今日も、前回ご紹介を始めたあちらの本の中から、
印象的だった個所をご紹介したいと思います。
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053 平凡な人生とは、退屈な人生のことである
ひょっとして、ずっと平凡な人には、不可解な言葉かもしれません。
「平凡のどこがいけないの?」と聞かれるかもしれません。
でも、そうしたら私も聞き返したいのです。
「じゃあ、平凡のどこがいいの?」と。
(略)
「私は平凡が好き」というのは、
単なる負け惜しみなのではないかという気がするのです。
自分でも本当は平凡な人生なんていやだと思っているけど、
つい逆のことをいってしまっているのです。
もうこの平凡からある程度抜け出せないということが自分でもわかっているから、
とりあえずそれを肯定しておこうという安全策のひとつなのではないでしょうか。
(略)
054 大事なのは「自分を好きかどうか」
(略)
そもそも、「いい人」というのは、どんな人のことをいうのでしょう。
「だれにでもやさしい人」「周りに害を及ぼさない人」……
私の感覚では、それは単なる「あなたにとって都合のいい人」
「どうでもいい人」に近いものがあると思うのですが。
というのは、たいていの場合だれかにとってのいい人になってしまっているからです。
いい人になるのなら、自分自身にとってのいい人にならないといけないのです。
それは、自分を肯定できる人、自分を受け入れられる人、
つまり、「自分を好きな人」なのです。
自分が好きな人なら、自分の自発的な行動を認めることができるし、
たとえそれでうまくいかなくても、失敗ごと受け入れられます。
そして、そのたびにいろいろと学んでいけるのです。
でも、自分が好きでなかったら、失敗した自分を許せないし、
失敗しないように、自分がいいと思うことよりも
他人がいいと思うことを基準にしてしまうのです。
それでは人生とうまくつき合ってはいけません。
自分で考え、自分で選び、自分で物事に対処するたびに、
そういう経験を少しずつ積み重ねていくたびに、
ヒトは少しずつ強くなっていくのです。
その強さが、人生におけるあなたの味方になるのです。
そのための基本はまず、自分を好きかどうか、ということなのです。
063 自分に拍手できる人になる
一生懸命努力したとき、それがたとえうまくいこうがいくまいが、
自分がどれだけよくやったかということは、
ほかのだれでもない、自分が一番よく知っています。
(略)
だから、自分で自分に拍手できるということは、
だれにも胸を張って「私は精一杯頑張りました」と誇れるということなのです。
嘘やごまかしのない、美しい瞬間だと思うのです。
(略)
仕事でも、趣味でも、主婦の家事でもいいのです。
自分が本当にするべきことを自分にできるかぎりの力でやり遂げたというときは、
それが結果に結びつこうがつくまいが、
だれにも遠慮せず、自分をねぎらってあげていいのです。
「よく頑張ったね」「えらかったね」と、自分を励ますように語りかけてあげるのです。
それはあなたの中で大きな自信になります。
精一杯やり遂げることができたというその自信は、
次のときにはそれを成功させるための原動力になることでしょう。
自分に拍手できる人になる、それは自分を大切にできる人になるということです。
=============================
最初のパート。
これは、私も正直、ちょっと共感してしまいました。
というのも、私はいわゆる「平凡な人生」をよしとせず、
「自分らしく」生きることをモットーにして生きてきたからです。
その結果、波乱万丈の人生であって、「安定」とは程遠いものの、
自分では「なかなか面白い人生」を歩んできたように思います。
続いてのパートは、「自分自身にとってのいい人」。
私も、しばらくの間、自己肯定感がダダ下がりの時期を経験しました。
いわゆる「うつ状態」に陥ってしまったのです。
この期間中、自分で自分を好きになれなかったせいで、
他人の評価や価値観を基準に生きざるを得ず、その結果、
自分の人生を放棄してしまうようなことになってしまっていました。
