀しき調べをもって、
 彼らはおのが小さき巣に歌いかけた。
 娘としては父のために、妻としては夫のために、
 母としては子のために、女子は己を犠牲にした》
《女子がその夫、家庭ならびに家族のために身を棄つるは、
 男子が主君と国とのために身を棄つると同様に、喜んでかつ立派になされた。
 自己否定―これなくしては何ら人生の謎は解決せられない―は
 男子の忠義におけると同様、女子の家庭性の基調であった。
 女子が男性の奴隷でなかったことは、
 彼女の夫が封建君主の奴隷でなかったと同様である。
 女子の果たしたる役割は、内助すなわち「内助の助け」であった。
 奉仕の上昇階段に立ちて、女子は男子のために己を棄て、
 これにより男子をして主君のために己を棄つるをえしめ、
 主君はまたこれによって天に従わんためであった。(略)》

これは、女性を大事にしろ、という意味ではありません。
婦人には婦人の役割、男性には男性の役割がある。
婦人が役割を果たすべきところは「キッチン」である。「台所」である。
それから、男が役割を果たすところは「戦場」である。
それぞれのところで自分に課せられた役割を果たすのだから、
どちらが偉いなどという問題ではない。
それぞれの役割を果たしているという意味において「平等」である、
ということを言っているのであって、何でもかんでも一緒くたにして
「差別」だなどと皮相なスローガンを叫び立てていた
戦後の「悪平等」論などとは似て非なるものなのです。

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私は高校時代に「さぶ」という作品に出合ってから、
山本周五郎に傾倒し、たくさんの作品を読んで今に至ります。
彼には、色んなジャンルの素晴らしい作品があるのですが、
そのうちのひとつが「武家もの」と言われるジャンル。
『泥棒と若殿』や『水の下の石』など、ぜひ皆さんにもご一読いただきたい、
珠玉の名作がた~~~くさんあるのですが、
武家ものと言っても、男の武士が主人公になるものばかりではなく、
武士を育てる母であったり、武士の妻が主人公の作品も多いです。

今回、ご紹介した個所を読んだ時、周五郎の作品に親しんできた私には、
この内容がすんなりと理解でき、本当にその通りだな~と思いました。

「女子がその夫、家庭ならびに家族のために身を棄つるは、
 男子が主君と国とのために身を棄つると同様に、喜んでかつ立派になされた」
「女子が男性の奴隷でなかったことは、
 彼女の夫が封建君主の奴隷でなかったと同様」
つまり、男の方が偉くて、女の方が下ということではないわけです。

「婦人には婦人の役割、男性には男性の役割がある」
「それぞれのところで自分に課せられた役割を果たすのだから、
 どちらが偉いなどという問題ではない。
 それぞれの役割を果たしているという意味において『平等』である」
とあるように、これは生まれながらにして
「性差」というものは存在しているのであって、
それぞれの性別においての得手不得手があって当たり前であり、
それぞれの長所を活かし尽くしてこそ、良い働きができるのだということでしょう。

次回は、今日ご紹介した部分の続きをご紹介します。




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Last Modified : 2018-07-09