とうとう、今年も半分が終わりました!
今日から7月。折り返しましたね~。
今年は、私にとって、大変ドラマチックな1年となりそうです。
皆さんは、如何でしょうか?
さて、今日もあちらの本からご紹介しましょう。
============================
●物事に一喜一憂しないコツ
人間というものは、目に映っていることだけで物事を判断しがちなんだ。
だから、お金をいっぱい持っていたり、仕事の業績が上がったりすると、
みんなそれで安泰だと思ってしまうんだよ。
僕たちの行者の世界には、いろんな先輩の阿闍梨さんたちがいるんだけど、
そういう人たちが行の終わりにかけられる言葉は、「おめでとうございます」なんだ。
だけど、その言葉は「めでたい」という意味ではなく、
「これからが大変ですよ。これからが本番ですよ」という意味なんだよ。
これからどうやって生きていくか、自分で確立させて実践していきなさい、
という意味で言わってくれるんだよね。
きれいな文句に言い換えるなら、
「いままでやってきたことを棒に振らないように、
それ以上に精進して一生懸命進んでいってください」
というような言葉になるんだろうね。
(略)
毎日毎日、同じことを繰り返していくと、人生なんていうのは、
はじまりもなければ、終わりもないということがわかってくるんだよ。
まさに、「無始無終」なんだ。
(略)
命だけでなく、空気やお金、成功など、
すべてのものを仏様から預かっているんだと思っていれば、
失うものは何もないということがわかるし、
いろんなことに一喜一憂せずに、
淡々と自分の道を進んでいくことができるんじゃないかと思うよ。
●良い流れをつくるには、一人ひとりの意識が大切
一日一生という言葉には、
「いまを大切にしましょうよ」という意味も込められているんだ。
いま、地球上にこうして生きていられるということは、
本当に貴重で、奇跡みたいなものなんだよ。
だからこそ、今日一日を無駄にせず、いつスーッと亡くなってもいいように、
充実した人生を心がけるのがいいんじゃないかな。
============================
ではまず、前半から。
「人間というものは、目に映っていることだけで物事を判断しがち」
と書かれていましたが、これ、本当にその通りですよね。
見えているものだけで判断して、見えていないものは無視。(笑)
こんな生き方、相当愚かだとは思いませんか?
見えるものと見えないもの、そのどちらにも目を向けたいものです。
そして、「命だけでなく、空気やお金、成功など、
すべてのものを仏様から預かっているんだと思っていれば、
失うものは何もないということがわかる」とありましたが、
これ、ここ数年、私が感じていることなんです。
「金は天下の回り物」という言葉がありますが、
お金だけではなく、今自分が手にしていると思い込んでいる全ての物が、
仏様、神様、宇宙からの預かりものだと考えると、
「これらはたまたま今、私が預かっているだけで、
実は私の物なんかじゃない」と思うわけです。
そうすると、確かに「失うものなど何もない」と自然と思えるのです。
この境地に至ると、いろんなことに一喜一憂しなくなります。
自分の器がでっかくなるんですね。
そして、後半。
実は私、ここ数年、生活スタイル等々、大変革を行ってきました。
そして、そのような改革の中で、私の中に1つの言葉が浮かんできました。
その言葉が、「一日一生」という言葉だったんです。
この言葉、「私の造語かしら?」と気になって調べたところ、
この本の著者が書かれた「一日一生」という本に出合ったわけです。(笑)
しかし、実はもっと昔、1926年に、内村鑑三が同じタイトルの本を出版しています。
現在有名なのは、著者の本のほうだとは思いますが、
やはり、「宗教家」の人たちは、同じ言葉を愛するようになるのかもしれませんね。
「当たり前は、当たり前ではない」
今日という日があることも、実は奇跡。
今私が生きているというのも、奇跡。
そんな風に感じながら、「毎日を後悔のないよう丁寧に生きたい」と思い、
日々生ききるように努力しています。
最終的な目標は、「死ぬときに後悔したくない」。
つまり、「いつ死んでもいいように生きる」ということです。
これにて、こちらの本のご紹介は終了です。
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今日から7月。折り返しましたね~。
今年は、私にとって、大変ドラマチックな1年となりそうです。
皆さんは、如何でしょうか?
