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2018-08-13 (Mon) 09:00

「今はよくない」と気づく

今日も、私のお気に入りのあちらの本の中から、
印象的だった個所をご紹介します。

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第二章 人生を円相で考える
●よく生きるとは「今はよくない」と気づくこと
(略)
人もし生くること 百年ならんとも
おこたりにふけり はげみ少なければ
かたき精進に ふるいたつものの
一日生くるにも およばざるなり                    
                         友松円諦訳『法句経』

平均寿命が年々数字をのばし、
「後期高齢者」という呼称への可否が話題をにぎわしている今日、
“うかうかと百年生きるより、一日を大切に生きよ”のお釈迦さまの言葉や
次の道元禅師のお言葉に耳を傾けたいものです。

「いたづらに百歳生けらんは、うらむべき日月なり、かなしむべき形骸なり。
 たとい百歳の日月は、声色の奴婢と馳走すとも、
 そのなか一日の行持を行取せば、一生の百歳を行取するのみにあらず、
 百歳の佗生をも度取すべきなり」

「声色の奴婢と馳走す」というのは、
眼耳鼻舌身意の人間の主体の六根のお相手となる色声香味触法の六境のことで、
見たい、聞きたい、食べたい、ほしい、惜しいの欲望が主人公の座に坐り、
その欲望を満足させるために、この私が欲望の奴隷となって走り回り、
一生を虚しく費やしてしまうことです。
そういう歳月を百年生きるよりも、私が主人公となって、
欲をあるべき方向へ、道を求めるという方向へ、
あるいは少しでも世の中の、人のお役に立つ方向へと手綱さばきをし、
たった一日でもよい、道にしたがってあるべきように生きた一日のほうが、
どれほど尊いかもしれない、というのです。
たとえ万劫千生を繰り返そうと、凡夫の思いを先としての流転の人生ならば、
永劫に解脱の見込みは立ちません。
その中、たった一日でも、まことの師に、まことの教えに出会うことにより、
真実の生命に目ざめ、方向転換できたら、生々世々の真の幸せです。
それを「百歳の佗生をも度取すべきなり」とおおせられたのです。

どれだけを生きたかよりもどう生きたかを
みずからに問えと師はのたまいし          俊董
(略)

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ただ、なんとなく日々を生きながらえることで長寿を得るよりも、
その日、その日を、大切に、一生懸命生きよ…ということでしょう。
私もこの考えに賛同し、ここ数年、とにかく与えられた1日を、
丁寧に生きることをモットーにして暮らしています。

「見たい、聞きたい、食べたい、ほしい、惜しいの欲望が主人公の座に坐り、
 その欲望を満足させるために、この私が欲望の奴隷となって走り回り、
 一生を虚しく費やしてしまう」ことをせず、
「欲をあるべき方向へ、道を求めるという方向へ、
 あるいは少しでも世の中の、人のお役に立つ方向へと手綱さばきをし、
 たった一日でもよい、道にしたがってあるべきように」生きたいと願います。

「たった一日でも、まことの師に、まことの教えに出会うことにより、
 真実の生命に目ざめ、方向転換できたら、生々世々の真の幸せ」
とありますが、本当にその通りだと思います。
この出会いを得ずして、一生を終える人のなんと多いことか。

この本の著者が最後に短歌を載せておられますが、
私が大好きな作家である山本周五郎の座右の銘を思い出しました。

「人間の真価は、その人が死んだとき、なにを為したかではなく、
 彼が生きていたとき、なにを為そうとしていたかで決まるのである」

イギリスの詩人、ブラウニングの言葉です。
周五郎の作品には、この考えが底流にある物が多いのですが、
特に「ながい坂」や「虚空遍歴」などの作品が象徴的でしょうか。

結果がすべてではありません。
もちろん、想定していなかった嬉しい結果が出れば尚よし。
でなくても、よし。
とにかく、生きている間、1日1日を丁寧に、目標に向かって、
やるべきことを粛々と続けることが大切なのではないかと思います。




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Last Modified : 2018-08-15