しかし、自己肯定感を高めることに成功したら、自分のことが大好きになり、
いいことも悪いこともひっくるめて、「これが私! こんな私が大好き!」と、
心から思えるようになりました。
自分のことを好きになることさえできれば、
どんなことにも自信を持ってチャレンジできるのです。
そして、最後のパート。
この個所は、激しく同意してしまったところです。(笑)
「自分がどれだけよくやったかということは、
ほかのだれでもない、自分が一番よく知っています」
これ、本当にその通りですよね。
私がオランダ生活を送っていた当時、
私に嫉妬や妬みの感情を抱いていたと思われるある女性が、
事実に基づかない悪評を流したせいで、
私がとんでもない人間だとの噂が広められてしまったことがあります。
でも、私はひたすら真面目に一生懸命頑張っていました。
実際には、そんな“でっち上げの作り話”とはほど遠い人間だったのです。
そして、そのことを他の誰でもない、私自身がよく知っています。
そのことだけではなく、私は長年、
いわゆる“風評被害”に悩まされる状況に身を置き続けていました。
その風評を誰が流したかについて、ここでは言及しませんが、
本来であれば、私の支えになってくれるはずの立場の人間でした。
このことで、私は長い間、数々のうつ症状と付き合わねばならず、
本当に大変辛い時期を過ごしました。
でも、ようやく、出口の見えない長い長いトンネルから抜け出し、
自己肯定感も再び高めることができ、今の自分が大好きになりました。
これまで、私に対して悪意を持った人間に、
ありもしない作り話を言い触らされたおかげで苦しみましたが、
もう、そんな時間は過ぎ去り、自分が満足できる生き方を実践しています。
そう、「自分が本当にするべきことを自分にできるかぎりの力でやり遂げた」のです。
だから、「自分で自分に拍手できる」し、「自分を大切にできる」ようになったのです。
今、私は心から、自信を持って、
自分で自分自身に「敢闘賞」を贈りたい気持ちでいっぱいです。
「よく頑張ったね」「えらかったね」と、
自分で自分をほめてあげたいと思います。(笑)
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053 平凡な人生とは、退屈な人生のことである
ひょっとして、ずっと平凡な人には、不可解な言葉かもしれません。
「平凡のどこがいけないの?」と聞かれるかもしれません。
でも、そうしたら私も聞き返したいのです。
「じゃあ、平凡のどこがいいの?」と。
(略)
「私は平凡が好き」というのは、
単なる負け惜しみなのではないかという気がするのです。
自分でも本当は平凡な人生なんていやだと思っているけど、
つい逆のことをいってしまっているのです。
もうこの平凡からある程度抜け出せないということが自分でもわかっているから、
とりあえずそれを肯定しておこうという安全策のひとつなのではないでしょうか。
(略)
054 大事なのは「自分を好きかどうか」
(略)
そもそも、「いい人」というのは、どんな人のことをいうのでしょう。
「だれにでもやさしい人」「周りに害を及ぼさない人」……
私の感覚では、それは単なる「あなたにとって都合のいい人」
「どうでもいい人」に近いものがあると思うのですが。
というのは、たいていの場合だれかにとってのいい人になってしまっているからです。
いい人になるのなら、自分自身にとってのいい人にならないといけないのです。
それは、自分を肯定できる人、自分を受け入れられる人、
つまり、「自分を好きな人」なのです。
自分が好きな人なら、自分の自発的な行動を認めることができるし、
たとえそれでうまくいかなくても、失敗ごと受け入れられます。
そして、そのたびにいろいろと学んでいけるのです。
でも、自分が好きでなかったら、失敗した自分を許せないし、
失敗しないように、自分がいいと思うことよりも
他人がいいと思うことを基準にしてしまうのです。
それでは人生とうまくつき合ってはいけません。
自分で考え、自分で選び、自分で物事に対処するたびに、
そういう経験を少しずつ積み重ねていくたびに、
ヒトは少しずつ強くなっていくのです。
その強さが、人生におけるあなたの味方になるのです。