さて、今日もあちらの本からご紹介しましょう。
============================
●物事に一喜一憂しないコツ
人間というものは、目に映っていることだけで物事を判断しがちなんだ。
だから、お金をいっぱい持っていたり、仕事の業績が上がったりすると、
みんなそれで安泰だと思ってしまうんだよ。
僕たちの行者の世界には、いろんな先輩の阿闍梨さんたちがいるんだけど、
そういう人たちが行の終わりにかけられる言葉は、「おめでとうございます」なんだ。
だけど、その言葉は「めでたい」という意味ではなく、
「これからが大変ですよ。これからが本番ですよ」という意味なんだよ。
これからどうやって生きていくか、自分で確立させて実践していきなさい、
という意味で言わってくれるんだよね。
きれいな文句に言い換えるなら、
「いままでやってきたことを棒に振らないように、
それ以上に精進して一生懸命進んでいってください」
というような言葉になるんだろうね。
(略)
毎日毎日、同じことを繰り返していくと、人生なんていうのは、
はじまりもなければ、終わりもないということがわかってくるんだよ。
まさに、「無始無終」なんだ。
(略)
命だけでなく、空気やお金、成功など、
すべてのものを仏様から預かっているんだと思っていれば、
失うものは何もないということがわかるし、
いろんなことに一喜一憂せずに、
淡々と自分の道を進んでいくことができるんじゃないかと思うよ。
●良い流れをつくるには、一人ひとりの意識が大切
一日一生という言葉には、
「いまを大切にしましょうよ」という意味も込められているんだ。
いま、地球上にこうして生きていられるということは、
本当に貴重で、奇跡みたいなものなんだよ。
だからこそ、今日一日を無駄にせず、いつスーッと亡くなってもいいように、
充実した人生を心がけるのがいいんじゃないかな。
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ではまず、前半から。
「人間というものは、目に映っていることだけで物事を判断しがち」
と書かれていましたが、これ、本当にその通りですよね。
見えているものだけで判断して、見えていないものは無視。(笑)
こんな生き方、相当愚かだとは思いませんか?
見えるものと見えないもの、そのどちらにも目を向けたいものです。
そして、「命だけでなく、空気やお金、成功など、
すべてのものを仏様から預かっているんだと思っていれば、
失うものは何もないということがわかる」とありましたが、
これ、ここ数年、私が感じていることなんです。
「金は天下の回り物」という言葉がありますが、
お金だけではなく、今自分が手にしていると思い込んでいる全ての物が、
仏様、神様、宇宙からの預かりものだと考えると、
「これらはたまたま今、私が預かっているだけで、
実は私の物なんかじゃない」と思うわけです。
そうすると、確かに「失うものなど何もない」と自然と思えるのです。
この境地に至ると、いろんなことに一喜一憂しなくなります。
自分の器がでっかくなるんですね。
そして、後半。
実は私、ここ数年、生活スタイル等々、大変革を行ってきました。
そして、そのような改革の中で、私の中に1つの言葉が浮かんできました。
その言葉が、「一日一生」という言葉だったんです。
この言葉、「私の造語かしら?」と気になって調べたところ、
この本の著者が書かれた「一日一生」という本に出合ったわけです。(笑)
しかし、実はもっと昔、1926年に、内村鑑三が同じタイトルの本を出版しています。
現在有名なのは、著者の本のほうだとは思いますが、
やはり、「宗教家」の人たちは、同じ言葉を愛するようになるのかもしれませんね。
「当たり前は、当たり前ではない」
今日という日があることも、実は奇跡。
今私が生きているというのも、奇跡。
そんな風に感じながら、「毎日を後悔のないよう丁寧に生きたい」と思い、
日々生ききるように努力しています。
最終的な目標は、「死ぬときに後悔したくない」。
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Last Modified : 2019-07-04