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2018-08-07 (Tue) 09:00

人生の外へ出なければ全体の展望はできない

いま、ご紹介している本には、本当に大切なことがたくさん書かれています。
今日は、自分を客観視することについて。
是非、ご覧下さい。

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●人生の外へ出なければ全体の展望はできない
(略)
「坐禅とは見渡しのきく高い山へ登るようなものだ」
これは沢木興道老師の言葉です。
瀑布の只中にいたら、そこをくぐり抜けることだけで精一杯。
周囲を見渡すゆとりもあらばこそ、瀑布も自分の姿も見えはしません。
瀑布もその中の自分の姿も、つきはなして眺めて初めて全体の姿が見える。
そのように、自分の人生も、そこに埋没しているだけでは、
幸不幸を追ったり逃げたり、
その中にあって七顛八倒している自分の姿は見えません。
その只中にあってあえぎつつも、
それをつきはなして静かに眺めるもう一人の私の眼が育たないと、
今の一歩をあやまりないものとして踏み出すことはできないのです。
滝の外へ出なければ滝全体を見ることはできないように、
山を出なければ山全体を見ることができないように、
人生の外へ出なければ自分の人生の展望はできません。
人生の外へ出るとはどういうことか。
沢木老師の高弟である、安泰寺の内山興正老師の言葉に思い到りました。
「床の間に棺桶をおいて、のぼせあがったとき、出口がわからなくなったとき、
 その棺桶の中へ入り、そこからふり返って見よ」

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如何でしょうか?
私にとって、今日ご紹介した個所は、本当に共感できたところです。

逆境に立たされているとき、そこから抜け出すことに必死で、
全体像を俯瞰することなどできません。
自分のことだけに埋没し、周りが全く見えなくなってしまう。
そんな状況に陥った経験のある方は、私だけではないでしょう。

今の自分の状況を、突き放して外から眺めて見ているもう一人の自分。
この存在を確立できるかどうか。

著者は内山興正老師の言葉を引用しています。
「床の間に棺桶をおいて、のぼせあがったとき、出口がわからなくなったとき、
 その棺桶の中へ入り、そこからふり返って見よ」

これをそのまま実行できるかといえば、それは無理でしょう。(笑)
つまり、これを比喩だと受け取って考えればいいわけで、
人生に行き詰まった時は、「いつかは必ず自分が死ぬ」ということを確認し、
人生の終末から今を眺めてみることが大切だということだと思います。

以前も、このブログでご紹介した言葉に「メメント・モリ」というのがあります。
「死を思え」という意味の言葉ですが、つまりはそういうこと。
一旦、今自分が生きている人生のど真ん中から、外(死後)へ出てみると、
見えなかった色々なものが見えてくるということです。

私は実際に、この経験を通して、自分の生き方が大きく変わりました。
皆さんも、是非経験して頂ければ…と思います。




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Last Modified : 2018-08-07