今日は、楽しい~、ひな祭り♪
3月3日になりました。早いですね~。
梅も咲き、菜の花も咲き始め、春めいてきた今日この頃。
キラキラとした日差しが嬉しい季節です。
さて、前回からご紹介し始めた本。
皆さんは、どのように受け取って下さっていますでしょうか?
今日もあちらの本から、印象的だった個所をご紹介します。
=====================
●神様は一番善いことをしてくださる
私は「いただく」という言葉が好きで、
日常会話の中でも、できるだけ使うようにしています。
「くださるものをいただく。しかも、ありがたくいただく」
このような心で祈る時、その祈りは必ず、神に“届く”と思うのです。
届いたということは、決して、
そのことがそのまま叶えられる結果になるということではなくて、
神がその時、その人にとって
一番“善いこと”をしてくださるということなのです。
「お祈りしています」と誰かに約束する時、
その人の当座の願い事が、そのまま叶えられるようにと祈るとともに、
その人が、求めたことに対して与えられた神様の「返事」を、
ありがたく“いただく”ことができるようにと
祈ることも忘れてはならないのではないでしょうか。
“請求書の宗教”ではなく
“領収書の宗教”を持って生きてゆきたいと思います。
「ください、ください」と欲しいものを
やみくもに願うことが真の祈りなのではありません。
「たしかにいただきました。ありがとうございました」と、
神様のくださるものの一つ一つを、しっかりいただいて感謝する“心”こそを、
私たちは真に祈り求めるべきなのでしょう。
神様の
はからいを信じて
心を委ねる。
求めていないものが与えられたときには、謙虚にいただこう。
なぜそれが与えられたのかは、いつかわかる。
=====================
皆さんは、どのようにお感じになったでしょうか?
私は子供の頃から、神様の存在を信じています。
日本は世界にも稀な“無宗教”の人が多い国ではありますが、
八百万の神の存在を、何となく信じている人も多いのではないでしょうか?
困った時の神頼み
という言葉がありますよね?
きっと誰しも、受験や病気で自分が困った状況に置かれると、
普段はあまり「神」という存在について深く考えることもなく生きているのに、
困った時にだけ、「神様」に登場してもらい、
自分の願望・希望を叶えて欲しいと祈った経験があるという方、
多いのではないでしょうか。
私はここ数年、以前のような祈り方ではなく、新しい祈り方に変わりました。
それも、自然と。
自分の脳みそなんて、全知全能の神様に比べたら、
本当にちっぽけなものでしかなく、あれこれ必死で考えたところで、
高が知れているのだ…ということが、深く理解できたからです。
つまり、自分の脳みそで自分のためだと思って必死で考えたところで、
神様のご計画や思いに比べたら、大したことなどないわけです。
であれば、どう祈るのが正しいのか。
これまで「祈り」について書かれた本も、何冊か読みました。
脳科学者、医学者、心理学者、宗教家…など、多くの方が、
「祈り」をテーマに本を書かれています。
そんな本を通しても、色々な学びがありました。
結果、私が思う正しい祈りとは、以下の通りです。
自分の自我や個人的な希望や思いを一旦棚上げして、
自分のことであれば、「神様のご計画が、私の上に完全に成りますように」
誰かのためであれば、「神様のご計画が、○○さんの上に成りますように」
これだけです。
「ああなりたい」「こうしてほしい」と思うのは、
人間である以上、仕方ないことですし、否定もしません。
しかし、その希望や考えが、本当に自分にとっての最善なのか、
その確証を得るのは、私にはできないと思うわけです。
であるならば、全てを神様に委ねてしまった方が、すっごく楽チン♪ って、
単純で楽観的な発想かもしれないけれど、
この考えに至るまで、相当の年数を要してしまいました。(笑)
渡辺さんの「“請求書の宗教”ではなく
“領収書の宗教”を持って生きてゆきたいと思います」という言葉、
とっても素敵だな~って思いました。
次回も、こちらの本からのご紹介です。
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3月3日になりました。早いですね~。
梅も咲き、菜の花も咲き始め、春めいてきた今日この頃。
キラキラとした日差しが嬉しい季節です。
さて、前回からご紹介し始めた本。
皆さんは、どのように受け取って下さっていますでしょうか?
