多数意見が正しいと思ってしまうと恐い

2018/08/31 (金)  カテゴリー/本のご紹介

早いもので、8月も今日で終わり。
明日からは9月。私の誕生月です。(笑)

今日からご紹介するのは、こちら。

逆説的生き方のすすめ


大阪の北野高校から東京大学へ進まれた
宗教評論家でいらっしゃる、ひろさちや氏の著書です。

では、こちらの本の中から印象的だった個所をご紹介します。

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第3章 世間の目など気にしない
●多数意見が正しいと思ってしまうと恐い
(略)
最近の世の中の風潮として、他人の意見を聞いて、
それを「数字」に還元・処理してしまう傾向が強いことも気になります。
新聞などの世論調査がそうだし、テレビの番組にもそういうものがあります。
他人の意見を聞くことは悪いことではありません。
しかし、それを簡単に「数字」にしてしまうのは、
それにともなう弊害が大きいことに注意すべきです。
人々の意見を「数字」にしてしまえば、多数意見と少数意見に分かれます。
そうなると人間は弱いもので、
どうしても多数意見のほうが正しいと思ってしまいます。
よほど強い理性を持っていないと、
わたしたちはついつい多数意見に迎合してしまいます。
(略)
わたしたちは、多数意見が正しい、といった判断をやめるべきだし、
人々の意見を不必要に「数字」に還元してしまうやり方もやめるべきです。
わたしは「数字」に還元しないことが、真の意見尊重だと考えています。
(略)

●自分の「異見」をもたないステレオ・タイプはとり残される
日本人の悪い癖として、
「相手は誤った見解を持っている。それを訂正してやらねばならない」
と思ってしまうことがあります。
他人を説得するとき、これでは説得は成功しません。
それというのも相手もまた同じ考えをもっているからです。
(略)
わたしたち日本人は何かものを言うとき、
一つのヴァージョンをもったとらえ方がなかなかできません。
日本人がものを言うときには、
他人の考え方や口調を借りて言っているように聞こえます。
わたしたちはその日の新聞で読み、
テレビで聞いた意見をさも自分の意見のように語っている傾向があります。
みんな本当に判で押したような、画一的な意見です。
ところがイギリス人の場合、
「それぞれの人間が、それぞれ自分の意見をもつ権利を有しています」と考えます。
それに比べ、日本人は異見をもたぬステレオ・タイプの民族です。
自分がどう聞き、どうとらえるかという主体性がありません。
(略)

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海外で暮らしているときって、日本を外から見られるために、
今まで「井の中の蛙」でしかなかった自分を、客観的に見られるようになります。

今回ご紹介した個所って、日本人らしさを正確に指摘しておられるように思います。
「多数意見のほうが正しいと思って」しまうのは、日本人の傾向でしょう。
自分軸のない人が多いから、他人軸に頼ろうとする。
その際、少数派では心もとないから、多数派に属したいと思ってしまう。

「私は私」「あなたはあなた」という考えが、どうも日本人は苦手なようです。
私は昔から、「自分は自分」という考えの強い人間で、
流行を追うこともせず、自分が面白い(興味が持てる)と思うことを優先してきました。
だから、会社員になることもなかったし、本当にたくさんの職種を経験しました。
1つのことを突き詰めることも素晴らしいけれど、
たくさんの種類の仕事を経験することも、これはこれで素晴らしいですよ。
だって、普通なら繋げようのない職種を繋ぐアイデアが生まれるし。
一般的なパターンに固執しないから、柔軟な発想ができるんです。

「あなたはそうなんですね。でも、わたしはこうなんです」
という主張が、なかなか認められにくい日本。
自分軸がしっかりしている人ほど、生きにくく感じます。

次回も、こちらの本からご紹介します。




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