そのための基本はまず、自分を好きかどうか、ということなのです。
063 自分に拍手できる人になる
一生懸命努力したとき、それがたとえうまくいこうがいくまいが、
自分がどれだけよくやったかということは、
ほかのだれでもない、自分が一番よく知っています。
(略)
だから、自分で自分に拍手できるということは、
だれにも胸を張って「私は精一杯頑張りました」と誇れるということなのです。
嘘やごまかしのない、美しい瞬間だと思うのです。
(略)
仕事でも、趣味でも、主婦の家事でもいいのです。
自分が本当にするべきことを自分にできるかぎりの力でやり遂げたというときは、
それが結果に結びつこうがつくまいが、
だれにも遠慮せず、自分をねぎらってあげていいのです。
「よく頑張ったね」「えらかったね」と、自分を励ますように語りかけてあげるのです。
それはあなたの中で大きな自信になります。
精一杯やり遂げることができたというその自信は、
次のときにはそれを成功させるための原動力になることでしょう。
自分に拍手できる人になる、それは自分を大切にできる人になるということです。
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最初のパート。
これは、私も正直、ちょっと共感してしまいました。
というのも、私はいわゆる「平凡な人生」をよしとせず、
「自分らしく」生きることをモットーにして生きてきたからです。
その結果、波乱万丈の人生であって、「安定」とは程遠いものの、
自分では「なかなか面白い人生」を歩んできたように思います。
続いてのパートは、「自分自身にとってのいい人」。
私も、しばらくの間、自己肯定感がダダ下がりの時期を経験しました。
いわゆる「うつ状態」に陥ってしまったのです。
この期間中、自分で自分を好きになれなかったせいで、
他人の評価や価値観を基準に生きざるを得ず、その結果、
自分の人生を放棄してしまうようなことになってしまっていました。
しかし、自己肯定感を高めることに成功したら、自分のことが大好きになり、
いいことも悪いこともひっくるめて、「これが私! こんな私が大好き!」と、
心から思えるようになりました。
自分のことを好きになることさえできれば、
どんなことにも自信を持ってチャレンジできるのです。
そして、最後のパート。
この個所は、激しく同意してしまったところです。(笑)
「自分がどれだけよくやったかということは、
ほかのだれでもない、自分が一番よく知っています」
これ、本当にその通りですよね。
私がオランダ生活を送っていた当時、
私に嫉妬や妬みの感情を抱いていたと思われるある女性が、
事実に基づかない悪評を流したせいで、
私がとんでもない人間だとの噂が広められてしまったことがあります。
でも、私はひたすら真面目に一生懸命頑張っていました。
実際には、そんな“でっち上げの作り話”とはほど遠い人間だったのです。
そして、そのことを他の誰でもない、私自身がよく知っています。
そのことだけではなく、私は長年、
いわゆる“風評被害”に悩まされる状況に身を置き続けていました。
その風評を誰が流したかについて、ここでは言及しませんが、
本来であれば、私の支えになってくれるはずの立場の人間でした。
このことで、私は長い間、数々のうつ症状と付き合わねばならず、
本当に大変辛い時期を過ごしました。
でも、ようやく、出口の見えない長い長いトンネルから抜け出し、
自己肯定感も再び高めることができ、今の自分が大好きになりました。
これまで、私に対して悪意を持った人間に、
ありもしない作り話を言い触らされたおかげで苦しみましたが、
もう、そんな時間は過ぎ去り、自分が満足できる生き方を実践しています。
そう、「自分が本当にするべきことを自分にできるかぎりの力でやり遂げた」のです。
だから、「自分で自分に拍手できる」し、「自分を大切にできる」ようになったのです。
今、私は心から、自信を持って、
自分で自分自身に「敢闘賞」を贈りたい気持ちでいっぱいです。
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Last Modified : 2018-11-17