さて、今日もあちらの本からのご紹介です。
「幸福」についての考察です。
===========================
第5章 「いい加減」に生きる
●宗教とは「幸福学」のこと
(略)
物質的な意味ではわたしたちは十分満たされています。
しかし、なぜか物質的に満ち足りているにもかかわらず、
逆に何となく心が満たされていません。
「本当にみなさん、幸福ですか?」と、尋ねられて
「はい、幸福です」と胸を張って答えられる人は数が少ないのではありませんか。
九十パーセントまでが物質的には豊かな生活をしていながら、
何となく不幸だなー、まだ幸福ではないと思っているのが
いまの日本ではないかと思えてなりません。
この意味でわたしたちが大きな間違いをしたのは、
実は戦後の日本人は宗教をもたずにやってきたから、
間違いをしでかしたのだとわたしは思っています。
なぜかというと、宗教が幸福学だからです。
宗教というものは、本当の幸福とは何かをしっかり教えてくれるものです。
一体幸福って何ですか?
その幸福の定義をちゃんとくだしているのが宗教なんだし、
その定義にしたがって、どうしたら幸福になれるかを教えてくれているのが宗教です。
ところが戦後の日本人は宗教をもたずにやってきました。
戦後の日本人は宗教アレルギーで、
学校では宗教教育をしてはいけないなどというふうになってしまいました。
宗教のない教育なんて、あり得るでしょうか。
だが、ともかく日本人は、宗教はいやなものだ、宗教は悪いものだ、と思って、
宗教なしでやってきました。
だからはじめに、幸福っていったい何なのかと定義していないのです。
わたしたちは何が幸福だと定義しないまま、
ただ物質的に豊かになれば、経済的に発展すれば
幸福になれるのではないかということでやってきました。
ところがキリスト教で見ると、イエス・キリストは、はっきり言っています。
「幸いなるかな貧しき者」。
そして、「金持ちが天国に入るには、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」と。
要するに金持ちになったら天国に入れませんと、はっきりイエスは言っているのです。
(略)
宗教は貧しいほうが幸せなんだと教えているのに、わたしたちは宗教を否定したから、
物が豊かになったほうが幸福になれるのではないかなどと、
実にイエスの教えからはまったく逆な道へ行ったのです。
北へ向いて歩かなければならないのに、南へ行ってしまったので、
幸福になれないのはあたりまえです。
===========================
「戦後の日本人は宗教をもたずにやってきたから、
間違いをしでかしたのだとわたしは思っています」
「なぜかというと、宗教が幸福学だからです」
「宗教というものは、本当の幸福とは何かをしっかり教えてくれるものです」
とありましたが、本当にその通りではないかと思います。
オランダで暮らしているとき、
本当の意味でのキリスト教徒は少なかったかもしれませんが、
それでもやはり、国家が聖書に基づいて動いている感覚がありました。
そしてそれは、忌み嫌う必要のないものでした。
「幸福の定義をちゃんとくだしているのが宗教」
「その定義にしたがって、どうしたら幸福になれるかを教えてくれているのが宗教」
というのも、納得させられました。
戦後の日本は、宗教を持たなかったがゆえに、
「幸せ」とはなんぞや…という定義をせずに来てしまったから、
今の状況に陥ってしまったのではないでしょうか。
私たちは既に、
「モノをたくさん持ったからといって、幸せになれない」ということを、
体験的に知っていると思います。
だからこそ、多くのミニマリストたちや、
田舎暮らしがしたいという人が増えたのでしょう。
「本当の幸せとは?」 …ということを、国家が規定する必要はないですが、
今の日本にはベースとなる宗教観がないわけですから、
各々が独自の「幸せの定義」を持つ必要があるのでしょうね。
それはもちろん、「物質的」なものに基づくものではありません。
これにて、この本のご紹介は終了です。
~更新の励みになりますので、応援クリックお願い致します!~
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