今日もあちらの本から、印象的だった個所をご紹介します。
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●神様は一番善いことをしてくださる
私は「いただく」という言葉が好きで、
日常会話の中でも、できるだけ使うようにしています。
「くださるものをいただく。しかも、ありがたくいただく」
このような心で祈る時、その祈りは必ず、神に“届く”と思うのです。
届いたということは、決して、
そのことがそのまま叶えられる結果になるということではなくて、
神がその時、その人にとって
一番“善いこと”をしてくださるということなのです。
「お祈りしています」と誰かに約束する時、
その人の当座の願い事が、そのまま叶えられるようにと祈るとともに、
その人が、求めたことに対して与えられた神様の「返事」を、
ありがたく“いただく”ことができるようにと
祈ることも忘れてはならないのではないでしょうか。
“請求書の宗教”ではなく
“領収書の宗教”を持って生きてゆきたいと思います。
「ください、ください」と欲しいものを
やみくもに願うことが真の祈りなのではありません。
「たしかにいただきました。ありがとうございました」と、
神様のくださるものの一つ一つを、しっかりいただいて感謝する“心”こそを、
私たちは真に祈り求めるべきなのでしょう。
神様の
はからいを信じて
心を委ねる。
求めていないものが与えられたときには、謙虚にいただこう。
なぜそれが与えられたのかは、いつかわかる。
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皆さんは、どのようにお感じになったでしょうか?
私は子供の頃から、神様の存在を信じています。
日本は世界にも稀な“無宗教”の人が多い国ではありますが、
八百万の神の存在を、何となく信じている人も多いのではないでしょうか?
困った時の神頼み
という言葉がありますよね?
きっと誰しも、受験や病気で自分が困った状況に置かれると、
普段はあまり「神」という存在について深く考えることもなく生きているのに、
困った時にだけ、「神様」に登場してもらい、
自分の願望・希望を叶えて欲しいと祈った経験があるという方、
多いのではないでしょうか。
私はここ数年、以前のような祈り方ではなく、新しい祈り方に変わりました。
それも、自然と。
自分の脳みそなんて、全知全能の神様に比べたら、
本当にちっぽけなものでしかなく、あれこれ必死で考えたところで、
高が知れているのだ…ということが、深く理解できたからです。
つまり、自分の脳みそで自分のためだと思って必死で考えたところで、
神様のご計画や思いに比べたら、大したことなどないわけです。
であれば、どう祈るのが正しいのか。
これまで「祈り」について書かれた本も、何冊か読みました。
脳科学者、医学者、心理学者、宗教家…など、多くの方が、
「祈り」をテーマに本を書かれています。
そんな本を通しても、色々な学びがありました。
結果、私が思う正しい祈りとは、以下の通りです。
自分の自我や個人的な希望や思いを一旦棚上げして、
自分のことであれば、「神様のご計画が、私の上に完全に成りますように」
誰かのためであれば、「神様のご計画が、○○さんの上に成りますように」
これだけです。
「ああなりたい」「こうしてほしい」と思うのは、
人間である以上、仕方ないことですし、否定もしません。
しかし、その希望や考えが、本当に自分にとっての最善なのか、
その確証を得るのは、私にはできないと思うわけです。
であるならば、全てを神様に委ねてしまった方が、すっごく楽チン♪ って、
単純で楽観的な発想かもしれないけれど、
この考えに至るまで、相当の年数を要してしまいました。(笑)
渡辺さんの「“請求書の宗教”ではなく
“領収書の宗教”を持って生きてゆきたいと思います」という言葉、
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Last Modified : 2019-03-03