オランダやヨーロッパ情報ブログのランキングです♪

「幸福」についての考察です。
===========================
第5章 「いい加減」に生きる
●宗教とは「幸福学」のこと
(略)
物質的な意味ではわたしたちは十分満たされています。
しかし、なぜか物質的に満ち足りているにもかかわらず、
逆に何となく心が満たされていません。
「本当にみなさん、幸福ですか?」と、尋ねられて
「はい、幸福です」と胸を張って答えられる人は数が少ないのではありませんか。
九十パーセントまでが物質的には豊かな生活をしていながら、
何となく不幸だなー、まだ幸福ではないと思っているのが
いまの日本ではないかと思えてなりません。
この意味でわたしたちが大きな間違いをしたのは、
実は戦後の日本人は宗教をもたずにやってきたから、
間違いをしでかしたのだとわたしは思っています。
なぜかというと、宗教が幸福学だからです。
宗教というものは、本当の幸福とは何かをしっかり教えてくれるものです。
一体幸福って何ですか?
その幸福の定義をちゃんとくだしているのが宗教なんだし、
その定義にしたがって、どうしたら幸福になれるかを教えてくれているのが宗教です。
ところが戦後の日本人は宗教をもたずにやってきました。
戦後の日本人は宗教アレルギーで、
学校では宗教教育をしてはいけないなどというふうになってしまいました。
宗教のない教育なんて、あり得るでしょうか。
だが、ともかく日本人は、宗教はいやなものだ、宗教は悪いものだ、と思って、
宗教なしでやってきました。
だからはじめに、幸福っていったい何なのかと定義していないのです。
わたしたちは何が幸福だと定義しないまま、
ただ物質的に豊かになれば、経済的に発展すれば
幸福になれるのではないかということでやってきました。
ところがキリスト教で見ると、イエス・キリストは、はっきり言っています。
「幸いなるかな貧しき者」。
そして、「金持ちが天国に入るには、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」と。
要するに金持ちになったら天国に入れませんと、はっきりイエスは言っているのです。
(略)
宗教は貧しいほうが幸せなんだと教えているのに、わたしたちは宗教を否定したから、
物が豊かになったほうが幸福になれるのではないかなどと、
実にイエスの教えからはまったく逆な道へ行ったのです。
北へ向いて歩かなければならないのに、南へ行ってしまったので、
幸福になれないのはあたりまえです。
===========================
「戦後の日本人は宗教をもたずにやってきたから、
間違いをしでかしたのだとわたしは思っています」
「なぜかというと、宗教が幸福学だからです」
「宗教というものは、本当の幸福とは何かをしっかり教えてくれるものです」
とありましたが、本当にその通りではないかと思います。
オランダで暮らしているとき、
本当の意味でのキリスト教徒は少なかったかもしれませんが、
それでもやはり、国家が聖書に基づいて動いている感覚がありました。
そしてそれは、忌み嫌う必要のないものでした。
「幸福の定義をちゃんとくだしているのが宗教」
「その定義にしたがって、どうしたら幸福になれるかを教えてくれているのが宗教」
というのも、納得させられました。
戦後の日本は、宗教を持たなかったがゆえに、
「幸せ」とはなんぞや…という定義をせずに来てしまったから、
今の状況に陥ってしまったのではないでしょうか。
私たちは既に、
「モノをたくさん持ったからといって、幸せになれない」ということを、
体験的に知っていると思います。
だからこそ、多くのミニマリストたちや、
田舎暮らしがしたいという人が増えたのでしょう。
「本当の幸せとは?」 …ということを、国家が規定する必要はないですが、
今の日本にはベースとなる宗教観がないわけですから、
各々が独自の「幸せの定義」を持つ必要があるのでしょうね。
それはもちろん、「物質的」なものに基づくものではありません。
これにて、この本のご紹介は終了です。
~更新の励みになりますので、応援クリックお願い致します!~
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓


オランダやヨーロッパ情報ブログのランキングです♪

- 関連記事
-
-
幸せの絶対的な基準を持つ
-
自分と向き合い、悩みなさい
-
「いい加減」に生きる
-
多数意見が正しいと思ってしまうと恐い
-
ほんとうの幸せとは
-
Last Modified : 2018-11-11